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苦労なく生きられるようにできている
- 2013/03/04(Mon) -
昔の野菜は、その土地固有の品種だった。昔からずっとその土地に生きてきた植物は、その土地で生きてきた経験や体験が、タネの中にしっかり宿っている。その土地で生きていくのに必要な備えが、ある。そういうのは自然にすくすくと育ちやすい。当たり前だ。
農業試験場なんかで育ててタネを採取しても、それは試験場で一番うまく育つタネかもしれない。農家がタネや苗をよそから買って持ちこむというシステムそのものが、非常におかしなこと。不自然なことだ。

植物と植物をとりまく環境とを、区別して見ているのは、人間の勝手な目だろう。環境と切り離して見ているから、九州のトマトも四国のトマトも、おんなじトマトに見えてしまう。しかし、九州のトマトと四国のトマトは、違う生きものだという見方もある。
その土地で病気や虫を呼びこんでしまう植物というのは、その土地で生きていけない植物だということ。
環境に受け入れてもらえない生きものだということ。
病虫害に強い体質の植物と、弱い体質の植物という見方もできるが、強い・弱いもあてにならない。北の寒さで生きられる植物は寒さには強いが、暑さには弱い。

個体と、それを取りまく環境とのコラボレーションで、命は営まれている。
健全で幸せな暮らしというのは、環境とマッチした関係を築くことができるかにかかっている。
環境の条件により、その環境にあった植物がすこやかに無理なく育つ。環境にあわせられた植物が、その空間において生命を営むことができる。
雑草は毎年、勝手に芽が出て、勝手に繁っている。食べものが毎年、勝手に芽を出し、病気にも虫にもやられずに丈夫に育ってくれる。これ以上けっこうなことは考えらない。
雑草は、同じ種類なら、どこの土地も同じものかというと、恐らく違う。同じタンポポに見えても、その土地の気候や土壌にマッチした体質のものは繁栄し、その土地に合わないものは消える運命だろう。
わざわざ病気にかかりやすい植物を手渡され、「自然に育つというなら、育ててみろ」と言われたら、どうだろう。病気や虫を呼びやすい体質に「改良」された植物。それが今の野菜の苗であり、タネではなかろうか。
じっさいお店に行くと、そんな品種しか置いてない。遅かれ早かれ、「農薬もください」「消毒薬も」「除草剤も」「肥料も」と、財布は開きっぱなしになる。

お店に売ってある品種でも、元気な雑草がすくすくと育つ畑で、平気に元気に育っている野菜の姿を見たことがある。畑というよりむしろ野原のようなところで、売りものとしても、びっくりするくらい立派なものができている。そんな土地で私は一ヶ月間、滞在させてもらったことがある。
環境に受け入れてもらえている野菜たちは、ほんとうに無理なく幸せな姿をしていた。タネをまいて、そのまま放置して、のびのび育った野菜を収穫する。畑と野菜とのコラボレーションがそこまで実現するのを見るのには何年もかかったという畑の主は、「わたしのはまだ自然農法とはいえないよ」と涼しげに笑っていた。
「でもこんな畑は滅多にない。自分の持っている畑の中でも、こうまでうまくいってるところはないんだ。そんなカンタンなものではない。カンタンでないことは、やったものにしか、わからない」

人間が病気で苦労して生きているのは、自然からずいぶん離れたところで生きている証拠なのだろうと、その畑で過ごしてつくづく思った。この世はエデンの園で、雑草と同じように自然の恵みを受け、私たちは苦労なく生きられるようにもとからできているのだと思う。しかしそれがわかるようになるまでには相応の努力が求められる。私たちは雑草族よりもむしろ、野菜族に近い生活を営んでいる。だから、カンタンなことが、「カンタンでない」ということになってしまう。そういうことなのだろうと思う。
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