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達人はなにがちがうのか-正しく実行しさえすれば、ちゃんと結果が出る-
2012/03/20(Tue)
目の前で、やって見せてもらう。そのまねをする。その繰り返しである。
目を皿のようにして、見る。見る。達人の体の中に、のりこませてもらうくらいの勢いで、見る。
最初のうちは、やり方しか目に入らない。「ここを、こう押さえる」「ここを、こう倒す」「ここがこうなったら、次にここを確認して、それから…」
師匠の姿を、師匠の動きを、目に焼き付けようとする。自分が、体に向かうのではない。体に向かうときの自分は、師匠に変身している。師匠の目で見て、師匠の手で触れて感じとる。そのくらいの勢いでなければと思うが、自分はまだまだ集中が足りない。修行が足りない。

ずっとずっと以前に、療術の古い家系の方と縁があり、いろいろ話を伺っていた時期がある。あちらこちらの達人のもとで修行を積んだ話がおもしろく、酒をかわしながら、達人は何がどうちがうのだろうという話題で盛りあがった。
あるところでは、三つか四つくらいのパターンの中から、施術する相手によって一つか二つだけを選んでいたという。まず単純なパターンを全て教えてもらい、身につける。それから先生のかわりに現場に出て施術をやらされる。先生は別室にいて指示を出す。驚いたことに、施術室に入るまでの間に、「この人は、このパターンでやってくれ」と指示が出ていたという。
「よろしいか。施術室に入ってきたときには、もう決まっていたんだよ。べらぼうな話だ」と、話し手は目をむいて一同を見渡した。
医者なら、まず相手の話を聞き取って訴えを聞き、必要なことを検査で調べてから、何をするか決めるだろう。相手が話をする前から、心の中では何をするか決めているだなんて、誰が信じるだろう。
「ひえ~、そんなんで、キクんですか?」冗談半分の質問が、笑いの中からとんでくる。
「それが不思議と一発なんだ」。
笑いがしずまり、息をのむ。「ヘ~え。たいしたもんだ」。

施術室に入ってきた人に、ふつうにあいさつをして、事情を聞き取る。何をするかは師匠の指示で決まっているが、表面上は聞き取りをして、「分かりました」と承り、あらかじめ指定されたパターンの施術をする。すると結果が出る。
「もうスッカリ分からなくなってね。自分のやってることはデタラメなんじゃないかと思えてきた」という。
そこである日、ひそかに実験を開始した。
師匠の指示には従わない。事情を聞き取り、体をみせてもらい、「これはこのパターンだな」と現場で判断して施術をやる。「これが不思議なほどダメだった」。あきらめて、指示通りにやってみる。するとウソのように解決する。
「きのうの湯豆腐と、きょうの湯豆腐。同じ湯豆腐の、どこがどうちがうんだろう」と、頭をひねる日々が続いたという。同じ一つのパターンが、ある人には劇的にきくが、ある人にはまったくきかない。こんな話があるか。
(ヘ~え。療術って、そんな世界なんだ。おもしろいなあ。あたしには関係ないけど)と話をさかなに酒を飲んでいた、当時の私である。

目の前で、やって見せてもらう。まねをする。その繰り返しの中から、わたしは何を学ぼうというのだろう。
操体法のやり方は単純だから、習いに来たその日から、かたちをまねることはそう難しくはない。
同じ見かけの湯豆腐が、つくれるはつくれる。見る人が見ればもちろん同じ見かけではないが、初心者は、もう立派につくれる気分になってしまう。ほんとうの問題は、そこから先である。
「ほんとうに、同じ湯豆腐なのだろうか」ということが、一つ。
もう一つは、「どの湯豆腐を、どの人に食べてもらうのか」ということだ。

最初のうちは、湯豆腐のつくりかたしか目に入らない。材料を、そろえる。次に下ごしらえをして、だしをとって、一緒に同じ手順で調理させていただく。もうそれで精一杯である。
だんだんとやっていくうちに、段階に応じてコツも伝授していただく。長い年月にたくわえられた経験をまじえた、貴重なことを教わる。切れば血の出る話である。よくもこんなことまで教え続けてくれるものだ。そう私は感じている。
結局は、そのようなことを積み重ねる中で、からだができてくる。感覚もできてくる。動きもできてくる。誰がプロだとかプロでないとか、ほんとうは、関係ない。正しく実行していったら、結果的にはしろうとでも立派なものが身についていく。正しく実行しなければ、違う湯豆腐で満足するしかない。
「結果が出ないのは、やり方が正しくないから」。耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。
まあ何をやるにしても、きわめるっていうのはそういうことだ。ふと後ろを振り向けば、食えるような食えないような湯豆腐が累々と横たわっている。私はいつまでつくり続けるのか。

操体法はねえ、間口は広いから誰にでも入ってこれる。しかし奥は、深い。じつに底なしだ。
こういうことにかけては口数の少ない師匠が、ぽつりと口にした言葉のことを、つくづく思うことが、ある。
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