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☆気づいた途端に尻もちをつき、お花畑の真ん中で目が覚める☆
2012/05/17(Thu)
だまされた。住所をあかさないので周囲はダメとは思っていた。私たちは夢のお花畑で彼とともに踊ることを選び続けて破局を待っているようなものだった。
毎週顔を出していたのがぱたりと姿を消し、家人の口からも名が聞かれなくなった。最初のころにハッキリと、「あんたはいい方のようだけど、住んでいるところも明かさないというのは家族としても心配なのだよ」とみんなの前で言えたらよかったと思う。誰もが口をつぐんだまま数年が過ぎ、ほんの最近になって、「あれは結局どうなったの?」とはじめて言及した。「だまされた」とうめくような返事がかえってきた。
私たちはだまされるけど、だまされたことを認めるには意識の壁が立ちはだかる。それでまたカンタンにだまされてしまう。

話の愉快な先生が、いた。仕事上のつきあいが長かった。あるときお身内から実情を伺い、背筋が凍りついた。半信半疑だったが、その後ぱたりと音沙汰がなくなった。生徒たちのほうが正確だった。「なんとなく気持ちわるい人」と言って、高校生たちには好かれていなかった。
一言でいえば不自然ということにつきるのだろう。
不自然によい人、不自然によい対応をする。それはプロの領域。利害がからんでいる。つくられた心地よさ。山野草ではなく、人工のお花畑。ふと気がついた途端に尻もちをつき、尻の下で大輪の花々が、ぐしょりと汚ない音を立ててつぶれるのだ。
そういう生徒たちだって、またよくウソをついた。ウソの裏には切実な本能がはたらいているのだから見抜けやしない。ここは推理をはたらかせ、周囲から事実関係を確かめて、どこがどのようにウソなのか、ウソのもとになった本当の事実は何なのか、判断しなければならない。そのうえで本人にもう一度確認する。

まわりの人間一人一人にだって、こんなのもの。
そこらじゅうエサみたいにばらまかれてある、見ず知らずの人間の情報なんか、ぜんぶが全部おかしなものだったとしても不思議でもなんでもないのかもしれない。きちんと事実関係を確かめた上で、どこがどのようにウソなのか、ウソのもとになった本当の事実は何なのか、いちいち判断する時間もとらないし、たとえ時間があったとしても、そうカンタンに判断などできはしない。
情報社会は情報でだまし・だまされ続ける社会にほかならない。人工のお花畑で踊るのに慣れた足が、いつまでたっても地に届かないのもしょうがないことなのかもしれない。
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