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交通事故にあった人が初めて知る医学用語、「症状固定」。
2012/06/30(Sat)
これ以上治療する意味がないという医師の判断で、後遺障害の認定に必要とされる医学用語。三か月から半年程度の通院が保険会社の出す目安であり、医師も患者も「もう改善はないかもなあ」とあきらめムードになる。
症状固定だよなあ→どこにどんな症状が残ったか、書類上にとどめ、→認定機関に等級を決めてもらう→等級に応じてお金が支払われる。
このような機械的な社会システムで交通事故はおおかた終了する。

どんなに軽い交通事故でさえ、どこかで区切りをつけなければ永遠に終わらない。
そういうものなのだ。
問題は、本人がそれで終わりにできるかということである。
確かに気持ちの整理はつく。しかし体の生理は落ち着くことがない。お金で終わりにはならない。ずっと同じ体で生きていかねばならないのだから。

つらいけど、お金をもらったからしょうがないという心理がないと言えばウソになる。
気は、済んだ。元の体に戻せと騒いでもどうしようもないから、そこは納得する以外に方法はない。
つらいのは、事故にあう前も、事故にあった後も、ほんとうは、あまり変わらない。
そう思うことにしている。
人が一度に引き受けることのできる苦労の重さは、一定量で決まっている。こっちで悩みがなければあっち。あっちで悩みがなければそっち。そのようになっていることがほとんどではないのか。
事故後の新しい悩みを引き受けるかわりに、事故の前にかかえていた古い悩みは吹き飛んでしまった。
その程度のものだったのだなあと思う。

「こんな目にあって、それまでやっていたことが今はできなくなって、ぜんぶお休みしてるんです」と訴える人の姿を見ていたら、ふと、「新しいことのできるチャンスじゃないですか」と口に出た。
「それまでやっていたこと」が、元通りにできるようになるのかどうか。それはもう誰にも分からない。
しかし、「今はできない」というのが事実だとすれば、すでに新しいことは始まっている。
新しい時間の過ごし方が始まって、日々新しい体験が始まったのだ。
そこで泣いてばかりいることもできるが、新しい発見は、なぜか人に喜びをあたえるものだから、驚くべき発見の喜びも、いつか必ずある。

よいことづくめのよいことはない。わるいことづくめのわるいこともない。
事故から五年。私はようやく少しずつ収穫が始まっているところだ。

※七月の操体法講習は以下の日程で行います。
野間教室…11日、18日、25日、28日のいずれも昼二時から。
天神…14日昼三時から。飲み会は参加自由。

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