FC2ブログ
2012 07 ≪  08月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2012 09
自然に法則はあるか。宇宙に法則はあるのか。
2012/08/31(Fri)
草むらに虫取りあみを突っこんで何度かすくってみる。こんないい加減なことでも、じっと目をこらしてみると、あみの中に何やら入っているものがある。
日常という草むらには何も住んでいないように思われるが、アンテナを張って虫取りあみを振り回してさえいれば、目に見えない自然の法則や宇宙の法則がいくつか引っかかってくるように思われる。
アンテナというのは身体に張りめぐらされた神経とその感覚。そして虫取りあみの一つが操体法。そのように私は考える。

「運命の偶然」という言葉がある。偶然というのはデタラメということ。公式も法則もない。つかみどころがなく、どう智恵をしぼったところでムダ。しょせん人間は偶然に振り回されるしかない。そういう世界観が「運命の偶然」という言葉から広がってくる。
「自然法則」とか「宇宙法則」という言葉はその逆である。
この世の中で起こることはデタラメではないということ。公式もあり法則もあり、人の智恵しだいではコントロールできる部分もあるということ。そういう世界観が「自然法則」とか「宇宙法則」という言葉から広がってくる。

日常を偶然で片付けてしまう楽観主義がわたしには強い。その一方で、日常の、偶然のように見えるものの中に、法則性を見出そうと、操体法でささやかな努力を重ねている自分もいる。
身にふりかかってくる火の粉を「一切は偶然だ運命だ」と全身で受けとめられればいっそせいせいする。しかし火は偶然に燃えるのではない。もともと燃料となるものがあり、いくつかの条件も加わわった結果、炎が上がり、火の粉が舞う。その一連の出来事の仕組みを、せめてわかりたいものだとも思う。

「もう全ては偶然だよ、運命のイタズラだよ」と片付けたほうが、いっそ早いのかもしれない。
法則がわかってきたからといって、ふりかかる火の粉の量は減らせないのかもしれない。
それでも、この偶然としか思えない自然や宇宙が、何らかの法則をもって運行しているというのは、おどろくべきことではないかとわたしには思われる。
私たちの暮らしの舞台そのものが、自然であり宇宙である。自然は海や川や山や、南極の氷のことではない。宇宙は高度なテクノロジーを駆使したロケットで行く、どこか遠いところではない。
他のどこでもない、ここが自然であり宇宙である。自然も宇宙も自分自身のことだ。
そこに法則があるということを、自分自身の体で実感をともなって感じられるということ。
それが感動以外のなにものでもないことを、操体法は教えてくれている。
スポンサーサイト



この記事のURL | 自然法則 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |