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「しばられたくない」という根源的な願いを忘れない-老けこまずに生きる-
2013/01/08(Tue)
そろそろガソリンが切れる。車検も切れる。車には常にこういう不便がつきまとう。科学技術が高度に進んだというのなら、ガソリンスタンドにつながれることなく、いつまでも走れる自由な車を目指すべきだと思う。
つながれるのが好きな人もいるが、私のところにはつながれるのがイヤな人も多いように思う。健康診断や予防接種につながれっぱなしの健康はイヤ。病院につながれ、専門家の意見につながれ、病気に自由を奪われるよりもむしろ二次災害のほうが大きい。
イヤというささやかな決意めいたものを秘めているというか、みなぎらせているというか、そういう感じが伝わってくる瞬間が、ある。どこの誰にでもふつうに、ちゃんとしたそういう気持ちがもともと備わっているのだとも思う。

どれにするか迷った時期もあったが、「操体法でほんとうによかった」と思うのは、操体法が自力の療法だったということである。
いろいろと便利な療法はある。しかし人に頼ったり物や道具に頼ったり、科学技術に頼ったりという現場には、もとから備わった自分の力を頼りにするということがスッポリ抜けている。専門家まかせ、物や道具まかせ、科学技術まかせの他力の療法を続けていくというのと、はだか一貫、生まれながらにして天から授かった力を一つ一つ発見しながら自力の療法を続けていくというのとでは、最終的には人間そのものにまで違いが出てくると思われてならない。
自分はずぼらだから「どこかに通い続ける」という面倒に耐えられず、物や道具も買ったままほったらかしにしてしまう。家電製品も壊れたら修理が面倒ということで、「なんにもいらない健康法」しか残らなかった。そんなまことに申しわけのない事情もあるが、操体法に目を向けて訪れる方々から「つながれたくはない」「しばられたくはない」という、人間の根源的な欲求が忘れられずにあるということが伝わってくる瞬間は感動というほかない。

管理社会といわれる水槽の中で、私たちは日常当たり前に呼吸して泳いでいる。
その水槽は温度管理や水質管理をしているのだというが、情報で操作される情報社会ともいわれている。
自分のどこをどのように管理されているか、どこか気づかないうちに、おそらくは私も影響を受けている。少なくとも、まったくその影響を免れていると言い切ることのできる人は誰一人としていまい。
それでも私たちはふと、「つながれている」「しばられている」という、何らかの違和感につつまれる瞬間がある。その違和感こそは出口のありかを導く光のようなものではないだろうか。「何だかおかしい」という違和感は、不愉快ではある。そして時には痛みをともなうことでもあるのだが、麻痺させられて気づかないよりはよっぽどいい。「おかしいよ」「おかしいよ」という警報ランプの示す先を粘り強くたどってゆくと、何が見えてくるか。私はたのしみにしている。
「つながれたくない」「しばられたくない」という根源的な願いを忘れない限り、人間はよぼよぼとふけこむこともなく、自分の心身の、生きのよい状態を維持・増進することが可能なのではなかろうか。
ガソリンのメーターのことも、ガソリン価格の上げ下げも温暖化のことも、何ら気にすることなくドライブが一日中楽しめる。そういう方向性は最強なんじゃないのかなあなどとのんきに考える昨今だ。
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