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「しのぎ食」と「ばっかり食」で聞き分けのよい体を育てる
2012/08/27(Mon)
無理なく少食の感覚が身についたのは、歩くのを楽しみたいという欲求からだっただろう。
足ののろいわたしが日帰りの山歩きをすると、食事どころではなかった。登山口まで車をとばすだけでも二時間余り。そこから歩き始めて頂上行って帰るとなると、もう晩方。ほとんど夜になる。
「頂上まで気力体力をどうもたせるか」しか頭になく、ひたすら体をととのえながら歩く。どこをのぼるにも少々余裕が足りなかった。腹が減れば飢えをしのぐていど。一口入れてはもぐもぐもぐもぐもぐひたすら噛みながら歩く。もしくは休む。腹がふくれてしまってはわたしは歩けない。足も強くはなかったが、胃腸も強いほうではないのだろう。できるだけ飲まず食わずで体が動くほうが都合がよい。荷物も軽くなるし、胃腸の負担も軽くなる。

子供の頃からもともと外出先で飲み食いすることに慣れていない。どこに出かけるときも山歩きと同じように、小さいペットボトルに水を詰め、飢えをしのぐ「しのぎ食」として干し芋やドライフルーツを持ち歩く。三日や四日持ち歩いてもちゃんと食べられる。
旅先でもキャンプでも、ちょろっと持っていく。お守りのようなものだから、帰宅すると残していたりする。干し芋とプルーンはもう食べ飽きた定番。しかし空腹のときの安心を得られる。「しのぎ食」と「ばっかり食」とを兼ね、三日くらいならこれで楽しくしのげる自信がある。
べつに毎日毎日繰り返し、腰をかけて食べる必要もないんじゃないの。
いつの間にか、そういうことに自分の中ではなっていた。
週に一度の山歩きで「しのぎ食」のプチ断食のような状態をつくっていくうちに、ゆっくり腰をすえて食べるのこそ、週に一度か二度くらいでじゅうぶんという感覚が育っていった。
いちいち数時間ごとに食卓についていなきゃならないなんて、まったく不自由この上ない。食卓に縄をつけられて生きているようなものだ。

かえって不活発で体の動かない日にけっこう食べてしまう。
ムチウチで体調がととのわず、外に出られなくなった時期は、定期的な山歩きの習慣もくずれて食べる量が増量。それでまた体が動かなくなるという悪循環だった。
家から出られるようになると、だらだら食べるということが少なくなって体調もととのってくる。
だらだら食べるクセが出てきたら、とにかく外に出る。読書や書くことなら、どこでやろうと同じだから、もう歩かないでも外に出る。
「食べもの持って来なかったよ」と知らせると、体は「合点承知」。「食糧は干し芋とプルーンがこれだけだよ」と見せると「合点承知」。
しばらくむずかることもあるが、そのうちあきらめてくれる。

なんと聞き分けのよい子だろうか、とほめてあげている。
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