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毎日がオリンピック-生活の舞台で満足のゆくパフォーマンス-
2012/09/04(Tue)
患者の立場で生きていたころは、黙っていても勝手に治してくれるものだと信じていた。
病院の診療に慣れるとそういうことになってしまう。
病院は患者さん一人につき3分程度でけりをつけなければ回っていかない仕組みを持つ(保険外診療の病院やクリニックは別である)。

「治してほしいのなら、どこを、いつまでに、どのようになるくらいまで治したいと、きちんと要求を出せばいい」と、ある人が言っていた。そうでないと、あいまいになってしまうと言う。
うちの師匠はべつになんにも言わない。しかし二十年も毎週足を運んでいれば、およそどういう方針か見えてくるものはある。十年以上通ってくる患者さんたちは、さすがに心得たもので、注文があれば手短に、ぱっぱと必要なことを伝えていく。要求を出しさえすれば、要求に忠実なフォーカスをしてくる。要求がはずされることは、まずない。そこに信用と信頼が築かれている。
要求のあいまいな患者さんは要領もわるく、痛いのつらいのと言ううちに施術の時間が終わってしまう。治りたいということに集中できず、むしろぐちを聞いてもらって安心したいという要求のほうが強いのかもわからない。

いつまでに、どのくらい治れば、患者として納得できるのか。
そういう基準も目安もないままに、どうして「治療がうまくいっている」とか「うまくいっていない」とか評価できるのだろうか。自分が患者さんの立場にいたころのことを振り返ると、不思議でならない。
熱心な患者さんにも二通りある。「治してもらうこと」に熱心な患者さんは、治ることを人一倍望んではいるように見えるが、治すのは「どこかの立派な専門家がやること」と思いこんでいるふしがあり、熱心なわりには真剣に取り組む姿勢が見られない。
「とにもかくにも治るということ」に熱心な患者さんというのはオリンピックの選手のようなものだ。じっさいに走ったり飛んだり、生活の舞台でパフォーマンスするのは自分自身に他ならない。自分の取り組みがうまく運ぶよう、客観的に見てもらって的確なアドバイスをもらうため、監督さんである医者や治療師さんのもとに足を運ぶ。
監督えらびは結果を左右する重要なことだ。しかし監督さんも毎日そばでつきっきり面倒みてくれるわけでもない。ましてや自分にかわって記録を出してもらうこともできない。

24時間体と向き合っているのは自分自身。「自力療法」である操体法の強みはまさにそこにある。
日常生活で納得と確信のパフォーマンスを実現する。そこに意識を集中することが、満足のいく結果につながるカギであるだろう。
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