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今日は死ぬにはいい日和
2012/10/05(Fri)
生まれるにはどんな日がよく、死ぬにはどんな日が理想か。病院の都合で人の生死の日時まで薬物コントロールされる時代だという噂もあるが、そんな操作があるにせよ、楽しいハッピーバースデーの歌が流れない日が一日としてないならば、どの日だって死ぬのによい日和ではないのか。

「私はもうこのお盆までだろう」。正月早々、和尚が言う。寺の者たちが驚いて、「お盆はただでさえ混みます」と返したところ、「では今日にしようか」と言うのでさらにあわてたら、「今日というのも急だから明日にしよう」と言う。本気にする者はなかったが、翌日になると和尚はりっぱな往生をしたという。そんな話がある。
あまりにあっけない話だ。これは命を軽んじた話だろうか。和尚はたとえ死をさとっていても、ギリギリまで生きるべきだったろうか。
死ぬのは半年以上先のお盆でも、正月の今日でも、かまわない。生きるのがお盆まででも、今日まででも、和尚にとってはまったくの同じ価値、同じ重みだったとでもいうのか。

死ぬことは、生きることより重大というわけでもなく、生きることは、死ぬことよりも重大というわけでもない。
和尚は自分の死と自分の生を、かっきり同じにあつかってみせた。私たちが無頓着に、あたりまえに一日を生きて迎えるように、無頓着に、あたりまえに死を迎えた。
和尚は死を無頓着にあつかい過ぎたろうか。死をもっと重くあつかえというのなら、生きることだってもっと重くあつかわなければならないだろう。その重い生を、私たちはあたりまえに受け入れ、無頓着に生きている。いいとかわるいとかいう以前に、そういう事実がある。それを私は大切にしたい。

山や川のお気に入りの場所で、ぼーっと一人で過ごしていると、「ああ死ぬのにいい感じ」とどこかで感じている。死を恐怖の対象にして、ちょっとした異変が起こるたび、「死ぬ!死んじゃう!」と母にしがみついて大騒ぎしていた子供の頃の自分に、「なにも恐れることはない」と一声かけてやりたくなる。母は病院に駆け込む。医者は「放っておいたら大変なことになる」と言う。次々と検査が続き、おどろおどろしい菌の名前や病名を知る。むざんな末路を聞かされて集団ヒステリーのようなことになっていた。薬で胃腸は慢性的に荒らされ、偏頭痛や神経痛持ちの小学生。不定愁訴のオンパレードに悩んだのも今となっては茶番。喜劇である。
「いつ死んでもよいように」と小さな子どもの頃から死の覚悟と姿勢をしつけられるのが当たり前。そういう時代もあった。子供も大人も、自分の死と自分の生に向きあわされる機会が多かったろうと思う。今は、死をできるだけ避け、生きるのを長引かせる細工や工夫が発達し、普及しているだけに、「死ぬのだけはイヤ」とだだっ子のようなことになってはいまいか。恐くてぶるぶる震えているだけになってはいまいかと、思われる次第。


※「今日は死ぬのにもってこいの日」という訳もあります。
Today is a good day to die.というアメリカインディアンの言葉の訳語。
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