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加減を知らない努力は墓穴を掘る―足るを知らないこころ―
2013/02/03(Sun)
努力は両刃の刃。やりすぎは、やらないほうがましだったというトラブルを招くことも多い。それに気づいた人が「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」と言い始め、「確かにそうだな」と語り継がれてきた言葉なのだろう。

やらないほうがよいような努力をして、やらなければならない努力をしていない。そう感じることはしょっちゅうだ。操体法であれだけ「六割主義」と言われているのに、気づくと安易にものごとを通したがる。そこを立ち止まって考える努力をする。判断を試し、感覚を研く。それが「六割主義」なのだと思う。

ムチウチで歩けなくなったことから、加減を知るということに努力せざるを得なくなった。
山歩きから戻って車から降り立った瞬間が、一つの目安になる。
足首やヒザがいうことをきかず、体が重くてよたよたしたら、明らかにやりすぎだ。
地面に足が着いたとたん、「うわ、軽い!」。気持ちより先に歩が進む。足が消えてなくなっているのではないか。そう感じるくらいが成功である。
事故にあう前の、体調がベストの時期の自分は、下山後によれよれになった体を嬉しがるところがあった。翌日は全身疲れてぼーっとしている状態だから、六割主義どころか、百パーセント二百パーセント主義の感覚といえようが、それでも自分では「六割主義」を通したつもりだった。

「足るを知る」というのは賢人の智恵だ。「六割主義」は「足るを知る」がなければ実行できるものではない。じっさいは非常に微妙な加減が要求される技術だと思う。もちろん山歩きだけでなく、あらゆる面において「足るを知る」ことは賢者への道だ。その道のりは果てしなく遠いが、苦しくはない。「自然」を追求し、ラクを追求し続ければ、おのずと道は「足るを知る」のほうへ向かっている。そのように思う。
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