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知らず知らずのうちに宇宙大の流れに身をまかせている
2012/11/30(Fri)
「いま」という自分の後ろには気の遠くなるような過去があり、自分の前には気の遠くなるような未来が横たわっている。それは確かなことだが、ふだん私たちはそんなことは思わないし、わざわざ話題にすることもない。

学生時代に文化人類学で「いま」という時間のいろんなとらえ方があることを知った。自分が生まれてもいない遠い過去のことをよく話し、自分に関係ないくらい遠い未来のことを平気で話す人々には違和感を感じないではいられなかった。
彼らは過去や未来を区別せず、過去と未来とを同時に生きるようにして「いま」がある。「いま」の生活の中に、自分の生まれる以前の、そのずっとずっと向こうの先祖とともに暮らしているような感覚があり、さらに自分の死んだあとの、その先の先の、ずうっと先の子孫といっしょに暮らしているような感覚がある。時間のスケールはバカバカしくなるほど長大で、百年二百年など屁のようなものだ。
その「いま」という時間のとらえ方には違和感しかなかった。「彼らはヘンだ。しかしわたしはヘンじゃない」「昔の人は何もわかっちゃいなかったが、今の我々はたくさんのことを知っている」。そんな傲慢と偏見に安住しがちなところでもあった。

土とともに生きた昔の人のものの見方・感じ方は重みがある。先住民の思想に触れていくにつれ、「自分はうすっぺらい」「軽いな」と感じるようになった。自然を直接相手にしながら生活をしていると、観察のやり方も自然法則に歩み寄っていく。時間の感覚も宇宙大である。そしてそれが、そのほうが、今の私にはむしろ現実的に思えてくる。
過去の祖先も未来の子孫も根付いていない個人主義的生活は、じつに心細く孤独でもある。それを愛というスローガンで切り抜けようという主張も聞かれる一方で孤独死が増えている。しかし「いまの人間」である私だって、いつ始まったともしれない生命の生滅の繰り返しの果てに出てきたものにちがいなく、生命の生滅の法則の中で「いま」を過ごしているにすぎない。そして生命の連なりは、私の到底知りようのない、果てのない未来へと向かっている。その宇宙大の流れに身をまかせているしかない私。それがむしろ現実のように思われる。
軽い・薄い・小さいがとかく追求される軽薄短小の時代。「重厚長大」を目指すくらいが丁度よいのではないかとと感じている。
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走っているのに止まって感じる-川の流れを切り替えようという試み―
2012/11/28(Wed)
高速道路を減速して降りてくるときに、ふと車が止まっているように感じる。風景が動くのだから確かに走っていると思うが、感覚にも「慣性の法則」みたいなものがあって、時速百キロに慣れた感覚は、スピードに鈍くなっている。
体の状態がわるい人ほど「具合がわるい」ということを感じない。それも感覚のなせる技である。慢性のひどい肩こりや腰痛持ちの人は、わざわざ「肩こりがひどい」とか「腰痛がある」とは言わないものだ。「それは私にはふつうのこと」と認識されている。苦痛の度合いが百から八十にでも下がれば、「スッカリ治った」とカンちがいしたりも、する。

いろんなところを訪ね歩いた。腰をすえてじっくり、などとはまるで考えない。操体法に定期的に通い始めても、読みきりマンガを楽しむ気分。息の長い長編を何冊も読み続ける気など、さらさら起きないのだった。
三十代は、それで済んだ。一回ごとに読みきって、「あ~ラクになった!」で忘れていられた。
しかし四十代に入って少しずつあやしくなってきた。それで自分でもちょこちょこと取り組み始めたのだった。
四十代半ばで事故にあったら何一つ通じなくなった。ボロボロの体といきなり取りかえっこされたような、冗談みたいな話だった。しかし冗談ではなかった。「これは冗談ではない」と気づくのに手間取って、「操体法も何もかも捨ててしまうかどうか」というところまで行ってしまった。
「元の体に戻りたい」と言い張る私に、「ぜったい治らない」「治ったのを見たことないから」と三名の医師がハッキリ言い渡してくれたおかげで、やっと少しずつ腰がすわってきた。

川の流れを切り替える。今はそんなイメージで操体法に取り組んでいる。
すでに流れの方向が決まってしまった川である。何年何十年とそのまま流れてきた。「こうすればいいですよ」と言われたくらいで、「ああそうですか」とすんなり切り替わるはずもない。
流れが遅くなってきたからといって止まったわけではない。案外とじゅうぶんなスピードで流れている。何らかの条件が加われば元の通り、いやそれ以上の勢いを得ることもあろう。
想像力をはたらかせ、粘り強い取り組みを、ある一定期間続ける以外に道はない。ほかに道があったら教えてほしいくらいだ。

流れがゆっくりになって停止するように思われ、しかし水の中では「さあどっちに流れようか」と大小さまざまな淀みや渦ができ、流れの向きが定まらない。そんなときに「治った治った」とぬか喜びして「さあもう卒業だ」とばかりに脱線をする。それでもう元の木阿弥だ。そんなケースはくさるほど見てきた。
生活の改善は、まず七日間。三日坊主といわれるように、三日目が峠。それを越えたら先は比較的ラクに続くといわれている。一週間も続けばお祝いをしたらよいだろう。
次のハードルは三十日。ここでまた成功を祝う。
次は百日。これはほぼ一つの季節を乗り越えたことになる。
そして一年。暑い、寒いといった季節の変化に乱されず、きちんと対応できる体にしなければならない。
そして三年。頭のてっぺんからつま先までの細胞が全て入れ替わるのに千日くらいかかるといわれている。
百キロで走り続けていたら時速百キロとは気づかない。症状がたとえ百キロから四十になっても、四十といえば立派なスピード。症状の出方に合わせてゆるやかにしながらも、最低三年くらいの長い流れを見る目を養いたい。

これは食養だろうと何だろうと、健康法の基本の「き」である。それも知らないまま、そういうことも受け入れられないまま、一回の読みきりマンガといった軽い気分というのが、私を含め、おおかたのところだろうから、失敗を繰り返し、痛い思いや苦い思いをしながら、時には後退し、時には停滞し、それで三十日で脱出できるところが十年や二十年かかることもあろうし、一生かかることだってあり得る。
人生まさに長編大作。なめてかかると痛い目にあう。川の流れを変えるというのは一生の大事業と思ってまちがいないだろう。
自分の体は自分の命。自分の命にその程度の重みがあったとしても、不思議でも何でもないと思うのは私だけだろうか。
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血の通った知識は、人間を通じて伝わっていく
2012/11/26(Mon)
本で得る知識も役に立たないことはない。しかし血の通った知識は人間を通じて伝わっていく。
ひっつきまっつきして、いろんなジャンルの、いろんな先生と、同じものを見て、同じものを食べて、同じ空気を吸って、意見を交換したり、話をしたり。それが今の自分の、ほんとうの財産だと感じる。

もともと小さい頃から人なつこい。すぐに人を気にいって、気にいった人間を始終追いかけてはまとわりつく。そのまま家についていって、一緒に生活をともにしようとさえ、する。そんなクセが、私にはあると思う。
追いかけてまとわりついて相手に嫌われてはどうしようもないので、気に入られようとして努力をする。その人間の仲間になりたいのである。そのための努力が自分の能力を養い、ひいては自分の幸せになる。そういう結果に結びつく人間にはいつまでもまとわりつきたくなる。

逆をかえすと、好きだけれども努力に結びつかない相手もいる。自分の能力は養われるどころか、削がれてしまう。自分のためにならない。そういう結果にしかならないと気づいたら、急に興味関心が失われ、離れてしまう。
親しい関係になった途端に「ダメ人間でもどうでもオレが好きなんだから、オレが好きなお前で、お前はいいんだ」みたいな感じになると、もうあとが続かない。女は男性に期待することが大きいようだが、男性は女性にはあまりいろいろと追求しないようなので、結果的に恋愛関係というのは自分はぜんぜんダメだった。私は自分が成長することにしか興味関心のないエゴイストなのだろうと思う。
よって、先生と生徒という間柄が自分には最も住み心地がよいのかもしれない。
一生誰かの生徒であり続け、一生誰かの先生であり続けるということ、あり続けようと努力すること。それが自分の生活を一定の緊張感を保って成り立たせる、一番よいことなのかもしれない。

「絵描きになるぞ」と思っていたころは、絵描きさんを追いかけてまとわりつき、「物書きになるぞ」と思えば作家さんを追いかけてまとわりついた。彼らがどういう生活をして過ごしているのか、その日常の空気にひたりたかった。何を見て、どう感じ、どう考えているのかを、ぜがひでも知りたいと思った。
「翻訳家になりたい」「文化人類学者になりたい」
目の前に、自分の手本となるような人物がいると、もう頭の中はそのことでいっぱい。24時間考えている。「操体法で治療家に」というのも、私自身の中ではその流れの中にある。音楽家や絵描きや物書きや、翻訳家や文化人類学者になるといったことと、治療家になるといったこととは、私の中では何一つ矛盾しない。

客観的にいって、それは少々おかしなことかもしれない。だって、それらは全部べつべつの事がらなのだから。
「いや、そうじゃない」と指摘した作家さんが、いた。程度の差こそあれ、芸術は一続きの世界だ。音楽と絵画と言葉はバラバラではない。音楽のわかる人は絵画や文章にもそれなりの関心を示し、それなりにわかるものなのだ。そして翻訳といった言語をあつかうことも、人間の生活をあつかう文化人類学も、ひとつながりのことだ。治療・療術だって、そこにつながっている。私はべつべつのことをしてきたのではなくて、同じことをずっと追求してきたのかもしれない。

何気なくかわした会話の中から、一瞬の電撃のように伝わってきたこと。
それは時を超えて私の中で鮮明さを失うことなく、生きている。いや、時に応じて鮮明さを増して迫ってくる。
そのような知識の伝わり方もある。そのように伝えられてきた知識こそ、生きた知識であり、価値があるといえるのではないかと思う。
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輝きを失わない夢を見つけ、持ち続けるという、夢。
2012/11/24(Sat)
夢は乾物のようなもの。そのままでは食えない。水に浸してみると、色もかたちもサイズもぜんぜん違うものになる。いったん戻したら、元に戻せない。

乾物を戻すのにかかる時間はさまざま。数分で戻るものもあれば、一晩水に浸しておくのもある。遅すぎても早すぎても、ちょうどいい具合にはならない。
水に浸した後はどうするのか。煮るのか焼くのか炒めるか。味つけはどうするのか。
乾物の調理は手間ひまかかるものなのだ。

操体法という夢に、今の私は賭けている。他にも夢はいろいろとあったし、乾物のような状態・塩漬け状態のまま、保存をきかせている夢も、いくつかある。いくつかあるのだけれど、今のところ自分の時間と手間を一番かけているのは操体法である。色もかたちもサイズも、自分の想像したのよりすいぶんよさそうだ。ずいぶんとよいので、ひょっとすると一生の時間と手間をかけたという結果に行き着く可能性もあるかもしれない。
若い頃に持った、たくさんの夢。振り返ってみると、その中の一つにはたしか、「一生の時間と手間をかけても後悔しないだけのものに、めぐりあいたい」というのが、あった。自分の一生をかけて打ち込むものがあるというのは幸せなことだろうと思ったのだ。となると操体法は、若い頃の私の夢を一つ叶えてくれる可能性もあると、ほんの最近、気がついた。

夢のままでとっておいたほうがよさそうな夢だってあるかもしれない。実現させていくうちに、たいていの夢は夢であることをやめてしまう。じっさい水に浸すと白い煙になって一瞬で消えてしまうものが少なくない。
しかし現実という厳しい試練をくぐり抜けてもなお、輝きを失わない夢があるとするならば、それこそがほんとうの夢と呼ぶにふさわしいのではないか。
そんなほんとうの夢を持つ。持ち続ける。それもまた、夢の一つとして立派にカウントされてよいのではなかろうかなどと、考えている。


※H.K.さん、長いような短いような二週間でしたね。これからが楽しみになりました。お互いがんばりましょう。

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フーセンはフーセンの勝手で生きている
2012/11/22(Thu)
フーセンに息を吹き込んでふくらませ、てのひらにのせる。じっとのせていると、のっているのだか、のっていないのだか、わからなくなるような物足りなさだ。でも手を引くとフーセンは身をゆらし、糸で操られるようにして床へと落ちていく。フーセンはああいうふうでいて実のところ重力を身に受けている。そしてフーセンなりの重みをてのひらにまかせてくれているのである。
フーセンを拾い上げ、もう一度てのひらにのせてみる。周囲のかすかな空気の流れにすぐに反応してしまう、この自分の息だったひとかたまりのもの。がっしりと握って存在を確かめたくとも、あくまでふわふわとつかみきれない、頼りなげなようなものだけれども、それなりの重みを感じとろうと思えば感じとることもできる。てのひらの上の、それなりのつりあい、それなりの安定を一瞬一瞬の中に見出すことも、やろうと思えばできないわけではない。

てのひらの上のフーセンの、不安定ながらの安定感を、操体法で体の調整をするときに思い出すことがある。てのひらで受けとめる、見えない力のつりあい。外から見ても動きのない、タメているときに感じられる抵抗感は、さほどがっちりとしたものでもなく、さほど一様なものでもなく、相手が力をよこしてくれているのだかどうかさえわからないほどの、頼りなげな感触であり、物足りなさであり、いつまでもふわふわとつかみどころのない不安定なつりあいだったりもするのである。

初心者は、その頼りなげな、つかみどころのない力のつりあいと安定を感じ取ろうとせず、つい力んでしまう。フーセンをがっしりと握って確実なものにしたいのだ。その様子は、水の流れの中で体に力をこめて沈む、泳げない人の様子にも似ている。流れの中では力を抜いたものだけが、沈まずに息をしていられるのだが、初心者は目に見えない浮力のつりあいと安定を信じきることができず、自分の安心を求めてもがく。その結果、皮肉にも水をのんで苦しむのだ。
力を抜けば浮く。力を抜けば沈まずに、ラクに息をしていられる。それがわかるようになるまで、しこたま水を飲むしかないのかもしれない。たくさんのフーセンをわしづかみにしてつぶす以外にないのかもしれない。

あなたがどんなに頼りないと感じていても、フーセンはフーセンなりの安定に身をまかせ、フーセンなりの心地よさを満喫しながらてのひらの上で過ごしている。それがたとえあなた自身の気に入らない感じであるとしても、フーセンはフーセンの勝手で生きている。相手の勝手をどこまでも許し、あなた自身の中にもフーセンの不安定な安定を感じとることができるようになれば、そしてフーセンとの物足りないやりとりの中に、一定の確実と安心とを見出すことができるようになれば、操体法の抵抗の感覚のことが一定程度身についた、といえるだろうと思う。
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人間のつくった規定やルールが通じない現場でみんな生きている
2012/11/20(Tue)
教科書で習ったことも通じるとは限らない現場。何が起こるかわからないのが現場というもの。

規定やルールを守って競技して、審判の判定に従う。「現場では全国優勝したようなスポーツの選手は役に立たないのよ」とは県警OBオフレコの話。
医学部や専門学校でも「国家資格を取っても現場で役に立つのか」ということが言われるようだ。

若いころ資格にこだわっていたから大きなことは言えない。医学部や薬学部を受験する準備をしていたこともあったし、鍼灸の資格をとりたかったこともある。操体法がすでに自分の目の前にあったにも関わらず、「もっとちゃんとしたところで、ちゃんとした教育・基礎訓練を受けて、ちゃんとした資格がないとなんにもできない…」という気持ちがあった。「これがほんとうの勉強」と師匠に言われて尻込みした。じっさいに海に飛び込んで実力を身につけるような「ほんとうの勉強」はできるだけ避けたいような気持ちもあったのかもしれない。

ある老練な医師のオフレコの意見。「治療師さんたちは才能がある人たちなんだよ。自分から進んで治療の道に入った人でしょう。それに自費診療だから効果が出なければお客さんも来なくなる。厳しいよね」
おもての話と、裏の話。
現場にたずさわっている人の本音には、つねに新鮮な驚きと刺戟がある。
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ボールをどこに向かってシュートするか
2012/11/17(Sat)
ボールを蹴るのに熱心なあまり、シュートしたら自分の陣地のゴールだったのでは笑えない話だ。家族のためみんなのために頑張っているつもりが、仕事のストレスで荒れて周囲に迷惑をかけるという場合などは、どこにシュートしているのかわからない話だ。
世のため人のためだったはずの行動や活動が、かえって自分自身の利益の追求に向かったり、人を傷つけたり不快にさせたりするような方向にはずれていくことはめずらしくもない。
何をどうすることが、じっさいに、どういうことをもたらしているのか。冷静な目で見て判断することは、それほどカンタンではない。カンタンではないけれども、それをやらない限り、ボールをどこに蹴り飛ばしているのか、自分でもわからなくなってしまう。

操体法の技術の差は、動診と再動診で大きく出る。
体を見る。動いてもらう。動きの感覚を感じてもらう。それが動きの診察、動診である。
動診の結果、どんな動きをどのくらいの力加減でやるのかを判断し、実行してもらう。
実行してもらったあとに、もう一度体を見る。もう一度動いてもらう。動きに伴う感覚を、もう一度確認してもらう。それが再動診である。
再動診で、どんな結果が得られたかを総合的に判断する。実行する前と後とでは、どこがどう変化したのか。その変化は、いい変化なのか、よくない変化なのか。変化は何を語りかけているのか。
その判断しだいで次の操法が決まる。
次の動きを動診する。実行してもらったら、再動診する。
その繰り返しである。
「生き物はまっすぐに進むのではなく、らせん状に進んでいく」とぐるぐると手を回しながら話してくれたときの師匠の姿を思う。

動診を繰り返しながら直線的にではなく、らせんを描くようにして、調整が進む。動診と再動診を見る目と判断もまた重要なカギを握る技術である。再動診を通じたフィードバックを、面倒と感じるか、おもしろいと感じるか。そこが一つの勝負である。
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水をかけながら火を焚くにはどうすればよいか
2012/11/15(Thu)
陰陽五行に水尅火(すいこくか)というのがある。
水をかけながら火を焚くにはどうすればよいかと質問されたら何と答えればよいか。
「水をかけるのをやめるといいですよ」
水は火にダメージを与える。それが水は火を尅(こく)すということ、水尅火である。
それ以外に何かいい方法はないかと問われたら、「残念ながらわからない」というのが正直な返事である。
ビールを飲み続けながら冷え性を治すにはどうすればよいか。
食べすぎを続けながら胃腸の症状を治す方法はないのか。
お菓子や肉を好きなだけ食べながらガンを消す魔法はないものか。
今までの生活を続けながら腰痛を、肩こりを、眼病を、難病を、治すには、一体どうすればよいのだろうか?
いろいろと考え、見聞きもし、じっさいに自分自身で体験したことから言うと、「水をかけながら火を焚くことはできない」という結論。

どのように生活改善を進めていったらよいのかということについてはさまざまな工夫や智恵もあるが、生活改善をしないままどうやりくりするかということになると、各自で工夫をこらすほかないだろう。
一時しのぎの改善ならいろんな方法がある。操体法も一時しのぎの手当て法がないわけではない。そこらを散歩して振り出しに戻ってくる。そんな回復を目指すこともあるだろう。
体を少しずつおかしていく再発を、繰り返さないレベルの回復が目指されることは、まずほとんどないのである。火が燃えたと思ったら水をかける。水をかけて消えたと思ったら何とかして火をおこす。賽の河原の石積みのような作業は、あきらめがつくまで続けられるだろう。

ビールを飲み続けながら冷え性を治すには、一口のビールにじゅうぶんな感謝をすることである。
食べすぎを続けながら胃腸の症状を治すには、一噛み一噛みの食べものに、じゅうぶんな感謝をすることである。
「こんなに少ない量では飲んだことにならない」「こんな少しじゃ食べたことにもならない」と不平不満だらけになっていては、冷え性も胃腸の症状もおさまりようがなかろう。
いつ、どのようにして自分の不満にけりをつけるか。自分のワガママにあきらめをつけるチャンスは、痛み苦しみといった体からの警告の中にこそある。痛みは自然界からの親切なかけ声。そこに耳を貸すか貸さないかはそれぞれの生き方の選択のように思われてならない。
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「見てるだけ」の脳。「欲しい・どうしても手に入れたい」の脳。
2012/11/13(Tue)
ショーウィンドウで輝きを放つダイヤの前を「キレイ」と言いながらあっさり通り過ぎる人もあれば、黙ってへばりついたままの人もいる。手に入れて身に付けたときの自分の姿をリアルに思い描いている、真剣な目つき。
みんな同じ距離で師匠のやることを見ている人々にも温度差がある。心の距離はさまざまだ。
「あれをどうしてでも自分でやれるようになりたい」と思い詰めた目。穴のあくほど見つめていると、そのうち師匠の手の動きが自分の手もとに伝わって、師匠の見ている世界が自分の目の前で展開し、師匠の感じているさまざまなことが自分にも感じられるようになる。その瞬間がくるまで何度も何度でも飽きずに見ている。そういうときの脳波を計測すると、脳の全体に血流が活発にめぐっていることがわかるのだそうだ。自分自身が動いているのと変わらないような脳の活動を示すのである。
「あそこまでできるようにならなくてもいいけどね~」と思って眺めているときは、ショッピングで店員に声をかけられたときに「あ、見てるだけです。いいです」と立ち去って行くお客の脳波に近い。

操体法は技の数としては少ない。バリエーションはいくらでもあるが、単純な動きでしかない。じっさい動いてみれば初めての人にもすぐできる。初めての人にもすぐできる単純な動作だから、施術に使えて便利なのである。しかしそんなことを自分は二十一年もやって、まだ首をひねっている。
操体法のことがここまでわかるようになるまでに、これだけの年月を要したということではないのだろうと私は思う。「ぜったいできるようになるんだ」という決意ができるのに時間がかかっている。まだまだ本気が足りない。そう感じることがしょっちゅうだ。
理論を暗記しても、技をかたちだけやれるようになったとしても、そんなところに意味はない。そう感じている。

水墨画。水と墨だけの単純な世界の中に、どれだけあるかしれないグラデーションがある。そのグラデーションを感じ取れるようになれば、ヘタはヘタなりに素晴らしい画面を描けるようになるのも時間の問題だと私は思う。
感覚さえ。感じ取れさえすれば、よいのだ。自分の引いた線が、正しいか、正しくないかが、わかれば、あとは線を引くだけだ。
文章も同じ。作家の方にたずねたとき、「よい文というのがわかればいいんじゃないの」と言われた。自分の書いた文章が「いいかよくないかがわかるのなら、あとは書き続ければいいだけじゃない」。

「どうやったらできるようになりますか」「いつになったらできるようになれますか」と質問を受けることがある。昔、自分も師匠に同じ質問をした。質問するときどきに応じていろんな返事がかえってくる。
「単純なことだ。やろうと思えばすぐにでもできるようになる」と言われたこともある。
「単純だが、そうカンタンにはいかない」と言われることもある。
「わかるときは一瞬でわかる」「一発でわかる人にはわかる」そんな言い方をされることもあった。逆をかえせば、「わからない人にはわからないだろう」ということもありうるわけだ。
最近では、「ただコリをとればいいだけなんです。単純なことなんですけどね」などと施術中に説明されているのを聞くともなしに聞いた。「そのコリをとるっていうのが、またカンタンにはいかないわけで」とさりげなくつぶやかれる。そのつぶやきが妙に残った。重みのあるつぶやきに思われた。

「どうやったらできるようになりますか」「いつになったらできるようになりますか」とじっさいに質問を受けてみると、返事をしながら「どうしてこんな単純なことができないのか。ほんとはそのほうが不思議だよなあ」「どうしてこれがわからないか。そのほうが不思議だよなあ」と感じられる部分もないわけではない。「今すぐに、誰にでも、できそうなものだが」と思われることもある。いずれにせよ、私は「できるようになるまでつきあいますよ」と思う。私は自分ができるようになるまで師匠につきあい、あなたができるようになるまであなたにつきあう。そこには迷いがない。それだけは今の自分にウソはないということである。
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心は一歩も旅していない-最初に見た世界にしがみつかないことの難しさ-
2012/11/11(Sun)
同じメーカーで全く同じタイプのピアノが並ぶ中、試し弾きして一台選べと言われる。弾くとタッチも音もまるで違う。楽器とはそんなものなのだ。
家で実際に弾いたら妙な感じがした。搬入の時に落としたからだと母が気にして、ふたたび選び直した。そのとき応対したメーカーの男性が教えてくれた。
はたで見ていると、結局は最初にさわったピアノが選ばれることがほとんどなんだというのである。
タッチも音の出方もこんなに違うのだから、好みや考えが反映されて選ばれるものと思いがちであるが、結果を見れば、最初にさわったものから離れられない。考えに考えた結果の判断が、最初に触れたものにしがみつくというものだったとも考えられる。

「早期教育」とか「英才教育」とかいう言葉がある。
人間誰もがある意味では、早期に英才教育を受けているようなものである。まっさらな白い紙にインクが染みこむように、言葉にせよ食べものにせよ、生まれたときからの環境や生活スタイルは無意識に絶対的なものとして最初に定着する。あとで気がついて修正するには非常な努力が必要とされる。努力でどのくらい、どのように逃れられるかといえば、それはわからない。一番最初に試し弾きしたつもりが、すでにそれを無意識に選んでしまっている。その事実は無視できるものではなかろう。
子供に無料や格安で食べさせる機会をつくるファーストフード業界の戦略。これも最初におぼえた味から人間がどれだけ離れがたいかを研究しつくしてのことと思われる。

「学べども脳が断捨離をする」という川柳を聞いた。新しく学んだことが残らない、頭が受け付けないということだろうが、新しい学びが失敗するのは、むしろ断捨離ができないからである。
「新しいことを学ぶ」には、それまで身につけていたことを全部捨てるという覚悟がいる。
一時的にでも、スッカリ忘れたつもりになって吸収するのでなければ、新しいことは学べない。
専門学校や予備校や、大学や自動車学校などに通ったとき、若い人にまじって年配の方の姿が見受けられた。自分もその中の一人であったが、年配者は授業態度はまじめでも、若い人たちのスピードについていけない。「あんな軽薄そうな連中なんかに負けないぞ」と思っていても、試験をさっさとクリアーしてしまうのは若者である。若者は、まだよけいなことをごちゃごちゃ引きずっていないぶん、軽率でもあり身軽でもある。そこが強みである。
年配者に新しいことを教えようとすると、ものすごい抵抗にあう。「それは自分の辞書には書かれていない」と主張ばかりする。「自分の辞書」に書かれていないことをやるのが勉強であり学びであるということを理解するのが、年配者になればなるほど苦労なのである。

学びとは、脳が断捨離をすること。引きずっているよけいなものを断ち切り、捨て去り、離れることで、新しいものが入ってくる。年をとりつつ学びを進めることのむずかしさはここにあるということを、年を重ねるごとに感じている。しかし本当の学びもまた、そこを乗り越えたところにこそ、ある。そう信じて細々とがんばる。
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単純化せず、ありのままを見せる。ありのままを受け取る
2012/11/09(Fri)
下のきょうだいのいる家庭環境で、子供の頃から何かと「教える」生活だった。小学校にあがると、私を頼りにする友がいた。「わからない…」とおぼつかなげな様子を見ると放っておけない。自分の答えはまちがって、教えた答えのほうが合っていた。そんな皮肉もあった。

教えるときにウソをつきそうになる。それは当時から気がついていた。
単純化する。伝わりやすく加工する。そのほうが面倒がない。
「ああ、わかった。これでいいのね」と喜ばれる。それで自分も嬉しいのだが、同時にうしろめたさもある。結局だましているのだ。
納得いくまで修正をかさねようとすれば、「やっぱりわからない…」。
「この先、本人が気がついて修正していくだろう」とたかをくくり、「ウソも方便」とデタラメな説明をやっていた。ウソをつかずに教えるというのは非常にむずかしい。

わけあって、操体法を英語で教えることになった。
英語に変換する手続きの中で、ウソをつく危険がまた一つ増える。
ウソつきにならずに済むためには、どうすればよいのか。英語の世界に身を置いて、操体法を考え直す。

日本語も英語も身につけているという話だった。意思の疎通はお互い日本語と英語があるから何とかなる。さいしょのうちはそう思っていた。
日本語がたんのうな様子だったので、最初の一週間は日本語で通した。しかしどうも反応がおかしい。日本語を使いこなしてはいるが、日本語に対する語感が欠けている。英語は日本語ほど使えないが、語感のほうはまだしっかりしている。英語が身近な歴史を持つ国の人だからだろう。

幸いなことに自分の英語は使いものになった。「英語に切り替えてもらってから非常によくわかるようになった」と喜ばれ、確かに飛躍も見られた。
学生時代は英語の単語やフレーズを増やすことに熱心であった。しかしそれでは自分の言葉にはならなかった。少ない単語、少ない言い回しでも、自分にしっくりした話し方をおぼえるほうが役に立つ。ヘタな英語でも「これなら通じる」という自信と安心の持てる英語の語感を身につけるほうが、英語世界の住民として呼吸を始めることができるのである。
スタジオ内に流れる英語は私の英語だけ。彼は英語を使えないから、質問や会話は日本語でしてくる。私もそうそう英語ばかりで説明できなくなってくる。すると妙な日本語が私の口から飛び出してくる。
英語ロジックの日本語である。ほんとうの日本語ではない。これで何とか彼との意思疎通のベースは整った。

私は操体法を教えるときに、必ず以下のことを伝えることにしている。
「私の師匠はものごとを単純化して教えるなどということはしない。
ただやってみせる。
ありのままを見せる。
教えることは、じつに最小限。
私自身はそうやって操体法を教わってきた。
操体法はカンタンでもなく、むずかしくもなく、つまらなくもなければ素晴らしくもない。ありのままである。そのありのままが、いまだ私にはつかみきれていない。自分を超えたものであり、枠におさまるものではない。
自分の操体法の理解はそういうものである。
それをこんなふうにしてしまって、よいものだろうかと、いつも思うのです。教えるということに、実は迷いがある。迷いがあるのに教えてしまってよいものだろうかと思う」

単純でないものは単純でないままに。単純か単純でないか。それを判断するのは受け取る本人の問題である。
教科書のうさんくささは、何歳の人間にはこの内容を、この順番で教えるのが適切だという役人の判断にある。ここから先は教えるなという鉄格子が隅から隅までガッチリとはめこまれ、単純化されたウソと方便で成り立っている。そういう教科書で最初に学んでいるものだから、私たちは何でもかんでも教科書式に教えてもらうのを有難がってしまうのだが、結果、ニセモノをつかまされて喜んでいるかもしれない。要注意である。
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夢の中で食べまくったラーメン代の請求書がくる。
2012/11/07(Wed)
今日もまた何をして過ごしたかわからないまま一日が終わる。無意識で過ぎてゆく日常の中に、時たまハッキリした意識が戻る。まだらぼけみたいな日常だと我ながら思う。
今の自分を積み重ねた先に未来の自分があるというのなら、今の自分は、過去の自分を積み重ねてつくられた結果である。
過去の自分のスタートを生年月日に置いて、子供時代のことを振り返ることもあるが、過去のスタートをぐっと昔の、前世というところに置いてみたところで変わり映えしない。子供時代なんて自分にも確かにあったのだろうが、夢の中の出来事のようなものだ。はっきりした記憶がないのだから、あったともなかったとも言えないのである。
無意識な生き方を積み重ねてきた自分は夢の積み重ねでつくられてきた自分ともいえるだろう。

操体法のおもしろいところは、足の上げ下ろし、腕の上げ下ろしといった、誰にとってもささいでつまらぬこと、夢の中のできごとのようなことを、わざとゆっくりやってみて、わざと感覚をはたらかせてみて、現実の日のもとにさらけ出すということをやることである。
こんなふうにしか自分の腕は伸ばせないものだったかなあ。自分の膝は、左右でこんなに上がり方が違うんだったか。
だんだんと、無意識な体のクセが、意識されてくる。
夢の中で繰り返し行ってきたありとあらゆる自分の行動が、現像されて引きのばされて、くっきり鮮やかなカラー映像として見えてくる。
他人にはわからなくても、自分自身にだけはハッキリと、手に取るようにわかる。
「それがどうした」といわれればそれまでだが、自分の目に映る自分の姿がどんどんリアルになってゆくことが不思議発見のわくわくした気持ちをともなうこともある。

私はそこまで自分の行動を意識していない。無意識の中で生きてきたし、一日24時間のうちのほとんどを無意識で過ごすような生き方であった。潜在意識・無意識の世界が大部分。時々はまだらぼけみたいに、意識が戻る。まだらぼけの日常を送り、まだらぼけの人生を送っている。
操体法をやっていくうちに、だんだんとそういうことを思うようになった。
意識が戻ったときに周囲を見回してみると、夢の中で食べまくったラーメン代の請求書が散らばっているような気分になる。
生活が人間をつくるという。病気も生活からつくられる。何もやってないつもりで、実はたくさんのことをやっている。夢の中だろうと覚めているときだろうと、自分のやったことは自分のやったこと。請求書の金額を支払うのだって自分である。支払うときも無意識か。それとも覚めた意識で支払うか。そのどちらかくらいは選べそうなものである。
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全ては地球の芯に向かって吸いこまれてゆく-足にのる。重心移動ということ-
2012/11/04(Sun)
砂の入った重い袋や、水の入った袋だとかを、床にどさり投げ出してみると、じつに完全に床に身をまかせきっていて、当然のように袋の重さは受けとめられている。無心の赤子が母親の腕に抱かれたまま安心して眠っているかのようだ。
50キロ以上ある自分の重みもまた、赤子のように身をまかせきって、床に抱きとめられているだろうか。
操体法の重心移動のじっさいは、そのような体の感覚による。

足は、体の重さを床にまかせている。
上半身の力は下半身へと向かい、下半身の重みは床を踏みしめる足のうらから床へと抜けて、さらにその奥のほうへ、地球の芯へと吸い込まれてゆく。肩の力も抜け、頭のもやもやも抜け、すっかりカラッポ。軽快な気分である。

はだしの足のうらで、床にかかる自分の重さを感じ、床は床で重みを支えてくれている。
「床にのる気分」「床にのった気分」を、じっさいに、まざまざと、味わう。

①右足にのり、左足にのり、交互に体の重さを入れ替えてみる。
容器から容器へと水を移し替えていくみたいに、なめらかに。
②右足⇒かかと⇒左足⇒つま先と、体の重さをぐるぐると回していく。
バスケットボールを軽くパスしていくみたいに。
③左足⇒かかと⇒右足⇒つま先へと、逆回りにも、してみる。
どっち回りのほうが、うまくスムーズにいくか。どこらあたりでパスボールはコースをはずれてしまうか。
そういうことを、感じ取ろうとすれば、感じ取ることも、できる。

パスは、うまくいく方向にだけ、回す。パスボールがほいほいと回りやすいところだけを、何回も軽く流してやると、どうなるか。どういうことが起こるか。
さいごは動診(動きのテスト)で、かくにんする。
右回りも左回りも、きれいな円を描きながら、ボールがほいほい回るようになったら、成功です。
④イスに座って、お尻に体重をのせて、右のお尻、左のお尻で、パスボールを軽く回すことも、できます。

全身の関節が、できるだけたくさん関わりあって、互いに協調するように。力の流れがとどこおりなく、移し替えられていくように。あまり欲張らず、期待もしすぎず、無理のないように続けていく。
立っているとき。座っているとき。いつでもどこでも、できます。
体に力を入れてやるのは逆効果。
体の力が抜けてゆくのが自分でもわかってきたときに、よいことは本格的に起こり始めます。
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夢の中で食べまくったラーメン代の請求書がくる。
2012/11/03(Sat)
今日もまた何をして過ごしたかわからないまま一日が終わる。無意識で過ぎてゆく日常の中に、時たまハッキリした意識が戻る。まだらぼけみたいな日常だと我ながら思う。
今の自分を積み重ねた先に未来の自分があるというのなら、今の自分は、過去の自分を積み重ねてつくられた結果である。
過去の自分のスタートを生年月日に置いて、子供時代のことを振り返ることもあるが、過去のスタートをぐっと昔の、前世というところに置いてみたところで変わり映えしない。子供時代なんて自分にも確かにあったのだろうが、夢の中の出来事のようなものだ。はっきりした記憶がないのだから、あったともなかったとも言えないのである。
無意識な生き方を積み重ねてきた自分は夢の積み重ねでつくられてきた自分ともいえるだろう。

操体法のおもしろいところは、足の上げ下ろし、腕の上げ下ろしといった、誰にとってもささいでつまらぬこと、夢の中のできごとのようなことを、わざとゆっくりやってみて、わざと感覚をはたらかせてみて、現実の日のもとにさらけ出すということをやることである。
こんなふうにしか自分の腕は伸ばせないものだったかなあ。自分の膝は、左右でこんなに上がり方が違うんだったか。
だんだんと、無意識な体のクセが、意識されてくる。
夢の中で繰り返し行ってきたありとあらゆる自分の行動が、現像されて引きのばされて、くっきり鮮やかなカラー映像として見えてくる。
他人にはわからなくても、自分自身にだけはハッキリと、手に取るようにわかる。
「それがどうした」といわれればそれまでだが、自分の目に映る自分の姿がどんどんリアルになってゆくことが不思議発見のわくわくした気持ちをともなうこともある。

私はそこまで自分の行動を意識していない。無意識の中で生きてきたし、一日24時間のうちのほとんどを無意識で過ごすような生き方であった。潜在意識・無意識の世界が大部分。時々はまだらぼけみたいに、意識が戻る。まだらぼけの日常を送り、まだらぼけの人生を送っている。
操体法をやっていくうちに、だんだんとそういうことを思うようになった。
意識が戻ったときに周囲を見回してみると、夢の中で食べまくったラーメン代の請求書が散らばっているような気分になる。
生活が人間をつくるという。病気も生活からつくられる。何もやってないつもりで、実はたくさんのことをやっている。夢の中だろうと覚めているときだろうと、自分のやったことは自分のやったこと。請求書の金額を支払うのだって自分である。支払うときも無意識か。それとも覚めた意識で支払うか。そのどちらかくらいは選べそうなものである。
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部分としてもちょうどよく、全体としてもちょうどいい-どこまでも続く地平線の気分-
2012/11/03(Sat)
軽く押して、痛みを強く感じるところは圧痛点とよばれる。体をゆるめるのに大切なツボのようなものだ。同じところでも、指を押しこむ方向や押す場所のちがいにより、痛みの感じがかわる。ギターの弦の押さえ方を変えて音色を変えるみたいに、圧痛点も押さえ具合によって痛みの感じられ方がちがうのである。
圧痛点の中でも一番強く痛みを感じるところは最大圧痛点といわれる。最大圧痛点を見つけるには、いくつかの圧痛点を見つけ、押し比べてみて、「これが一番痛いし、いや~な痛みだ」というのを一つ決める。

そういうものを、体(筋肉)から見つけることができるのである。
見つけようと思ったら、見つかる。
操体法は、圧痛点を利用して、広い範囲の筋肉をいちどきにほぐすということを、やる。
部分部分でほぐすより、全体の中の一部として部分を処理することで、部分としてもちょうどよく、全体としてもちょうどいいということを、ねらっているのではないかと思う。

最大圧痛点を決めたら、そのままぐう~っと押したままにしておくのも、いい。
痛みを味わっているあいだ、姿勢はしぜんにまかせ、動くなら動いていい。一分もすれば、さして痛くもなくなる。指先の硬さがゆるんでいるのもわかる。指を離すタイミングである。
全身がゆるんで気持ちがスッキリしている。目の前にはどこまでも続く一本の地平線が広がる気分だ。

圧痛点がわかるようになったら、指で押さえて痛みを感じているまま、少し動いてみるといい。
指先に筋肉の動きが感じられる。まあ体を動かしているのだから当たり前であるが、痛みが感じられなくなる姿勢がある。「圧痛が減ってきたな」「あ、痛みが消えた」というところで、「ハイ、ポーズ」。姿勢の保持である。数秒間姿勢を保持した後に、全身の力をすとんと抜く。「はあ~あ」と息を全部吐き出すと、抜けがいい。
一度で痛みが消えるときもあれば、何度かやって痛みが消え、全身がゆるみ、目の前に一本の地平線がどこまでも広がっている。

そういうコトを、体(筋肉)から見つけることができる。
見つけようと思ったら見つかるものである。
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「筋肉ほぐれシステム」がどんな体にも自然に備わっている。
2012/11/01(Thu)
からだの動きに関心を向けていくということは実は一番むずかしい。
自分の体の動きは、自分の思うようにできる。それが「随意運動」といわれる。
しかし日常のふだんの動きはオートマチック。反射的・無意識的に動いている。
運動選手は体の動きを日々調整し、どのタイミングで、どの足に、どのくらいの体重をのせる、などということを考え、体で自分の思うことがどのくらい実現されているのかを、自分自身の感覚や映像で確認したりする。
だから、体の動きが思うようにできるといっても、そうカンタンにはいかないことも知っている。
運動選手が自分の動きをよく観察し、感じ取ろうとするように、ふつうの人が自分自身の体の動き、動かし方に目を向けるということはない。
そんな必要はないと考えられているからである。

運動選手はフォームを研究する必要がある。ケガや故障をせずに選手生命を長らえさせることは絶対不可欠の課題だからだ。勝つためには練習も必要だが、練習を積み重ねて体を酷使し、体をこわせば元も子もない。現実はスポ根マンガのようにはいかない。
ケガや故障をしない体の使い方。自然法則に反しない、無理のない合理的な体の使い方を身につければ、疲れ知らずの元気な生活を長く過ごすことができるだろう。

操体法は、何もむずかしいことはない。どんな動きでもかまわない。「動かしにくい動き」「痛みを感じる困難な動き」があったら、その逆をいけというのだ。逆をいく「バック運動」を何度かゆっくり繰り返してやると、動かしにくい動きは動かしやすくなり、痛みを感じていた困難な動きも、痛みが半減もしくは感じなくなるところまで回復しますということである。
ほんとうは3分もあれば操体法の指導は終わってしまう。もちろんむずかしいワザや技術はある。それは時間がかかる。しかし自分の症状に対応したいという程度なら、そこまで身につける必要もない。原理はカンタンなことなのだ。
「動かしにくい」「動かしやすい」「痛みを感じる」「痛みを感じない」「つっぱりや違和感がある」「違和感がない」
体を動かしていくと、筋肉の伸び縮みを感じる感覚受容器や感覚神経などの働きで、いろんな情報が感じ取られ、脳へと伝わってくる。伝わっているはずなのであるが、「いやべつにどうもない」「わからない」「どの動きも全部同じでしょ」というのがおおかたの感想である。「右にねじる。左にねじる。どっちもおんなじじゃないんですか」と動かす前から関心を持たない人も少なくない。ものを握れなかった人が握れたというのなら感動もあろうが、「ねじりにくい」というちょっとした感覚が、「ねじりやすくなった」くらいで何をそう大騒ぎしなきゃいけないんだという話である。

痛みのない、ラクな動きを繰り返すと、筋肉がほぐれて体が軽くなる。体はもともとそのようにできている。そのような「筋肉ほぐれシステム」がどんな体にも備わっている。それを大いに活用すると「万病を治せる妙療法」というところまでできますよというのが、橋本敬三医師の著書『万病を治せる妙療法―操体法―』の言いたいところだろうと思う。
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