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人はいくつの声を持っているか?―かわいい裏声の檻から一歩出る―
2012/09/28(Fri)
地声。お坊さんのろうろうとしたお経の声をイメージするとはやい。腹式呼吸の発声だとああなる。
あの発声ができるようになった途端、人が変わったようになるケースもある。裏声でとりつくろっていた自分が急にバカバカしくなって人との対応から態度までがガラリと変わってしまう。変わったというよりむしろ、たくさんあった引き出しの鍵が一つ開いたということなのだろう。

舌は二枚舌三枚舌というが、発声もさまざまだ。人のふだんの話しかたはふだんの呼吸のやり方と大いに関連し、ふだんの心のあり方を大いに反映してもいる。キャーキャー上っ面ではしゃぐのは裏声に限る。地声であそこまでのテンションにはなりにくい。
テレビから聞こえてくるのはほとんどが裏声。男性ボーカリストの歌さえ裏声をうまく操るものが多い。文化全体、社会的傾向ともいえるかもしれない。

学生時代に知る人ぞ知る発声教室に高い受講料を払って通っていた時期がある。
受講生に美しい女性OLが一人いて、地声がいつまでも出せなかった。何ヶ月か指導を受けていろんな方法を試すうち、濡れタオルを振り回したはずみで「ええ~い」ととんでもない声が飛び出した。ドスのきいた男性的な声に一同驚いたが、一番びっくりしたのは本人。口を押さえてぽかんとしていた。
後に話を聞いたところによると、その後、彼女は私生活で均衡を失ったという。
「これが、わたし?」「これも、わたし?」「どっちがほんとうの、わたし?」
自分の中に隠されていた声。自分自身でも隠していた声。何と言ってよいのかはわからないが、それまで自分がとりつくろっていたのとはちがう、地の自分とはじめて向き合った瞬間。それがあの「ええ~い」だったという。
「これまでの自分はいったい何だったのだろう」
裏声でとりつくろっていた自分が急にバカバカしくなった。職場でも少しずつ地声を出すようになり、人との対応から態度までがガラリと変わってしまった。その変化に自分自身も周囲にもとまどいがあり、混乱の時期があったのだという。
「でもそこそこ落ち着いてきました。使い分ければよかっただけのことでした」と笑っていた。

自分の地声を知らないまま過ごしている女性は私の身のまわりでも非常に多い。
裏声はつくった声である。心の底から「わっはっは」と豪快に笑うこともできないし、「なんだ、こんにゃろ~」と心の底から怒りを発することもできない。韓国の泣き女のように心の底から悲しみを吐き出すこともできやしない。裏声は、いうならば猿ぐつわであり、お化粧した声である。化粧された心を表す、実感の伴わない声といっていい。
地声にもまた、いろんな段階があり、裏声にもまたいろんな段階がある。
呼吸法や瞑想を繰り返していくことで、また引き出しの鍵が開き、中からいろんな「わたし」が飛び出してくる。地声ばかりを使っていては本人はよくても周囲に多少の迷惑になることもあろうし、裏声ばかりではほんとうの自分の心のありかがようとして知れない。ここは自分の地声も裏声も幅広く、いろんな場面に応じられる自在さを持つのがいいに決まっている。

本音とはほんとうの、音色。声は心。心は、音だ。
かわいいだけの裏声の檻から一歩踏み出して、自分のほんとうの音を聞いてもらう。そういうこともあっていい。腹の奥底を吐きだす声を使えるようになったら、本音を出しあい、本音に耳を傾けるものたちがおのずと集まって、力強いハーモニーをかもし出す。肩の力もおのずと抜け、腹もすわってくる。発声とは本来そういうものだとわたしは思う。
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