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人生の当たり年に何を望み、どう過ごしたいか
2012/05/13(Sun)
初めて出かけた年がたまたま当たり年。期待して翌年から出かければ今ひとつ。そんなことを何度か経験した。
花を追うとキリがない。花にあわせて行動するのは不便だが、その不便がまた楽しみでもある。
家人は花好きを自称するものの、花に都合を合わせるほどではない。花を見る苦労をした経験がないから「その気になれば花なんかいつどこにでも咲いているだろう」くらいの気分。写真集を開いて楽しむように花が楽しめると最初から思いこんでいる。

「花」という言葉を「成功」という言葉に置き換えてみる。
絵に描いたような他人の成功を見聞きしていると、成功という花はそのように咲くと思えてくる。どんないきさつで成功の花が開いたかは余程の事情通でない限り、分かったものではない。むしろ本人たちにさえ分かってないことのほうが大きいかもしれない。
私たちの日常は季節を知らない花盛りのお花畑。
絵にならないところはごっそりカットされた絵。誰もがついていけるエピソードだけをパッチワークした物語。
そんな絵を描き続け、パッチワークの物語を書き続けて、視聴者や購読者を増やす。
そんな絵描き、もの書きのプロ集団がマスコミとはいえないだろうか。

人間どうし、自分とあまりかわりのないように見える人が成功したと聞くと、「それじゃあ、わたしも」という気になるのはあたりまえ。それで大いに発奮すればいい。
しかしめったやたらな努力が長続きするとも思えないし、努力なしの成功を望めば、どこまで行ってもつらい、くやしいという気持ちにさいなまれるだろう。
中学の同級生たちが東大・京都大に進学したのを知って、くやしさのあまり猛勉に踏み切ったのは18歳のとき。大学合格に至るまでの実情は、自分自身しか分からないこともあれば、自分にもまるで分からないことも多い。振り返ってみれば、思ったほど偉くもない。むしろ愚かさが目立つ。
しかし努力が一つのかたちになるところまで、努力をやめなかった。その実体験だけは、得た。得たものもあれば失ったものもあるとは思うが、あのときは、ああする以外に思いつかなったから必然だ。後悔は、ない。

毎年咲かせる花だが、勢いのある時期はほんとうに限られている。
外から見れば偶然のように見えるが、バラ自身にとっては偶然ではない。必然である。
当たり年がなかなかないのを知ってこそ、勢いのある花が咲いたときの喜びは格別である。
人生もまた、同じ。
来年こそは。
そんな思いでバラ園を後にする。
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