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自分の「ちょうどよい」が静かに実現されてゆくのが一番。
2012/05/12(Sat)
けがや病気で動けなくなると、「一日も早く治したい」という気持ちと「ゆっくり休もう」という気持ちとが交互にあらわれたり混ざったりする。
本来は、はやくもなく、ゆっくりでもない。それぞれの、時と場合に応じた「ちょうど」が実現されてゆくだけだ。
一刻も早く治るにこしたことはないが、それを思うだけで回復の方向がもつれてくる。
ゆっくりがいいかというと、それもまた、思えば回復の方向は人為的になる。
選択ではない。必然だ。ほんとうにダメなときはほんとうに動けない。必然だから、どんなに真面目で勤勉な人もあきらめをつける時だ。

むちうちには保険会社からの補償が平均3ヵ月。ひどくても6ヶ月という不文律の社会的目安が存在する。
診断書を毎月提出する医者の立場では、「保険会社が何ヶ月まで補償するか」を予測することがだいじという。でないと「焦げつき」が発生する。保険会社も払わない。患者のほうでも責任ゼロ百だから支払わない。「そんなケース最近けっこうあるから」。何か所かの医者に、説明されるともなくされた。
社会的な補償の問題と、自分自身の体の状態とは、きちんと区別して考える。
それが被害者にとって混乱しないためのだいじなことだと、身をもって知った。

ただでさえ苦しみから早く抜け出したいと思いがちなところに、保険会社の担当者が連絡してきて「早く治ってください」とあからさまな催促をする。体のことなど何も分からない人からあれこれ毎日言ってくるのが非常に不愉快で、すぐに弁護士や知り合いの病院長に相談し、文書以外の不要な連絡を一切やめてもらった。
保険の担当者の「早く治って」コールの意味を知ったのは、ずっとあとになってから。
被害者の体調不良が長引けば長引くほど補償期間はのび、支払金も増える。そういうしくみなのだ。支払金を一円でも削減するのが担当者の仕事。だから「一日も早く」。考えてみればあたりまえの話だが、世にうとい頭では思いもよらず、いらぬ不信感がつのった。
早いうちに相談に出たのは幸いだった。解決の力になってくださったT先生にはとくに感謝している。

社会的な解決はしても、体のことは自分で引き受けるほかはない。保険業界も担当者も医師も弁護士も一切関係ない。被害者という肩書きも不要。そんなのはかえって邪魔である。
私と。そして自分の体と。ごく非常にプライベートな関係なのだ。利害にまみれた視点から「早く治れ」などと口出しされるのはまっぴらご免だ。
はやくとか、ゆっくりとか、そういうの、どうでもいい。それが一番シンプルだった。
わたし自身の「ちょうど」が、「ちょうど」のタイミングで静かに実現されてゆく。
ここから振り返ってみれば、まさに「ちょうど」の連なりと積み重なり。ここから先もまた、恐らくはそうであろう。思いわずらうべきことはもともと何一つなかったのだ。
そう思う。
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