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チンパンジーのように熱心にクレヨンを握っている
2012/05/23(Wed)
鎖につながれた一頭の象が一日を過ごす。同じコースを同じ足並みでぐるぐる歩き、うっすらと踏み固められた地面の足跡だけが、毎日の生きた証だ。
鎖をはずされても気づかずに、足跡をなぞる暮らしを続けるとしたら、それはまたずいぶんなことである。足に鎖はないが、意識に鎖が巻き付いているのである。

飲み食いとかショッピングとか賭け事とか、限られた行動から抜け出せない。楽しいのか苦しいのかも分からない混乱。その姿はまさしく鎖の長さと鎖の重みで歩みを限定された象のようではないか。
その人の足に鎖はないが、頭も体も自由が失われ、歩きたくもないコースを何百回、何千回とたどり続ける。
人というのは不思議なものだ。平気でそんなふうになってしまう。

絵の具をパレットに絞り出して塗ったり、クレヨンで渦を描いたり。人に見せるでもない、売るでもない。
ただチンパンジーのように熱心に、筆やクレヨンを持ってごにょごにょやるのは楽しいのである。

ねんどをこねて、こねまわしてつくったら、「作品」として保管するのも面倒だから、翌日それをこわして新しくこねて、何かつくるでもいい。べつにかたちをつくらず、こねるだけで楽しい。

もっとシンプルなのは、「こわす」。こわすのにルールもへったくれもない。子供は破壊行為が大好きだが、大人は罪悪感が邪魔をする。ダンボールの箱を、バットでバンバン殴る。破る。次から次へとお手玉を思いきり壁に投げつけながら「バカヤロー」「死んじまえ~」と叫ぶ。こういうことをこまめに実行して自分の病気を治した女優さんもいる。

大人ともなると、なかなか思いきりよく体が動かない。「そんなのわたしには必要ない」「思いきり描くなんてできない」「こわすのはよくないことだ」とか、頭の中でいろいろ考えて動けない。
踏み固められた足跡の上からはみ出すのが、苦痛を伴ってくるのである。

「人によろこんでもらえる」という一心で、何かを作っては人にあげているという人もいる。折り紙でも鞠でもぬいぐるみでも、「人のため」という一心で作る。

文筆が進まなくなると朝から晩までめちゃくちゃに料理をつくり続ける作家もいたが、食べ続けるよりも、食べ物を作り続けるほうがいい。才能を開花させる人というのは食欲も性欲も人一倍というから気をつけないといけない。ピカソも絵を描いてなければただの女好きの老人だ。

「つくる」も「こわす」も、意識につる草のように巻きついてくる鎖を断ち切る作用という点では同じことなのかもしれない。これらの行動は、「必要に応じて」よりもむしろ、伸びつづけるヒゲや髪の毛のお手入れのようにして、たしなむといい。

自分のエネルギーの発散する場所を、いろいろと持っていることは、生きる安全策ともなる。
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