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肉をきらせて骨を断つ-切られてからしかわからない手術痕の影響-
2012/10/11(Thu)
「体のどこか切った?」
体の動きを見られるうちに声がかかる。尋ねられたほうはキョトンとしている。
「手術受けたことある?」再び尋ねられて、「いやとくにそんなことは…」と首をかしげている。
「おかしいね。支える足は左だのに右が短縮している。動きも逆だ。切られてるんじゃない?」
「二十年かもっと昔のなら…」口ごもりながら「盲腸くらい切ってますけど」。
「傷はどこらへんにある?」おそるおそる手をやると、「そこを手で押さえていてごらん」。
小首をかしげながら「こうですか?」。そしてさっきまでできなかった横倒しをやる。体をひねる動きをやってみる。見ていた一同が「おお~」。本人も「あ、できますできます」とあっけにとられている。
「置いた手を離してごらん」。言われた通りにすると、たちまちできなくなる。押さえる、押さえないを何度か繰り返して確認する。
かなしい事実だが、体を切るとこういうことが起こる。

メスで切ったあとのことは、切られた本人さえ忘れているくらい放置されている。しかし切った影響が語られないからといって、影響がないということではない。同じ目にあった私としては何度きいてもイヤな話だ。手術痕の影響というのは。
生活も調整もまじめに取り組んで、動きもわるくない。だけど何か行きづまっている。周りの人と比べても経過がどことなくちがう。自分のマックスこんなもんかなあと思いかけていた頃に、「なにかあるのかもな」と声がかかった。「どこか切ってないか」。わたしは11歳から自分一人で食べものに気をつけ始めて病院に行くまいと意固地になっていたのだから、そんなことは自分に限ってない。そう答え続けた。「ない。そんなことない」と思って過ごすうち、「あぁ…そういや、あったかなあ…」。暗い記憶の奥底から浮かびあがってくる途中の、まだ形にもならないもの。思い出さないほうがよかったようなものが、ふいにぽっかり姿をあらわす。何もまだわからない、幼児のころの自分に起きた、動かしようのない事実。「ぐうの音も出ないとはこのことだ」と苦い思いをしながら向き合うしかなかった。
手術痕を押さえる。すると体はウソのように軽くなり、動きがちがう人のようになる。手術痕を離す。するとふだんの自分の、もとの感じになる。
「なるほど手術の影響とはこういうものなのか」。初めてわかったように思う。もう四十年以上も前の出来事だ。かんべんしてよ。時効でしょ。そのように、思う。夢のように遠い過去の出来事の結果が今ごろになって、こんなかたちで知れる。切られなければ、このウソのように軽い別人のような体が、自分のものだったのだ。自然が私に用意してくれていた、本来の体。本来と、本来でないもの。切ると切らないとで、こうも差が出るとは残念である。他人のは平気で見れても、自分のことともなればこうもちがう。

それは自分の新たな突破口となった。新たな原因がわかる。すると新たな具体策も立つ。手術痕にテーピングしながら調整を続けるうちに、はっきりとした飛躍を見た。体に残されたヒストリーをたどって対策をとると、こうもちがう。
「肉を切らせて骨を断つ」。当時の私が受けた「鼻づまりの手術」は痛い思い、恐い思いを味わいこそすれ何の益ももたらさなかった。しかし切られたからには切られっぱなしではおもしろくない。切らせたからにはどこかにある骨を見つけ、断ち切れたらなどと思う次第。
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