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☆便利な生活は生き物にとってつまらない-体でおぼえる楽しい体験が奪われてゆく-☆
2012/05/10(Thu)
不便な生活に戻ろうというのではない。しかし便利な生活でどんどん失われ、どんどん奪われつつあるもののことは忘れてはならない。生活のどこかで補う必要をみたすものとして、操体法と山歩きは意味があると私は考えている。
掃除機の普及で、自分たちの生活はかえって不潔になったかもしれない。それと同時に、はたきの使いかた、雑巾のあつかいや、いろいろと体でおぼえる訓練の場を失った。私たちがずいぶん掃除がヘタになっているとしたら、能力の点では大損をしたのである。

幸田文さんの著書を開いて、りんとした心の張り、気合を感じない人はいないだろう。文章の好き嫌いはあろうが、ピシピシとビンタを張られるような気持ちで文字を追うことが私にはある。
あれは幸田さんに特殊というよりは、昔の人の暮らしにふつうにあった緊張感だろう。
薪割りもずいぶん訓練させられたようだが、現代の生活にはそんなチャンスもない。
頭を使いながら体を動かすのが人間にとって一番楽しいことなのに、一番楽しいことを奪われているのが、今の便利な生活空間の中味なのだ。

冷蔵技術で食中毒は減り、食物を腐らせる無駄も減っているだろう。
しかし冷蔵庫のない時代にも食中毒を出さず、食物を腐らせない方法があった。
でなければ食中毒でみんな死んで、今はもう誰も残っていないのである。
冷蔵庫がないぶん、生活の中で鍛えられる。何がどのくらいの温度で、どのくらいの時間を経て腐敗していくか、各自が観察する場面に立たされる。どこまでなら口にして大丈夫か。どう保存すればよいか。判断や予測、工夫が試される。
日常生活の現場において小さな勝負で勝ったり負けたりを繰り返しながら、日々頭を働かせるはずだ。
「不便な」生活の中で、仲間どうし学びあい、助け合う必要もあったはず。じっさい、今より助け合いの機会も多く、助け合い精神も発揮されていたと聞く。

近年、認知症が増加傾向にあるというが、昔の人は「不便」な生活の中にボケ防止策をいつも持っていたのである。
生活がよくなった分、失うものがある。「生活が便利」ということは、それだけ体を使わず、頭を使わないでラクをするのだから、これはもう落とし穴だ。
こういうの、人間だよなあと思う。人間の生活なんだから、単純に出した答えでは、まったく通用しないのだ。

そこそこの不便はたのしい。おもしろい。便利な生活は生き物にとって、つまらないのである。
慢性の運動不足と、体を動かす体験が不足しているために、こころとからだがうまくつながらない。不足しているのは日常生活での体験。「生活での体験が脳の発達を促す」というようなことは、あらゆる分野の本で指摘されているのだが。
体のことが自分で分からないと不安になるのも当然で、生きものとして保証されたほんとうの健康を享受することもないといえるだろう。
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