生活の繰返しの中に創造のよろこびがある
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2013/03/06(Wed)
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大学に合格した男子生徒がうんざりするほど暇をもて余している様子。「家の手伝いくらいしなさいよ」と声をかけたら、「なあにを今さら」という顔。
「高校生にもなって自分のパンツも洗わないんでしょ」と私はにらみ返す。「それじゃ赤ちゃんと変わらないわね」 意外にも数日後、彼は報告にやってきた。家で手伝いをしたら母親が泣いて喜んだという。「それはよいことをしたね」とほめてあげたが胸の内は複雑だった。今の母親は子供のしつけをしていない。 今朝は洗濯しながらそういうことを思い出していた。 すべて手洗いで洗濯するようになって、もう十年近くが経つ。きっかけは山歩きだ。急に衣服がいとおしくなって人にも機械にもまかせられない。最近の洗濯機の使い方もわからないので手洗いを続けるしかなくなった。 ものごころついて以来、家事は好きだ。毎日の料理はもちろん、家が留守のあいだに拭き掃除して、「きれいになってる!」と驚かせるのを楽しみとした。庭の水やりも欠かさず、洗濯も大いにやった。家族六人分の家事というのは子供にとってやりがいのある仕事であった。 家事は万事、娯楽である。そういう感覚は、幼いころから多少は身につけている。 これが今の操体法の指導にずいぶん役立ってくれていることは幸いだ。 健康というのは、生活のこと。生活とは、飲んで食べて眠って。掃除に洗濯。基本はそういうことだ。衣食住のことに関心の持てない人間には、健康のことはまず、むずかしいかもしれない。ましてや人の指導とか、健康関連の活動をしようという場合に、そういう体験なしにはろくに問診もできまい。 どれだけ忙しい現場を持たれている治療家でも、食事は自身でととのえるとか、洗濯も掃除もやるのだとか、少なくとも私の周囲には、生活の基本をきちんと押さえている話が多い。 個人差はあるが、身体感覚は男性より女性のほうが鋭い場合が多い。先天性によることもあろうが、家事をやるのが当たり前の生活で身につけてきた感覚の積み重ねがあるのかもわからない。 洗濯は、水の温度にも気を使う。湿度により乾燥の時間も変わる。洗濯機で洗ってばかりでは、わからないこともたくさんある。せっけん液に浸しておくと、びっくりするくらい汚れが出てくる。どう洗っても取れない汚れもある。そういうのを見ると、体内の汚れや、細胞にためこまれた化学物質が、なかなか一生出てこないものもあるという話も合点がいく。 隅から隅まで自分の衣服の減り具合、傷み具合などを知り、自分の体の動かし方を想像できたりも、する。 脱水機も使わないので、どういう絞り方にするか、どこに、どんなふうに干そうかとか、まあいろいろと考え、工夫する。水に浸けるところから乾燥して仕上がるまでの過程で、いろんなことに気づいたり考えたりした挙句、仕上がった衣服を見て、うれしくないわけがない。 平凡で何気ない日常の生活に、たくさんのよろこびが用意されていることを知る。それがまた有難く幸いであると思う。 スポンサーサイト
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