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交通機関が不便じゃなくて、私自身が不便な私なのである
2012/05/31(Thu)
山歩きは車の運転が長時間で疲れる。高速バスはガソリンの心配も迷う心配もないが、それでも私のすべてを充足させるわけではない。どちらがよいというのではない。使い分ければよいのである。
ここで無茶を言う。「どこでもドアならいいのに」。
好きなところにいつでもどこでもひょいと行ければ、車もバスもなく山歩きが楽しめる。いやそうなれば山歩きの意味もないのかもしれない。

今回わけありでロープウェイ登山を初体験した。気楽きわまりないが、自分を充足させる選択ではない。ロープウェイを使ってでも頂上に行くか。頂上に立てないのを承知で自分の足を使うか。もしくは遠い山には金輪際出かけないのか。その三つが今の自分の持つ選択肢である。
「頂上に立つことを前提に自分の足で歩く」という選択は、今の自分には「足をつぶす」という選択でもある。自分の足でふつうに歩くことを半永久的に放棄する意味を持つであろう選択を、強行すべき理由は今の私にはない。

ロープウェイの切符売場で、私は確認した。「片道でも買えますか」。
ホームページでも売場でも、往復料金の案内だけだった。他のロープウェイ会社は片道料金も提示しているので、ここは往復しか受け付けないのかと思った。もしそうだったらロープウェイで往復する。片道ずつ買えるのなら頂上に立って下りを判断したい。
「上り下り別々に買えるが登山届けを出してもらう」との返事だった。
意地悪な見方をすれば「原則は往復」と思わせたいのかもしれない。頂上の花も時期が早すぎてホームページに表示されていた「見ごろ」ではない。「見る側の見ごろ」と、「見せる側の見ごろ」は結局のところ一致しない。
それでもロープウェイの苦しい経営が続くことを私は願い、感謝せねばならない。ロープウェイがあったればこそ、遠出の意欲もわいたのだから。ロープウェイなど唾棄すべきものと決めつけていたころは、こんな日がくるとは想像もしなかった。

足でゆうに二時間かかるところをわずか十分である。それでは私の心がまえは間に合わない。ひょいと上げてもらった頂上で私は何を思い、何をしてよいやら分からない。
足の調子は思ったよりひどい。登山どころか歩くだけでも少々苦痛である。花などもうどうでもよくなって早々とロープウェイの駅に引き返すと、次の便のゴンドラから吐き出されてきた人々の流れに私は巻き込まれた。これまで山上で見知った人々の姿や顔つきとはまた違った風情だということを、そのとき私ははっきりと思った。それがよいとかよくないとか、そういうことではない。ただ違うのだということ。異なるのだということ。それを自分はもっとよく理解し、狭量であることから解放される必要があるのだと思った。

構内の土産物屋の店先に立っている若い店員に声をかけ、下山道のありかを尋ねる。「あ、すぐそこの」と言いかけて外に出て案内してくれる。標高差800メートル、距離にして4キロ足らず。その数字が今の自分にはたいそう気が重い。歩いて足を傷めつけても何の益もない。それは分かっている。木立ちに口を開けている登山道を覗き込みながら、ロープウェイで下るかどうか、まだ迷う。バカ天気の頂上とは打って変わって、暗がりに漂う陰気な風の中に、火山性の真っ黒い土の道がうねうねとどこまでも続く。古めかしい看板の「下山道」という筆書きの文字を見ると、どこにも逃れられない感じがする。

岩場も鎖場もない、特徴を欠いただらだら道を下っていると、どこの山を歩いているか分からなくなりそうである。ずいぶん以前に登山歴の華やかそうな男性と、近所の山中でいっしょになり、話をしながら下ったとき、「北海道も九州も、歩いているとあんまりかわらない」と冷めた調子で男が言うのを、当時の自分は「これからいろんな山でいろんな体験をするのだ」と思っていたものだから、気を損ね、心の中で強く打ち消した。しかし山のほうではいろいろであっても、歩く自分はそう大きくかわりもしない。まあどの山も似たようなもの、ともいえるのである。
足にまかせて歩き回った山がいろいろと思い出されてきて、どうにもこの山に集中できない。
足が前に出ないのだ。目が先のほうばかりを追ってしまう。これだけ足が出ないとさすがに楽しくもなんともないものだ。
すれ違う上りの登山者たちはずいぶん荒い息である。最初から最後まで同じような傾斜が続くので、ここは案外と苦しいのかもしれない。下りも苦しいほうのコースかもわからん、とうそぶいてみる。
「一気登山あと○メートル」の標識が500メートルごとに続く。海抜ゼロメートルから全行程12キロ歩くという、その集団の姿と顔を頭の中に描いてみる。その中に自分の姿はないし、その中にいたいとも思わない。私はもう早くこの山の中から脱け出したいだけなのだ。
上りをがんばったあとの下りが苦しいのは、実は楽しいことなのである。何一つがんばりもしなかったのに下りが苦しいというのは、わけがわからない。何もかも勝手がちがう。どちらがいいとか、よくないとか、そういうことではない。

結局、下りに三時間かかり、翌日は寝込んだ。全身ずいぶん痛んだが、調整でうまくしのげた。足のダメージもさほどではない。
もうこんな山歩きはよしにしてはどうかと思う。どうかとは思うが、まったくできないということでもないから、すっかりあきらめがつくということもない。少々のよゆうがあればまた、自分はやるだろう。無理にやめることもない。無理に続けることもない。よたよた歩きの下りだけ登山でも、やっぱり自分は出かけてゆくだろう。
よいとかよくないとかいうことではない。しょうがないことなのだ。こんなあきらめ登山もある。それを受け入れるだけのことなのだと自分に何度も言い聞かせる。
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間違ったところに間違いの角度で足をのせれば、どこを歩いても難所だ
2012/05/27(Sun)
由布岳は二つに割れた頂上が、猫の耳のように並んで立つ。一方は子供も登れるが、もう一方は難所がある。足が前に出ずに人がそこで固まり、誰が先に出て行くか、けん制しあう。
あっさり引き返す人あり、誰かのあとについてゆこうと待ち構える者あり、周囲と相談する者もあり。
大きくまたいで向うの岩にのればよいが、向うの岩というのが信用ならない。傾斜があるうえ、足がかりが確かではない。いかにも固く滑りやすそうでもある。空に向かって横たわる一枚岩。向うに見えるのは空ばかり。
万が一転がりおちた先を視線でたどると、受け止めてくれそうなところはない。つかまる植物もなく、切れ落ちてゆく絶壁である。ここは九合目で足も少々へたっている。独立峰特有の強い風も吹く。

冬にここで足をとめていたことがある。雪がちらつき、風がひどかった。ムリだとは思ったが、誰一人通る者もないので、じっくり考えたかった。予備の靴に履きかえる。動きやすいだけの靴だ。「まあムリ」。自分に言い聞かせながら、ゆっくりと靴紐を結ぶ手がふるえている。「ムリだ」。言いながら、向こうの岩から目が離せない。
「まあ休もうや」。わざと言いわけするこころもちで、その日はじめて食べものを口にする。
握り飯とドライフルーツ。ゆっくり噛んでいる間も向うの岩から目が離せない。少しでも目を離すと向うから襲ってきそうな迫力がある。絶壁と岩とを交互に見比べながら、この岩一枚が自分にどういう意味を持っているかを考える。「ああムリだなあ、こりゃあ」。
時間はたっぷりある。風をよける場所を探して横になったり、周囲をぶらぶら歩いてみたりして何を待つというでもなく時間をつぶしていた。空からしきりに雪が落ちてきて風に舞い、自分の周りで白いレースのカーテンが幾重にもはためいているようだった。眺望はなく、灰色の壁に囲まれた室内に閉じ込められているような息苦しさである。
べつに頂上に行かなくてもかまわない。そう開き直ってみる。頂上を踏まないのは勇気がないせいか、それとも勇気ある判断があるからか。しかしここまで登ってくるのにも、何度か無茶をやり、ハラハラドキドキしたのだ。こんなことして帰りはどうすると心配する自分を、「のぼってるときに帰りの心配してどうする」と叱咤した。
限界。すでに気持ちがいっぱいいっぱいだった。

しかしその日私は頂上を踏んだ。勇気を出さず、技術も未熟なまま、難所を通過し、初めて西の頂上に立った。
山岳ガイドが初心者らしき男女四名を連れて通りかかったおかげである。女性たちは「もう恐い。帰りたい」と口ぐちに言う。男性二人はまだ余裕の表情だが、私のほうを振り向いて、「これからお鉢めぐりをするんです」と言い放つ声には気負いがあった。「お一人ですか」との質問に私はうなずいた。
ガイドの男性は表情を変えず、「わたしが先に行くから足の運びをよく見て、その通りにしてついてきてください」と女性たちに告げると、大きな一歩を踏み出した。浮足立ったこの中高年の女性たちを頂上へ、そしてその先へと連れていくことに、何の迷いもない一歩だった。彼はごまかしなく岩の上に足をのせ、一歩一歩にきちんと体重をかけてゆく。足をのせる場所も足の角度も、安全そのもののように私には見えた。そこはじっさい難所ではなかったのかもしれない。どこを歩いていても、危険なところに、ずり落ちるに決まっている角度に足をのせるならば、それは難所である。危険な歩き方をすれば恐いのも当然だ。その逆に、落ちないところに落ちない角度で足をのせるならば、たとえ目のくらむ高所であろうと難所ではない。
「こわい、助けて」という女たちのやかましい声も、岩の向こうへすみやかに消えていった。
残った男性二人が、軽く顔を見合わせて出発したが、一人がこちらに引き返してきて「あなた、こんなところ一人でくるのはヤバいっすよ。ぼくならぜったいにやりません」。そう言うと、くるりと踵を返して少々無茶をしながら岩を乗り越え行ってしまった。
雪が激しくなってきた。岩が濡れて滑りやすくなってゆく。しかし岩を見つめる私の目には、さっきのガイドの足の運びが焼きついていた。(恐くない。滑っても決して恐くはない。正しく足をのせるだけなのだ)。
身一つで私は一歩を踏み出した。やはり少々恐い。いや、相当恐い。恐くはないと分かっているのに、恐い。しかし足を置く場所にまちがいはない。まったくそこしか考えられないというほど、一つ一つがパーフェクトな足の置き場所だったのである。

頂上に着いたとき人影はなかった。彼らは全員お鉢めぐりに出かけたのだ。これからハラハラドキドキを体験する長い一日を過ごすのだろうと思った。
「ここから先はもうダメ。リュックを下に置いてきたんだから。先には行けませんよ」。何歩か先を歩きかけた自分に、きっぱりと言い渡して釘をさし、私は頂上をあとにした。
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その歩き方でだいじょうぶか-歩き方のてほどきを受ける-
2012/05/25(Fri)
「町から来た連中は大またで足も速いからすぐ分かる」とその男は言った。
「どんどん追い抜いていくからどうぞどうぞと譲ってやるんだ。歩き方を知らないんだね。先のほうでバテた連中を、こんどは俺が追い越すね」。
「町から来た連中」である私はバツのわるい思いをし、地元の人々の顔には痛烈な笑いが広がる。
「この山を案内しましょうか」と地元の人に声をかけられたときのことだ。
植物の豊富な山だった。案内を受けないと気づかないことがたくさんあった。
交流する中で、どれだけ大切にされている山であるかを知った。
「ここの山はそっとしておいてほしい。外の人が入ってきて荒らされるのはご免だ」ということを何度も耳にした。

みな代々漁業や農業でからだを使った仕事をし、暇を見つけては自然を見て歩くのを楽しむ人々のようである。海で見たもの、田畑で見たもの、山で見たもの。いろんな実体験や発見が、山で顔をあわせるたびに話題になる。
山の人々の自然への目配りは、町の人々の目配りとは異質であった。
それは実体験にもとづく、しっかりした口調で語られることだった。そこには自然の力に屈することを知る日常が語られていた。そして何より、ほんとの意味で役に立つ、非常にありがたがられ、尊重される情報であり教えであった。

山から下りて町に戻ると、確かに人がせかせかと歩いている。肩で風を切り、大またでぐいぐい歩く。
山の人々の謙虚で堅実な足の運びに比べ、スーパーモデルのような見栄えのするカッコイイ歩き方。これが「歩き方を知らない」歩き方だと笑われているとは思いもよらない。
そういう歩きかたは長くは続けられないし、日常的に続けているとヒザや股関節、腰などもいためるのだと、彼らの間では了承されてもいた。
ベランダから見下ろす町中の交差点を行き来する人々の顔は、まっすぐ前に向けられている。不要なものをバッサバッサとなぎ倒しながら、「今の自分」に必要なことに一直線に突き進む。
鋭い直線を引きながら交差点を渡ってゆく人々を眺めるたびに、あの大切にされていた山と、山の人々のことを、思い浮かべている。
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チンパンジーのように熱心にクレヨンを握っている
2012/05/23(Wed)
鎖につながれた一頭の象が一日を過ごす。同じコースを同じ足並みでぐるぐる歩き、うっすらと踏み固められた地面の足跡だけが、毎日の生きた証だ。
鎖をはずされても気づかずに、足跡をなぞる暮らしを続けるとしたら、それはまたずいぶんなことである。足に鎖はないが、意識に鎖が巻き付いているのである。

飲み食いとかショッピングとか賭け事とか、限られた行動から抜け出せない。楽しいのか苦しいのかも分からない混乱。その姿はまさしく鎖の長さと鎖の重みで歩みを限定された象のようではないか。
その人の足に鎖はないが、頭も体も自由が失われ、歩きたくもないコースを何百回、何千回とたどり続ける。
人というのは不思議なものだ。平気でそんなふうになってしまう。

絵の具をパレットに絞り出して塗ったり、クレヨンで渦を描いたり。人に見せるでもない、売るでもない。
ただチンパンジーのように熱心に、筆やクレヨンを持ってごにょごにょやるのは楽しいのである。

ねんどをこねて、こねまわしてつくったら、「作品」として保管するのも面倒だから、翌日それをこわして新しくこねて、何かつくるでもいい。べつにかたちをつくらず、こねるだけで楽しい。

もっとシンプルなのは、「こわす」。こわすのにルールもへったくれもない。子供は破壊行為が大好きだが、大人は罪悪感が邪魔をする。ダンボールの箱を、バットでバンバン殴る。破る。次から次へとお手玉を思いきり壁に投げつけながら「バカヤロー」「死んじまえ~」と叫ぶ。こういうことをこまめに実行して自分の病気を治した女優さんもいる。

大人ともなると、なかなか思いきりよく体が動かない。「そんなのわたしには必要ない」「思いきり描くなんてできない」「こわすのはよくないことだ」とか、頭の中でいろいろ考えて動けない。
踏み固められた足跡の上からはみ出すのが、苦痛を伴ってくるのである。

「人によろこんでもらえる」という一心で、何かを作っては人にあげているという人もいる。折り紙でも鞠でもぬいぐるみでも、「人のため」という一心で作る。

文筆が進まなくなると朝から晩までめちゃくちゃに料理をつくり続ける作家もいたが、食べ続けるよりも、食べ物を作り続けるほうがいい。才能を開花させる人というのは食欲も性欲も人一倍というから気をつけないといけない。ピカソも絵を描いてなければただの女好きの老人だ。

「つくる」も「こわす」も、意識につる草のように巻きついてくる鎖を断ち切る作用という点では同じことなのかもしれない。これらの行動は、「必要に応じて」よりもむしろ、伸びつづけるヒゲや髪の毛のお手入れのようにして、たしなむといい。

自分のエネルギーの発散する場所を、いろいろと持っていることは、生きる安全策ともなる。
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からだに耳をすませるときの、心の置きどころ
2012/05/22(Tue)
ニワトリをつかまえるには素知らぬふりを装いつつ、相手の動きに注意して、ここぞというとき一気にしとめる。名人のお手本を参考にそこらの鳩に試すと有効である。百発百中とはいかないが面白い。

人の体に触れてコリや圧痛を見つけるときも似た気分になる。
「治すぞ」とむきになることはない。自分の意思とは別のところにスイッチが入り、手の感覚にゆだねる。
「さ、行け」。手綱をゆるめ、好きに嗅ぎまわらせるだけでいい。

メンドリの腹の下から卵をとり出すのも、慣れないと突つかれたり騒がれたりする。無心ですっと手を伸ばせば、ひょいと卵を取らせてくれたものだった。ああいうのも人の体に向き合うときに有効な、心の置きどころに通じるものがあるのだろう。
「疲れませんか」と声をかけられることもあるが、「いやこれはいつやっても実に楽しいんですよ」。
施術中にそんな話にもなる。
「え。楽しいんですか」「ほんと、おもしろいんです。少しやってみれば分かりますよ」。
釣り糸から指先に伝わってくる、手ごたえのようなもの。「はっ?」とくる。「お?」とくる。「ははぁ、なるほどね」。「おお~」。
「抜けましたね」「ハイ抜けました」。
こんなやりとりの繰り返し。

操体法が、面白くないわけ、ないのだ。
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☆「かたよらないものの見方」がまた、かたよっている☆
2012/05/18(Fri)
客観性ということを教えこまれたのは、ものごころもつかない子供のとき。あの時から私は客観性という名のお花畑に迷い込み、ふわふわと暮らした。「偏りがあるだけだ」と唱えたら地べたにおち、足元の花がぼきぼきという音を立てて崩折れた。
偏ってはいけないとかいいのだとか。偏っているとかいないだとか。そういう議論は不毛だった。じっさい世間は立場の寄せ集め。人それぞれの立場の数だけ偏りもある。

「客観的に。公平に。平等に」「偏ってはいけません」とずいぶん教わった。
言いさえすれば偏ったものの見方は防げると本気で思うのが学校の先生なのかもしれないが、「学校の立場」「教師の立場」を一瞬でも忘れず考え行動するということそのものが、すでに偏っている。それは、思わないのだろうか。
三度新聞に投稿し三度載ったとき、担当者との話のやりとりで「新聞も偏っている」「新聞という名の偏りがある」と分かった。

気をつけても気をつけなくても全ては偏る。どこまで行っても人間の偏りが、あるだけだ。
授業もコマーシャルもマスコミも、「この情報にこそ偏りなし」と客観性を装いたがる。しかし教える側と教わる側。売る側と、買う側。見せる側と、見せられる側。それぞれの立場とそれぞれの意図については不透明な布がかけられている。
周囲とあいまいに協調したいときには、「偏り」を一時的に忘れてみる。すると幻想のお花畑に迷い込む。もちろん相手が同じ幻想の中に入ってくれるとは限らない。
お花畑で気持ちよく踊っていたい時には踊っていればよいが、目を覚ましたい時には、「偏りがあるだけだ」と唱えればよい。
行けども行けども広がる花の砂漠のまっただなかで、せいだいに踏みしだきながら、脱け出す歩みを、こころみる。
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☆気づいた途端に尻もちをつき、お花畑の真ん中で目が覚める☆
2012/05/17(Thu)
だまされた。住所をあかさないので周囲はダメとは思っていた。私たちは夢のお花畑で彼とともに踊ることを選び続けて破局を待っているようなものだった。
毎週顔を出していたのがぱたりと姿を消し、家人の口からも名が聞かれなくなった。最初のころにハッキリと、「あんたはいい方のようだけど、住んでいるところも明かさないというのは家族としても心配なのだよ」とみんなの前で言えたらよかったと思う。誰もが口をつぐんだまま数年が過ぎ、ほんの最近になって、「あれは結局どうなったの?」とはじめて言及した。「だまされた」とうめくような返事がかえってきた。
私たちはだまされるけど、だまされたことを認めるには意識の壁が立ちはだかる。それでまたカンタンにだまされてしまう。

話の愉快な先生が、いた。仕事上のつきあいが長かった。あるときお身内から実情を伺い、背筋が凍りついた。半信半疑だったが、その後ぱたりと音沙汰がなくなった。生徒たちのほうが正確だった。「なんとなく気持ちわるい人」と言って、高校生たちには好かれていなかった。
一言でいえば不自然ということにつきるのだろう。
不自然によい人、不自然によい対応をする。それはプロの領域。利害がからんでいる。つくられた心地よさ。山野草ではなく、人工のお花畑。ふと気がついた途端に尻もちをつき、尻の下で大輪の花々が、ぐしょりと汚ない音を立ててつぶれるのだ。
そういう生徒たちだって、またよくウソをついた。ウソの裏には切実な本能がはたらいているのだから見抜けやしない。ここは推理をはたらかせ、周囲から事実関係を確かめて、どこがどのようにウソなのか、ウソのもとになった本当の事実は何なのか、判断しなければならない。そのうえで本人にもう一度確認する。

まわりの人間一人一人にだって、こんなのもの。
そこらじゅうエサみたいにばらまかれてある、見ず知らずの人間の情報なんか、ぜんぶが全部おかしなものだったとしても不思議でもなんでもないのかもしれない。きちんと事実関係を確かめた上で、どこがどのようにウソなのか、ウソのもとになった本当の事実は何なのか、いちいち判断する時間もとらないし、たとえ時間があったとしても、そうカンタンに判断などできはしない。
情報社会は情報でだまし・だまされ続ける社会にほかならない。人工のお花畑で踊るのに慣れた足が、いつまでたっても地に届かないのもしょうがないことなのかもしれない。
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☆お金。交換を保証されたもの。そこから何ものにも替えがたいものを得る☆
2012/05/16(Wed)
示談書に、サインできないでいた。それ以外の社会的解決法は用意されていない。
お金は交換できる。交換できることを社会的に保証したものが金銭だ。
しかし人の体験は、何ものにも交換できない。失礼な。
強いていえば、そういうリクツになるだろうか。

新聞やテレビでは「和解!ついに解決!よかったよかった」みたいな報道をよく目にする。社会的には「よかった」としか言いようがないが、被害にあった側の本当の解決というのは、まだまだ遠かったりもするのである。それが今はよくわかる。立場がかわると目に映る風景がこんなにもちがうとだけ、思う。

示談書では自分の言い分は通ったから一つの達成だ。ここでサインせずに終わらせれば筋は通るのである。
神棚にあげ、毎日お経をあげて考えた。未解決のことは神棚にあげておくと、たいていは答えがピンと出るが、今回はそうカンタンではなかった。
社会的解決と、自分的な解決が、必ずしも足並みそろうことはないという、あたりまえの結論以外にない。

「ほんとうの解決は、これからだろう」。サインし、印鑑を押し、それからまた未練がましく数日おいて投函に至る。地面にめりこむ足を引っこ抜きながら、引きずって進むような、作業。
お金は、交換できる。交換できることこそが、人々の望むところだ。
交換したくない。というか、交換できない場合には、どうすればいい。

これをまた、何ものにも替えがたいことに交換して、高める。
そういう作業だけが、私の手元に残された。
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☆現代のガリレオたち-壁がくずれるのを待つか。意識の壁を壊して実をとるか-☆
2012/05/15(Tue)
今は子供も知る地動説。そんなカンタンなことも分からないとは当時の人々がよほどのバカだろうか。それとも地動説がむずかしいのか? どこが、そんなにむずかしいだろうか。
中心に地球。そのまわりを他の天体がぐるぐる動くか、中心に太陽。そのまわりを地球をはじめとする他の天体がぐるぐる回るか。それだけの違い。
べつにどっちがむずかしいとか理解しやすいというでもなさそうだが、地動説が現代まで長らえて広まる過程は、それほどカンタンでもなかった。
それはなぜだったろうか。歴史をひもといてみる。

骨髄造血理論と腸造血理論についても同じことがいえる。
どっちがむずかしいというのではない。赤血球をつくる場所が骨髄か、腸の粘膜なのか。ただそれだけの違いである。
理論に矛盾がなく、半世紀以上にわたる実績を出しているのは後者のように思われる。
人体で骨髄が一番集中しているのは四肢、手足だそうだ。手足を全て失えば、骨髄もずいぶん少なくなる。しかしそれで血液不足になったという人は一人も見つからない。失われた骨と、残りの骨との量を比べれば、どこかで補うにはほぼ不可能にも思われる。この点について骨髄説からの説明は一切ない。

断食や節食で体調がよくなり病気も治ることは昔から知られるところだが、これについても骨髄説は説明できないでいる。
血液をつくる材料=食べものが入ってこなければ、血液が不足して生命の維持も危ういだろう。
しかしじっさいは人はかなり長期にわたる断食に耐えられる。とくに貧血ということもないのである。
腸造血説は、血液の問題にとどまらない。
血液の不足を補う手段として、体の細胞が赤血球に戻るというのである。この時ばかりは骨髄からも赤血球が出てくるのが観察され、病的な細胞もくずれて赤血球になっていく。その後に質のよい食べものを摂取すると、健全な赤血球がつくられて新しい血液が体じゅうをめぐり、健全な赤血球から健全な細胞が新しくつくられる。食べものが、まさに血となり肉となる。

赤血球の役割が、単に酸素を運ぶというだけでなく、体をつくる材料だという。
だから血液をきれいに、健全にすることが、病気治療の中心に据えられなければならない。そして実績も出している。
体の状態にあわせて、赤血球が細胞になったり、体の細胞が赤血球に戻って血液をつくったりを繰り返す。腸造血理論は、細胞の成り立ちや入れ替わりについても、新しい理論へと広がりを持つものである。

森下敬一医学博士は腸造血理論で食事指導を続けて半世紀以上。とくに癌治療の実績はよく知られている。
私も必要に応じて「本を読んでみられてはどうですか」「話だけでも聞きにいかれてみてはどうですか」と声をかけることがある。しかし手術や薬物や「高度技術」的治療ほどには関心が示されない。受けつけないというか、へんな迷信、意味不明の言葉くらいにしか耳に届かないのだろう。
現代にも天動説・地動説問題はいたるところにあって、病気治療の世界にもガリレオはいる。そういうことなのだろう。
制度の壁、意識の壁は、いつの時代も厚く、堅固である。しかし、いつか壊れるときがくるというのも事実。いつ壊れるか分からない壁がくずれ始めるのを待つか。それとも自分で自分の意識の壁を先に壊して、実をとるか。
各自の判断にまかされている。
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どんなときも人生がバラ色の輝きを失わないために
2012/05/14(Mon)
足をくじいてまともに歩けなくなると意識が足に集中する。「この足のことさえなかったら」。足のことがなければ人生はバラ色に近い。足がひどければひどいほど、足の問題のない人生が輝きを増してゆく。

「足のこと」が去るにつれ、バラ色も少しずつ色あせてくる。
「足のこと」が消えた瞬間、あれほど願っていたバラ色の人生が、ただふつうの人生に戻っている。「なあんだ、ただの元通りじゃないか」と、あたりまえに思い、感謝のヒマさえないわけだ。

「足のこと」が消えた瞬間に、新しい悩みのタネがバラバラ降ってくるのだからしょうがない。
「これさえなかったら」「いや、それとこれと、ついでにあれもなかったら、そしたら今度こそ、いうことないんだがなあ」などと、いつの間にか思って過ごしている。
グチや不満の中で生きていたくはない。わがままなふくれっつらをして生きていたくはないと思うのである。
どんな状況にあっても、せめて晴れ晴れとした顔を、していたい。

足の問題をかかえているときも、悩みのタネはそこいらじゅうにばらまかれていたのである。しかしそれほどひどくは芽が出ていなかった。意識が足に集中していたからである。
足の不幸に集中している限り、その他の不幸は気にならない。その他の面では比較的幸せと感じられるのである。
自分の不幸に集中していると、その他の不幸は気にならない。他人は比較的幸せなのだと感じられ、自分のほうはどんなささいな不幸に見舞われても、どん底であえぐしかなくなる。

逆をとろう。他人の世話に集中していれば、自分のことは比較的気にならない。自分が不幸のどん底ということは、まずなくなるのである。我欲を捨てろ、むさぼりを捨てろという教えの意味は、案外こんなところにあるのかもしれない。
不満のタネがいつまでも尽きないのはなぜなのか。
不満のタネに毎日せっせと水をやり、肥料もあげてだいじにだいじに育てているのは、一体誰なのだろうか。

必要に応じて自問する。
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人生の当たり年に何を望み、どう過ごしたいか
2012/05/13(Sun)
初めて出かけた年がたまたま当たり年。期待して翌年から出かければ今ひとつ。そんなことを何度か経験した。
花を追うとキリがない。花にあわせて行動するのは不便だが、その不便がまた楽しみでもある。
家人は花好きを自称するものの、花に都合を合わせるほどではない。花を見る苦労をした経験がないから「その気になれば花なんかいつどこにでも咲いているだろう」くらいの気分。写真集を開いて楽しむように花が楽しめると最初から思いこんでいる。

「花」という言葉を「成功」という言葉に置き換えてみる。
絵に描いたような他人の成功を見聞きしていると、成功という花はそのように咲くと思えてくる。どんないきさつで成功の花が開いたかは余程の事情通でない限り、分かったものではない。むしろ本人たちにさえ分かってないことのほうが大きいかもしれない。
私たちの日常は季節を知らない花盛りのお花畑。
絵にならないところはごっそりカットされた絵。誰もがついていけるエピソードだけをパッチワークした物語。
そんな絵を描き続け、パッチワークの物語を書き続けて、視聴者や購読者を増やす。
そんな絵描き、もの書きのプロ集団がマスコミとはいえないだろうか。

人間どうし、自分とあまりかわりのないように見える人が成功したと聞くと、「それじゃあ、わたしも」という気になるのはあたりまえ。それで大いに発奮すればいい。
しかしめったやたらな努力が長続きするとも思えないし、努力なしの成功を望めば、どこまで行ってもつらい、くやしいという気持ちにさいなまれるだろう。
中学の同級生たちが東大・京都大に進学したのを知って、くやしさのあまり猛勉に踏み切ったのは18歳のとき。大学合格に至るまでの実情は、自分自身しか分からないこともあれば、自分にもまるで分からないことも多い。振り返ってみれば、思ったほど偉くもない。むしろ愚かさが目立つ。
しかし努力が一つのかたちになるところまで、努力をやめなかった。その実体験だけは、得た。得たものもあれば失ったものもあるとは思うが、あのときは、ああする以外に思いつかなったから必然だ。後悔は、ない。

毎年咲かせる花だが、勢いのある時期はほんとうに限られている。
外から見れば偶然のように見えるが、バラ自身にとっては偶然ではない。必然である。
当たり年がなかなかないのを知ってこそ、勢いのある花が咲いたときの喜びは格別である。
人生もまた、同じ。
来年こそは。
そんな思いでバラ園を後にする。
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自分の「ちょうどよい」が静かに実現されてゆくのが一番。
2012/05/12(Sat)
けがや病気で動けなくなると、「一日も早く治したい」という気持ちと「ゆっくり休もう」という気持ちとが交互にあらわれたり混ざったりする。
本来は、はやくもなく、ゆっくりでもない。それぞれの、時と場合に応じた「ちょうど」が実現されてゆくだけだ。
一刻も早く治るにこしたことはないが、それを思うだけで回復の方向がもつれてくる。
ゆっくりがいいかというと、それもまた、思えば回復の方向は人為的になる。
選択ではない。必然だ。ほんとうにダメなときはほんとうに動けない。必然だから、どんなに真面目で勤勉な人もあきらめをつける時だ。

むちうちには保険会社からの補償が平均3ヵ月。ひどくても6ヶ月という不文律の社会的目安が存在する。
診断書を毎月提出する医者の立場では、「保険会社が何ヶ月まで補償するか」を予測することがだいじという。でないと「焦げつき」が発生する。保険会社も払わない。患者のほうでも責任ゼロ百だから支払わない。「そんなケース最近けっこうあるから」。何か所かの医者に、説明されるともなくされた。
社会的な補償の問題と、自分自身の体の状態とは、きちんと区別して考える。
それが被害者にとって混乱しないためのだいじなことだと、身をもって知った。

ただでさえ苦しみから早く抜け出したいと思いがちなところに、保険会社の担当者が連絡してきて「早く治ってください」とあからさまな催促をする。体のことなど何も分からない人からあれこれ毎日言ってくるのが非常に不愉快で、すぐに弁護士や知り合いの病院長に相談し、文書以外の不要な連絡を一切やめてもらった。
保険の担当者の「早く治って」コールの意味を知ったのは、ずっとあとになってから。
被害者の体調不良が長引けば長引くほど補償期間はのび、支払金も増える。そういうしくみなのだ。支払金を一円でも削減するのが担当者の仕事。だから「一日も早く」。考えてみればあたりまえの話だが、世にうとい頭では思いもよらず、いらぬ不信感がつのった。
早いうちに相談に出たのは幸いだった。解決の力になってくださったT先生にはとくに感謝している。

社会的な解決はしても、体のことは自分で引き受けるほかはない。保険業界も担当者も医師も弁護士も一切関係ない。被害者という肩書きも不要。そんなのはかえって邪魔である。
私と。そして自分の体と。ごく非常にプライベートな関係なのだ。利害にまみれた視点から「早く治れ」などと口出しされるのはまっぴらご免だ。
はやくとか、ゆっくりとか、そういうの、どうでもいい。それが一番シンプルだった。
わたし自身の「ちょうど」が、「ちょうど」のタイミングで静かに実現されてゆく。
ここから振り返ってみれば、まさに「ちょうど」の連なりと積み重なり。ここから先もまた、恐らくはそうであろう。思いわずらうべきことはもともと何一つなかったのだ。
そう思う。
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☆便利な生活は生き物にとってつまらない-体でおぼえる楽しい体験が奪われてゆく-☆
2012/05/10(Thu)
不便な生活に戻ろうというのではない。しかし便利な生活でどんどん失われ、どんどん奪われつつあるもののことは忘れてはならない。生活のどこかで補う必要をみたすものとして、操体法と山歩きは意味があると私は考えている。
掃除機の普及で、自分たちの生活はかえって不潔になったかもしれない。それと同時に、はたきの使いかた、雑巾のあつかいや、いろいろと体でおぼえる訓練の場を失った。私たちがずいぶん掃除がヘタになっているとしたら、能力の点では大損をしたのである。

幸田文さんの著書を開いて、りんとした心の張り、気合を感じない人はいないだろう。文章の好き嫌いはあろうが、ピシピシとビンタを張られるような気持ちで文字を追うことが私にはある。
あれは幸田さんに特殊というよりは、昔の人の暮らしにふつうにあった緊張感だろう。
薪割りもずいぶん訓練させられたようだが、現代の生活にはそんなチャンスもない。
頭を使いながら体を動かすのが人間にとって一番楽しいことなのに、一番楽しいことを奪われているのが、今の便利な生活空間の中味なのだ。

冷蔵技術で食中毒は減り、食物を腐らせる無駄も減っているだろう。
しかし冷蔵庫のない時代にも食中毒を出さず、食物を腐らせない方法があった。
でなければ食中毒でみんな死んで、今はもう誰も残っていないのである。
冷蔵庫がないぶん、生活の中で鍛えられる。何がどのくらいの温度で、どのくらいの時間を経て腐敗していくか、各自が観察する場面に立たされる。どこまでなら口にして大丈夫か。どう保存すればよいか。判断や予測、工夫が試される。
日常生活の現場において小さな勝負で勝ったり負けたりを繰り返しながら、日々頭を働かせるはずだ。
「不便な」生活の中で、仲間どうし学びあい、助け合う必要もあったはず。じっさい、今より助け合いの機会も多く、助け合い精神も発揮されていたと聞く。

近年、認知症が増加傾向にあるというが、昔の人は「不便」な生活の中にボケ防止策をいつも持っていたのである。
生活がよくなった分、失うものがある。「生活が便利」ということは、それだけ体を使わず、頭を使わないでラクをするのだから、これはもう落とし穴だ。
こういうの、人間だよなあと思う。人間の生活なんだから、単純に出した答えでは、まったく通用しないのだ。

そこそこの不便はたのしい。おもしろい。便利な生活は生き物にとって、つまらないのである。
慢性の運動不足と、体を動かす体験が不足しているために、こころとからだがうまくつながらない。不足しているのは日常生活での体験。「生活での体験が脳の発達を促す」というようなことは、あらゆる分野の本で指摘されているのだが。
体のことが自分で分からないと不安になるのも当然で、生きものとして保証されたほんとうの健康を享受することもないといえるだろう。
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☆骨肉の砕かれる音を聞きながら、その胸の内に去来するものは☆
2012/05/09(Wed)
仲間が襲われ、食べられている光景に、常に身を置いて過ごすシカたち。くずれないその淡白な表情の裏には、どんな思いがあるのか。ないのか。映像を目にするたびに、思う。
草食動物たちはただ黙って捕食者に食べられてばかりではない。反撃して相手に致命傷を与えることもあるし、助け合ったり団体の圧力で退散させることもある。多くはその脚力と体力により、捕食者たちを退ける。
持久力でいえば肉食動物など草食動物の足元にも及ばない。草食は圧倒的に有利なのだ。捕食するほうもされるほうも、お互いよく分かっている。だから襲われるには襲われるだけの、食べられるのには食べられてしまうだけの、条件があるのである。
ちょっとした不運。ちょっとした体調不良。ちょっとした気迫の不足。ほんのちょっとの判断のミス。それで命を落とすことになる。

群れで暮らすシカたちは日々お互いに命をかけて学ぶ。命がけの成功、そして命がけの失敗を、目の当たりにしながら学ぶわけである。
互いから学び、互いに助け合わなければ、生きのびることはむずかしい。
程度の差こそあれ、人間である自分たちにも基本的に言えることだ。自分の周囲の人間に起きていることに無関心では、肝心のときに運命が分かれる。
情報を交換しあいながら学びあう仲間。助け合う仲間。自分には一番大切だ。
そこまで近しくはなくとも、直接・間接的に自分の身のまわりの人の身に起きていることにアンテナを張る。

誰の身に、いつ何が、どのようにして起こっているか。メディアの手で加工されていない、周囲の生の情報を見聞きして、何を感じ、何を思うか。
仲間が食べられているのに気がつくか。骨肉の噛み砕かれる音が耳に入っているか。襲われる様子はその視野に入るのか。聞くでもなしに聞き、見るでもなく見ているシカたちの、あの表情の裏に、どのような思いが去来しているのだろう。
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☆鼻水を、ゆるす。アトピーも発熱も腫瘍も、もうゆるす☆
2012/05/08(Tue)
生まれた時から鼻水たれ。「治さねば」という考えで10年いろいろやらされた。危険な手術。強力な薬。それでいろんな障害をおこしていた。肝心の鼻水は悪化していった。
大人たちは「鼻水を治しましょう」という姿勢をくずさなかった。体を少々こわしてでも。命を少々危険にさらしてでも、ということだった。
体を少々こわし、命を少々危険にさらしたが、それで半世紀経った今も鼻水たれ。
こわしてさらした分のツケは今も一人で払い続けている。

甘味を断ち、油や動物性の食品全般を減らしたら、病院や漢方薬でやらされたどんな治療より大きく改善したのが子供ながらに分かった。それで病院通いが不要になった。11歳のときのことだ。
治療に支払ったお金の合計。通院にかけた時間や手間の合計。精神的不安と恐怖(副作用と後遺症は後々分かってくる)。
これをはかりの一方にのせてみる。他方には、甘味を断つ手間をのせてみる。
ハッキリと子供の頭で考えたわけではないが、どちらが効率よいか。
大人はいろいろ理屈をつけたがるだろうが、私は子供だったから、迷路の出口はすぐに分かった。

病人に勝手にこんなことされたら、医者は顔を青くするだろう。
私の治療に支払われたお金の合計を、子供の私のように考えることは、絶対にできないからだ。

病気もあんまりかからないし、病院通いも長くならなかった人には、こういう事実を体験したこともなく関心もないから、分からない話だろうとは思う。
しかし全体的に、これに似たような体験は増えていっているのではないか、これからも増えていくのではないかと、私は案じている。

アトピーは、操体法と山歩きを中心にすると完全に消えた。しかし鼻水ばかりは出てくる。
鼻の通りは、よい。大人たちの方針に従っているあいだ、左右の鼻の穴は同時に空気を出し入れしたことは一度もなかった。両方とも完全に不通なことが多かった。だからこれはむしろ飛躍的な改善といえる。
しかしわたしの心の中に、ふいっと、「この鼻水を治してみようかな」という気が起こることがある。
「このくらいまでしか治らないかな」と思うのだ。
これまでも、いろいろ自分でやってみた。もちろん改善はする。しかし長続きしない。
体については「わるいところは何がなんでも治さねばならない」とがんばる気持ちが起きるほうだ。「わるい体は死んででも治さなければ」という命がけの気持ちにさえ駆られる。
だからときどき、「自分のこれを治してみようかな」などという気の迷いも生じる。

「この鼻水があるから自分は元気で生きてこられた」。ふとそういう思いが起こる。
「アトピーがあったからここまで生きてこられた」。そういうようには考えられないのかな。
体がまちがった選択をする。だから私たちはしっかり監視して、正しい方向へ導いてやらなければいけないのだろうか。体が選ぶ方針よりも、私たちが選ぶ方針のほうが、正しいのだろうか。

もちろん鼻水たらしながらより、たらさずに生きるほうが、よい。皮膚をただれさせたり、発熱したり、体の内部に腫瘍ができないほうが、一見、望ましくもみえる。
しかしそれは人間の価値。社会的価値である。体の活動のあらゆる実行は、「命を維持し、元気に長らえる」というテーマに忠実なはずだ。生命の歴史数十億年の間に身につけてきた体の智恵が、そうそうカンタンにまちがったことをしていては、ここまで生き延びてこられるわけもない。
それどころか、私たちが鼻水やアトピーや発熱や高血圧や腫瘍やその他の生命活動のことに、とかく口出し手出しする方針で生きていくと、この先の生命の歴史がどうなってゆくか。その方面についての保証はまったくない。

そういう目で見てみれば、「鼻水たらしちゃいけないよ」「高血圧なんかダメじゃないか」「腫瘍なんかつくったら危ないだろう?一体なに考えてるんだよ」などと体とケンカして張り合うのは愚かなことかもしれないのである。
「よし、ダメでお馬鹿な体を、私が治してやる」という考えでは苦労が多く、かえって迷路に追い込まれる。ストレートに体に治してもらう。自然の力で治していただく。
結局はそれしかないのではないか。
どこまで体を応援できるのか。体の決めた方針に協力できるのか。体の力がじゅうぶんに発揮されるよう条件をととのえて余力をつくってやれば、気づかぬうちにいろんな改善・回復が、それと分かる。

自分が11歳からじっさいに体験してきたことのすべてである。
危急のとき以外については、よほどでない限り体の方針・方向性を尊重する。文句を言わない。口出しもしない。
「分かったよ。協力はする。でも鼻水はゆるす。アトピーもゆるすし、発熱だろうが腫瘍だろうが、それぞれにそれなりの理由あってのことだろうから好きにやってくれ」ということだ。
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☆開いたページの中から生きた体験が飛び出してくる☆
2012/05/07(Mon)
「読みました」でおわりなら読まないよりましだが、何気なく開くたびに「あ、そうだったのか!」と思い当たることがあり、「ええ?そういうことだったの!?」と思い知ることがある。
開いたページの中に、自分の考え方や感じ方が変わるような冒険と感動が、どれだけあるか。
いつでもそばに置いて、ちょくちょく開いて、開くたびにハッとさせられる。何度でも開く価値のある本は、まったくもってだいじだ。

読むのより書くほうがよほど時間がかかるのである。その人のそれまでの人生すべてをかけた体験が、その文字・その言葉に化けている。それをまたどうやって、生きた体験として自分の中に吹き込んでいくのか。
読書はちょっとした集中力を要求する。
本の中に、自分のほんとうに得たいものが入っているのかいないのか。繰り返し読むうちに決まる。
得たいものがなければ思い当たることも思い知ることも感動もなく、読むに値はしない。

「これはテキストにあったじゃない」「ええ?そうだったっけ?」などというやりとりで、また本を開いて確かめる。そうやって、書いた人が身につけた価値あるものを、だんだんと身につけてゆく。
得たいと思うものが入っているのなら、自分の血となり肉となり、骨となるまでしがみついて本の中味を吸い取ってしまいたい。

そんな本との出会いは、まったく貴重で価値がある。
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☆正直という詐欺-人はまず自分にだまされる-☆
2012/05/06(Sun)
「あの人は正直にほんとうのことを言っている」というが、「正直」が話をすると事実になるだろうか。一たす一は三と信じている人が正直に話せば一たす一も三になる。二かける三が十になったりもする。
「あの人」がほんとうと信じている。
それだけのことだ。

一たす一が三であっても大抵は、すぐにどうとは困らない。でたらめでもそこそこ通用するからこそ、この世はでたらめであふれているのかもしれない。
もちろん、でたらめでは困る場面も、ある。でたらめではやはりいつかは最終的に困ったことになるのである。そんなとき走り回って「一たす一は三」「二かける三は十」などというリクツをいくらかき集めてきたところで、混乱するばかりでにっちもさっちもいかない。

病気やケガでつくづく困ったとき、いかに自分がでたらめだったか、そのでたらめさ加減を、こうでもかとばかりに思い知る。そこを「いや、わたしはまちがっていない」とがんばり通せば痛い目にもあう。ここはずっとずっと頑張り通してさんざん痛い目にあってきた私自身の正直なところだが、これもまた、私の体験と見聞に限られた正直にすぎないのであって、どこまで役に立つほんとうのことかは保証の限りではない。どう判断し、どう役に立てられそうかは、各自で工夫して確かめるほかはない。

感覚が鈍ければ、「自分では心底正しい」と思うことが、平気ででたらめだったりする。じっさい人は自分の感覚に一番だまされやすい。他人がだますのではない。自分の感覚や判断力にだまされているのである。
自分のでたらめを、少しずつでもほんものにしたい。それが私の願いだ。
そのために、いつも感覚を磨く必要がある。
感覚が磨かれていけば、だんだんと自分のカンの狂いにだまされることが減ってゆき、カンの狂いも修正されていく。
感覚を磨くには情報だという意見もあるが、私はそうは思わない。感覚が狂っていれば、正しい情報をウソだと思いこみ、ウソの情報を事実と思いこむ。どんなに正しい情報が目の前にあっても素通りするだろう。

体の狂いを修正すると同時に身体感覚を磨く。自分のカンの狂いにだまされず、カンの狂いを修正し、自らを窮地に追い込まない一つの方法として、私は尊重している。
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☆理論で飛ぶはずのない飛行機が今日も空を飛ぶ☆
2012/05/05(Sat)
飛行機はなぜ飛ぶか。実は科学で分からない。私たちは科学で飛行機を飛ばしているわけじゃない。科学的に確かと思われる説明の99.9%は仮。不完全。まったく見当外れの可能性も含む。
『99.9パーセントは仮説』というおもしろい本。ときどき読み返す。

99.9が仮説で0.1が事実。100対0.1。つまり千に一つしか事実はない。残り999は仮説の段階にとどまっている。
厳しい見方なのかもしれないが、ひょっとしてまだまだ点数が甘いのかもしれない。

体という小宇宙。そして空に広がる大宇宙のことを、人はどれだけ解明してきたか。
宇宙全体の96%の物質は未知、観測不能という。残りの4%も、そのうち99.9%がプラズマだそうで、これは神秘の世界などと言われる。
100対4。そのさらに99.9対0.1。
100分の4かける100分の0.1で、こちらは千に一つどころか万に4つの事実である。
これでは私たちが知っているはずの物質についても、一体どの程度が分かっているといっていいのかさえ分からなくなってくるではないか。

自分たちの体についてはどうだろう。物質についての理解よりも、物質でできた体の理解のほうが進んでいるとはちょっと考えられなくなる。
こうしたことは別におくとしても、生理学の教科書を開けば、ほとんどどの項目にも「この点については意見がわかれる」「ほとんど解明されていない」「不明である」という記述のオンパレードである。

分かっていることはたくさんあるのだろう。たくさんあるが、たくさんというのと、全体のどのくらいを占めるかというのとでは、意味がちがってくる。分かっていないことのほうが96%で、分かっていることが残り4%だったとしたら、その4%さえもだんだんとあやしくなってくる。そういうことも考えられないだろうか。

生理学の教科書を勉強し始めたころは、おおざっぱな気分で臨んでいた。すでに解明された部分は全体の6割くらい。解明されていないことは残り4割くらい。解明されていないことは、重要ではないからだろう。重要なことなら、もうほとんど分かっている。そんなイメージを、いつの間にか持っていた。「科学の進歩、人類の明るい未来」なんていうキャッチフレーズを朝から晩まで聞かされ続けていれば、しょうがないことだ。
解明されていないことがたとえ96%だろうと99%だろうと、だいじょうぶ、今に解明されるはずのことばかりだから。

しかしどうやらそうではなかった。
単純に物質レベルで考えてみても、体という小宇宙もまた、大宇宙と同様に、未知・測定不能なことが96%を占めているとしても驚くにあたらない。そしてさらに残りの4%のうちの、0.1%くらいのところで、科学も進歩した、医学も進歩したと言っているのかもしれない。
そこに、生命の働きということを加えると、はたしてどういうことになるのか。

医学は解明された部分を100と仮定して成り立つ世界である。今の医学では物質レベルと生命レベルとの解明された部分を100として、迷わず注射をしたり薬を出したりする。だからまったくの見当はずれのことも、当然ありうる。それは覚悟しておかなければならない。

私たちの日常は、解明したことを100とした世界に他ならない。解明されていないこと・不明なことを限りなくゼロに近いものとして、今日も空に飛行機を平気で飛ばしているわけである。
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☆「知っている」と言う小学生。「わからない」と言うアインシュタイン☆
2012/05/04(Fri)
小学生が黒板に胸を張って足し算の答えを書いている写真。その隣には黒板の数式を前に首をひねって考えこむアインシュタインの写真。

小学生の顔は得意に満ちている。「ぼく何でも知ってるよ。ぼくに聞いてよ何でも教えてあげる」。
人に教わったことしか知らない。教科書に精通している受験生の全知全能の世界。
先生に答え合わせをしてもらえば百点満点まちがいなし。自他共に了解済みの世界。

他方、アインシュタインの顔は疑問に満ちている。「わたしには、わからない」。
誰にも教わらずに自分で答えを追い求める人の持つ、孤独感。
答え合わせは自分自身。それは長い長い時間の流れの中にある。

テレビやラジオのコメンテイターたち、そして新聞記事は、どうだろう。
彼らの態度は小学生か。それともアインシュタインか。
そして自分自身はどうだろう。自戒したい。
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☆人類の二足歩行にはどんな未来が待っているか☆
2012/05/03(Thu)
つい見とれてしまった。
頭をもたげ、背筋はシャンと旗ざおが立つようで、その晴れやかな顔はまさに風にはためく旗を見るような。そして何より軽やかに歩行のリズムを刻む、その足元。

目の前を、ベージュ色した一匹の犬が、地面をふみふみして通り過ぎてゆく。
前足が地面におりるたび、やわらかな足首がいちいちていねいに重みを受けとめているのがわかる。すとんと地面に足がおりるたび、すっくと膝が、伸びる。
人間の、痛む膝や、じゅうぶん曲げ伸ばしのできていない不自由な膝をよく見かけるからだろうか、犬たちの素晴らしい歩行にはいつも目を見張る。
四つ足の歩きは、いつ見ても、いい。

右の前足がすとんと地面に下りる。すると左の前足の膝がゆるみ、足の先が宙に浮くのが、紙との接触を待つ筆のようにほどよく脱力しており、それがすぐにまた、すとんと地面を打つ。実にいともやすやすと、交互に地面を蹴っていく。
後ろ足のしっかりした支えがあって実現できることだろう。こんなことが日常でごく当たり前に行われているのが奇跡のように美しい。そう思う。

二足歩行には二足歩行の自然というのがあるとは分かってはいても、四つ足の完成度というものを思い知らされる。人間も疲労困憊すれば四つ足の姿勢をとらざるをえない。二足歩行のベースには、あくまで四つ足歩行が隠されているのである。
二足歩行はこれからさらに完成度を高めてゆくのか。それとも四つ足に先祖がえりする可能性もないとはいえまいなどと、考えてしまう。
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☆飲み食いのことで終わってしまえばそれまでだけど☆
2012/05/02(Wed)
パン作りの小麦粉を練る。生地の弾力が心地良い。手触りが変化してなめらかになっていくのも心地良い。
感覚はこういうことでも磨かれているのに、筋肉の手触りがなぜ分からなかったのかが不思議である。

水や塩の加減でもこね具合はまるで違う。ふくらみかたも弾力も、まるで違い、焼きあがりも違う。その違いが楽しくて夢中になった時期があった。そういう微妙な違いが分かる感覚だのに、「筋肉もそれと同じでいい」という頭がなかった。「ここが固いだろう」といわれて触っても、サッパリ分からない。「ほら、ゆるんだ」といわれても分からないから退屈なばかり。「そんなちょっとの違い、分かるはずない」と思っていた。「体はべつ」という頭もあったかもしれない。「治療は料理とはべつ」という頭もあったろう。
結びつかなかった。

「なあんだ。同じじゃないの」と分かってきたら、がぜん体のことがおもしろくなった。
料理をやってきた人なら分かるはずなのだ。
野菜や果物を選ぶのがじょうずな人も、分かるはず。
体のどこがどのくらい固いか。どのくらいゆるんだか、ゆるまないか。そのくらい、さっと触れれば分かるはずなのだ。
小麦粉だってお野菜だって果物だって、生きものだ。人間の体も筋肉も生きものだ。そこらあたりの共通点で、私たちは分かるようになっている。
残念ながら最近は、野菜や果物を手にとって手触りを感じながら買うということが少なくなったようだが。

小麦粉を練ってこね始めた瞬間から、パンを焼いたときの匂いがただよい、パンの味が口中に広がっている。野菜を手に取ると、その野菜の味が手から伝わってくる。果物も、そのマズイ・ウマイが手に取った重みや感触でたちどころに分かってしまう。「食」の感覚は鋭く、「食べること」に結びつくことには感覚がはたらく。

飲み食いへの強い関心から出発し、あとはどうしたら、飲み食い以外のほうへと広げていけばよいのか。
そこが問題だ。そこは大きな問題になるのかも、しれない。
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☆渦巻く銀河のどこかで起きている、いくつかのこと☆
2012/05/01(Tue)
突然の事故で、お子さんが危篤になり、生命維持装置につながれた。
「生きていてくれさえしたらいい」と何度も何度もおっしゃった。成績なんか体なんか素行なんかどうでもよかった。生きてればそれだけでよかったんだとおっしゃり続けて二ヶ月が過ぎ、生命維持装置ははずされ、お子さんは息を引き取ったと聞く。
この女性にはじめて会ったころのことを、思い出していた。
「うちの子の、あの根性を、叩き直さなければいけない。成績もいけない。体つきも、目つきもいけない。第一、素行がよくない。ちっとでも目を離されてもらっては困る」。
電話がくると一時間でも二時間でもお子さんのことを話し続けておられた。

「子供がいた、ということだけでも、よかったではないか」と、ほかの女性が、言う。
子供が持てさえすれば、よかった。子供の身を思って泣くことさえ、私にはできない。
それぞれに、苦しみ、悲しみが、ある。
子を思う楽しみは、子を思う悲しみとが、一枚のコインの裏表になっている。
子を持たないさびしさは、子を持たない身軽さと表裏一体となっている。
どっちが得をして、どっちが損をしたといえるだろうか。どっちがより気の毒で、どっちがより羨ましいご身分かということを、誰が判定できるだろうか。

「新しい家を建てたから遊びに来て」と誘われて出かけていった。床下には炭をうめて、アトリエも広くて、と案内される空間は、仮暮らしを続けてきた私の目には少々大げさなような印象だった。夫婦二人が過ごすにはどうだろうかなどと思ううち、急に静かになったので気がつくと、彼女は一人で泣いているのである。「最近すごく不安なの」という。申し分のないこの生活がいつかくずれるなんてイヤだと言って、泣き出したのである。
仏教になど関心を持たないような人が、説法集からそっくり取り出してきたようなことを言うので驚いた。幸せを持て余すという、少々ぜいたくなほうの悩みである。
気の利いたことが言えればよかっただろうが、口から出てきたのは、「わかった。じゃあこの家を私がもらってあげる。きっと気がラクになるわよ」。
半分本気だったが、冗談と受け取られたらしい。彼女は急にけらけらと笑い出し、すっかり機嫌を取り戻した。

こんなようなことの一つ一つが、目にも見えないちっぽけな星の集まりが銀河をなしてぐるぐるめぐっているように、もっともっとたくさんのことと一斉に、この世をめぐっているだろう。
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