摂生なんかおぼえられたら経済は成り立たない
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2012/06/01(Fri)
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ガラス屋が窓ガラスを割って歩く。もののたとえの話だが、経済は他人の不幸で繁栄する面を持つ。戦争で景気が回復されるのも一例だ。
平和な国にもガラス屋の役と、窓を叩き割る役が、はからずも連携プレーをしていることが少なくない。お菓子屋さんと病院の関係も、知られるところだ。 我が家のかかりつけの病院長は、気のゆるみから出た失言により、六名の治療熱心な患者を失うというヘマをやった。 いや、そうではない。彼は「お菓子食べてると治らんもんなあ」の一言で、六名もの難病患者を治した名医だったのだ。それは恐らく、長い年月を患者と接するうちに養われた彼の直観だったろう。おかげで私たち家族は病院通いからスッカリ解放されてしまった。 難治性の感覚障害の方が、ふと思い当たって四十年来毎日欠かしたことのなかったチョコ菓子をやめ、操体法に取り組まれた。現在半分ほどまで回復されていると聞く。チョコレートが必ずしも原因というのではない。チョコ菓子をやめたら病気が治ってきたということは事実である。 菓子を断つことが個人に幸いをもたらす一方で、経済は少なからず痛手をこうむる。 四十年間にわたり菓子業界にもたらされていた年間十万以上の売上げは全面カットされ、医療業界分野にはこの方の財布から落ちてくるお金の可能性が大きく削られた。 節制とは消費の引き算である。経済への痛手以外の何ものでもない。今の経済を維持もしくはさらに規模を拡大するには、「お菓子をやめたら病気が治った」とか、「薬をやめたら病気が治った」(新潟大学の安保徹の著書のタイトル)などとは口が裂けても言ってはならないのだ。 日本にはおよそ三十万人の医者がいる。高給取りの彼らを国民が維持し、養っていくには、毎年どれくらいの病人を差し出せば足りるだろうか。高度設備を誇る病院を維持してゆくには、どのくらいの病人が必要とされるだろうか。 もしも本気で医者が生活指導にとりくめば、病院はたちまちつぶれてしまう。 健康な社会づくりというのは、ほんとうはそういうことだ。そういうことなのだなあと、思う。 スポンサーサイト
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