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カメラの銃口をひとりひっそり自分に向けてみる
2012/10/25(Thu)
盗み撮りという言葉がある。承諾を得ずに撮影した映像は盗品という考え方である。物が減れば盗んだ盗まれたと判るが映像を撮られても減りはしない。目には見えない盗みである。カメラを手にするとき、何とはなしに後ろめたさや緊張感を感じるのはこういうところからくるのかもしれない。

私は生まれてこのかたカメラを持たずに五十年を過ごした。一方的に撮られっぱなしの人間だったのだ。
カメラを向けられるのも人一倍嫌いである。自分の分身のような映像が自分のあずかり知らぬところで増殖していく。そんなコピー技術そのものに嫌悪と不信感を抱く。
その反面、映像と音声の圧倒的な力を活用したい気持ちもある。二つの気持ちのせめぎ合いの中に、六年前に買って封を切られることもなく自室に放置されたままのビデオカメラはある。

先日、施術を受ける姿を撮影してほしいと頼まれた。機械恐怖を持つ私はその数日前にカメラの封をとき、取扱説明書にマーカーを引き引き近所の電気屋に通い、何とか基本の操作を身につけた。そして自分のビデオカメラではじめて撮影をした。自室でひとり、映像を確認する。大画面で動くその人の体の動きに目が離せなかった。そしてまた、再生される話を聞き、深く思うところあった。何度見ても何度聞いてもその度ごとの発見があったのだ。
かねて約束のとおりにダビングしたディスクを郵送したら、メールで感想が送られてきた。
「自分の姿は、自分の思っていたよりも弱いような印象があった」と。

戦場などにいて、自分が取り乱しているときに、他人にカメラを向けられて喜ぶ人などいない。カメラマンが不幸な人間にカメラを向け、シャッターを切るのは、銃口を向け、引き金をひいている姿に似ているかもしれない。さぞかしストレスの多い仕事であろう。被写体が何であれ、アウトサイダー的な人間でなければできないはずだ。
それを思うとき、私の一番最初の撮影がこの人であったのはほんとうに幸いであったと思う。
「自分を撮影してほしい」
そう言われたときに撮影するというのは、自分の姿を本人自身が撮影して記録するのにかなり近いかたちである。
スタジオでカメラを固定して、自分自身の動きを撮影してみる。不幸せなときも、少し静かな気持ちで、カメラの銃口をひとりひっそり自分に向けてみるのなら、いい。映像で姿を確認したあとに、いつの日か、自分自身の手で消去ボタンを押し、自分自身の姿に決着をつけてみるのも、いい。
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