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☆正直という詐欺-人はまず自分にだまされる-☆
2012/05/06(Sun)
「あの人は正直にほんとうのことを言っている」というが、「正直」が話をすると事実になるだろうか。一たす一は三と信じている人が正直に話せば一たす一も三になる。二かける三が十になったりもする。
「あの人」がほんとうと信じている。
それだけのことだ。

一たす一が三であっても大抵は、すぐにどうとは困らない。でたらめでもそこそこ通用するからこそ、この世はでたらめであふれているのかもしれない。
もちろん、でたらめでは困る場面も、ある。でたらめではやはりいつかは最終的に困ったことになるのである。そんなとき走り回って「一たす一は三」「二かける三は十」などというリクツをいくらかき集めてきたところで、混乱するばかりでにっちもさっちもいかない。

病気やケガでつくづく困ったとき、いかに自分がでたらめだったか、そのでたらめさ加減を、こうでもかとばかりに思い知る。そこを「いや、わたしはまちがっていない」とがんばり通せば痛い目にもあう。ここはずっとずっと頑張り通してさんざん痛い目にあってきた私自身の正直なところだが、これもまた、私の体験と見聞に限られた正直にすぎないのであって、どこまで役に立つほんとうのことかは保証の限りではない。どう判断し、どう役に立てられそうかは、各自で工夫して確かめるほかはない。

感覚が鈍ければ、「自分では心底正しい」と思うことが、平気ででたらめだったりする。じっさい人は自分の感覚に一番だまされやすい。他人がだますのではない。自分の感覚や判断力にだまされているのである。
自分のでたらめを、少しずつでもほんものにしたい。それが私の願いだ。
そのために、いつも感覚を磨く必要がある。
感覚が磨かれていけば、だんだんと自分のカンの狂いにだまされることが減ってゆき、カンの狂いも修正されていく。
感覚を磨くには情報だという意見もあるが、私はそうは思わない。感覚が狂っていれば、正しい情報をウソだと思いこみ、ウソの情報を事実と思いこむ。どんなに正しい情報が目の前にあっても素通りするだろう。

体の狂いを修正すると同時に身体感覚を磨く。自分のカンの狂いにだまされず、カンの狂いを修正し、自らを窮地に追い込まない一つの方法として、私は尊重している。
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