辛い目にあう時間とウキウキ過ごす時間の比率が違ってくる
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2012/03/29(Thu)
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物心ついたときにはひどい低血圧。午前中は生きるのもつらいという感じ。朝をさわやかに過ごすというのが子供時代からの切実な夢。
それが実現し、寝起きが安定したのは操体法を実行してからのこと。操体法をやっていると、体の奥のほうからぐう~んと突き上げて全身に快感の波が押し寄せる。伸びである。とくに朝はおもしろいように次から次へと押し寄せてくる。 操体法を早く知れば知るほど、人生の中でつらい目にあう時間を減らし、うきうきして過ごす時間を増やすこともできるのではないか。 ところで私の祖母たちはじつに長生きをした。ずいぶん勇ましく元気もあった。父方のほうは、もとから恵まれていた。暗いうちから起きて町内のお掃除や、庭の草むしりをしないではいられない人で、私が幼少時にさわやかな朝の目覚めを願ったのも、このおばあさんのことが頭にあったからだと思う。足の裏が肉厚で、ふかふかしてとっても気持ちがよい。「あの感触は」と今でも話題にされるくらいだ。 母方のほうはまるで違った。ぬぐいきれない不安を抱えているような顔をしていた。よくあんなふうで長く生きたものだ。大病こそしなかったが寝つきもよくない。何かにつけ不平不満をこぼしながら一人で過ごす人だった。 そんな祖母も、孫の私があまりに頼りなく思われたのか、あるときふと「いいこと教えてやろうか」と私にささやきかけた。 「あたしは寝床の中でこんなことをやってるからね。いつもこれでだいじょうぶなんだ」言いながら、「寝どこ体操」をやってみせてくれた。朝と晩に、老人が人知れず熱心に取り組んでいるという体操が、今にして思えば操体法の原理に似ているのだった。 「これはおばあちゃんが自分で工夫していろいろ考えたんだよ。あたしはなんでも自分で考えて工夫してるの。朝と晩に寝どこでこれを欠かさない。だからこうして一人で、誰の世話にもならず、ずっと畑しごとをして、食費もせつやくしてる。おばあちゃんを見習いなさい」。 寝どこで両肩を交互に上げ下げしたり、足の先を左右交互に突き出すなどして、骨盤をかたむける動きが左右できちんとできているかを確認するのだという。骨盤の動きのよくないところが解消していくように、工夫しながらいろいろてきとうに動くのだという。 「これで、たいがいの痛みは、消える。やってごらんなさい」と話す祖母の顔つきは自信に満ちていた。「だれも助けてくれないよ。シッカリ自分でやりなさい」と励まされた。 あとにも先にも一度きりの話。静まりかえった家の中で、二人だけの一瞬の立ち話のようなこと。曇りガラスを通して差しこむ日ざしが、私たちに降り注いでいる。 長生きで元気な人の話は聞くものだ。 そして、その元気を、本人の意識にはない何らかの条件によるものと、本人の意識的な工夫によるものとに、分けてみるといい。 本人の申告をそのまま受け入れることはできない。しかしいろいろな人にあたってみれば、共通点はある。 寝どこで操体法をやるようになってから、朝の目覚めは理想どおりになってきた。寝ぼけ眼でいきなり寝床を這い出すというようなストレスフルなことは、やらない。まず寝どこで足先を左右交互に突き出し、骨盤の傾きや動きをチェックする。足を天井に向かって左右上げ比べをする。うつ伏せでも似たようなチェックをする。 チェックをするうちに、体の奥のほうから、ぐう~んと突き上げてくるものがある。全身に快感の波が押し寄せる。伸びである。おもしろいように、次から次へと突き上げてくる伸びが、わたしのほんとうのお目当てだ。 起き抜けの足どりも軽く、このたのもしい歩みに「ようし今日も楽しく過ごしてやろう」というモードが自動スイッチで入る。 おばあちゃんの言いつけは四十年近くも経って、今ようやっと孫の私に生かされているといえようか。 スポンサーサイト
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