子供でも大人でもなく男でも女でもない、もう一人の自分が私を見守ってくれている
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2012/12/31(Mon)
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除夜の鐘百八つは煩悩の数というが最大六万四千の数字もある。大日経には「人には六十の心が住むからお気をつけなさい」というアドバイスもあるようだ。
自分を見つめるもう一人の自分がいる。眺める一人の自分と、眺められているたくさんの自分とがいる。自分の中にあまりにたくさんの自分がいることに驚いて「あ、こういうところもあったのか」と他人のように眺めている。 自分は自分のはずだが「ほんとうの自分はどれ?」と不思議に思う。 みっともない自分。見栄っ張りでワガママでずるい自分。弱くて何にでも振り回される自分。愚かな自分ならいくらでもいる。「おい、そこにいるお前。お前がいけないんだ」と責めたり、「お前は消えろ」と見放したり。いつの間にか一人相撲が始まっている。万華鏡の筒をのぞくのと同じで、揺れたり動いたりするたびにぞろりぞろりといろんな顔が出てきてキリがない。 「あっはっは。目くそ鼻くそでしょう人間なんて。お互いね、お互いさまですよ」と笑い飛ばす豪快な知人。「それもそうだ。仕方ないよね~」と笑うことでかえって「目くそ鼻くそではない」という確かな実感も残る。 まあいい。どんなときに、どんな連中が顔を出すか、せめてきちんと把握しよう。どんな自分が出てきても、しっかり自分を見届けることのできるもう一人の自分がいる限り、あわてることも恐れることもない。気持ちを大きく持って、互いに飽き飽きするほどつきあって、どんなにたくさんの自分にも迎合しない自分が一人でもいることを確信できればじゅうぶんだ。しょうもないような自分がしょうもないようなことをささやいても、適当にあしらっていたら、いい。 いま、ひょっと、「じゃあこのブログを書いているのは、だあれ…?」などと思ったが、すぐには返事が見つからない。「ブログと、会ったときとで、感じがちがう」と言われることもあるから、自分の中にブログ担当者のようなのがいるのかもしれない。 ※本年最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 この一年を振り返って、数えきれないほどの支えと学びをいただいていること、感謝の一言に尽きます。 未熟でいたらないところ、ご容赦いただければ幸いに存じます。お気づきの点がありましたらご指摘・ご指導のほど宜しくお願いいたします。 それではよいお年をお迎えください。また来年もお会いできることを心より願っております。 スポンサーサイト
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