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☆渦巻く銀河のどこかで起きている、いくつかのこと☆
2012/05/01(Tue)
突然の事故で、お子さんが危篤になり、生命維持装置につながれた。
「生きていてくれさえしたらいい」と何度も何度もおっしゃった。成績なんか体なんか素行なんかどうでもよかった。生きてればそれだけでよかったんだとおっしゃり続けて二ヶ月が過ぎ、生命維持装置ははずされ、お子さんは息を引き取ったと聞く。
この女性にはじめて会ったころのことを、思い出していた。
「うちの子の、あの根性を、叩き直さなければいけない。成績もいけない。体つきも、目つきもいけない。第一、素行がよくない。ちっとでも目を離されてもらっては困る」。
電話がくると一時間でも二時間でもお子さんのことを話し続けておられた。

「子供がいた、ということだけでも、よかったではないか」と、ほかの女性が、言う。
子供が持てさえすれば、よかった。子供の身を思って泣くことさえ、私にはできない。
それぞれに、苦しみ、悲しみが、ある。
子を思う楽しみは、子を思う悲しみとが、一枚のコインの裏表になっている。
子を持たないさびしさは、子を持たない身軽さと表裏一体となっている。
どっちが得をして、どっちが損をしたといえるだろうか。どっちがより気の毒で、どっちがより羨ましいご身分かということを、誰が判定できるだろうか。

「新しい家を建てたから遊びに来て」と誘われて出かけていった。床下には炭をうめて、アトリエも広くて、と案内される空間は、仮暮らしを続けてきた私の目には少々大げさなような印象だった。夫婦二人が過ごすにはどうだろうかなどと思ううち、急に静かになったので気がつくと、彼女は一人で泣いているのである。「最近すごく不安なの」という。申し分のないこの生活がいつかくずれるなんてイヤだと言って、泣き出したのである。
仏教になど関心を持たないような人が、説法集からそっくり取り出してきたようなことを言うので驚いた。幸せを持て余すという、少々ぜいたくなほうの悩みである。
気の利いたことが言えればよかっただろうが、口から出てきたのは、「わかった。じゃあこの家を私がもらってあげる。きっと気がラクになるわよ」。
半分本気だったが、冗談と受け取られたらしい。彼女は急にけらけらと笑い出し、すっかり機嫌を取り戻した。

こんなようなことの一つ一つが、目にも見えないちっぽけな星の集まりが銀河をなしてぐるぐるめぐっているように、もっともっとたくさんのことと一斉に、この世をめぐっているだろう。
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