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痛すぎる痛み・苦しすぎる苦しみは自然ではない-生きる方向へ軌道修正を促す、必要最小限の痛み-
2012/12/15(Sat)
「人は『今』に悩んだり苦しんだりすることはできないんです」
そのような話を禅僧に伺う。
「過去や未来にとらわれるとき人は悩み苦しみますが、『今この瞬間』には過去も未来もない。一瞬一瞬過ぎ去ってゆく、この『今』に意識をおいている限り、悩み苦しみはないのです」
「とはいっても、私たちの意識はつねにあちこちに飛んでじっとしてはいませんから、そうカンタンではありませんけどね」

そうかしら? 今を苦しむということが、人間にはないのかしら…と疑問にも思うが、苦しみが相対的であるということなら体験がある。病気やケガも、「これが一生続くわけではない」と思えばけっこう平気で耐えられるし、「悪化するんじゃないか」「ずっと続くかも」と思えばこれ以上苦しいことはないのである。じっさい、どんな苦しみも断続はあれど永続しない。痛みのことは医学的・科学的にわからないことが多いといわれるが、じっさいほとんど何もわかっていないようだから勝手に想像させてもらっている。

生き死にのピンチをくぐり抜けた人の体験話を、直接に聞いたり読んだりしてみると、人が感じることのできる痛みの大きさには限界があるようだ。大事故で大ケガだとたくさん痛くて、小さなケガだと少ししか痛くないとは単純にいかない。野生のクマに生きながら手足を食べられた女性の話では、できるだけじっとして自分の腕がゴリゴリ噛み砕かれる音を聞いていたというのもある。身近な話では、交通事故で大腿骨を折った人や、屋根から落ちて両足首を複雑骨折した人などがいるが、どの人も「そのときにはさして何ともなかった」という話である。両足骨折した人などは、そのまま歩いて駐車場に行き、自分で車を運転して病院に行っている。「痛くなかったですか」と聞いたら、「そうでもなかったですよ」などと言う。
痛みは、かなりあとになって感じる。大きすぎる衝撃を受けると全身マヒ状態になり、かえって痛みなど感じないシステムになっているらしい。

痛みはダメージの大小に比例しない。不要な痛み、受容不可能の苦しみの部分はカットされ、限界が設けられている。あんなにひどいことになったら、きっとただじゃすまないな。痛いだろうな苦しいだろうなといろいろ恐ろしいことを考えて、不安や恐怖におそわれることもあるけれど、しぜんはそんな無駄なことはしないようだ。
死ぬときはきっと恐ろしいだろう、こわいだろう、痛いだろう、苦しいだろうなどと妄想すると、誰だって平穏な気分ではいられない。しかし自然の営みは無駄な痛みや苦しみを用意してはいない。痛すぎる痛み、苦しすぎる苦しみは、ほんらいではないのだ。自然は、「不自然ですよ」というメッセージが伝わる必要最小限のボリュームで痛みを与え、生きる方向へと軌道修正を導く。

生きる方向への道を閉ざされ、痛みや苦しみが必要なければ、痛み苦しみもなくなるとも考えられる。
じっさい禅宗の名僧たちは苦しまずに死んでいる。苦しみぬいて死んだら名僧とはいえないだろう。
よって名僧たちの生活などは大いに参考にしたらよいと私は思う。
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