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疲れ知らずの実現。持続力の強化。-操体法の医学-
2012/03/01(Thu)
汗水たらしてガンガン体を動かせば人間が強くなるという考えも聞くが、力のムダづかい無理づかいをやめれば、ゆとりも出る。無理は体を傷め、ムダは疲れをつくる。一歩まちがうと体を衰えさせ、短命につながる。

体の内部には力の通路が数限りなくある。
右手を強く握れば歯を食いしばり、ひじも肩も首も、腹も腰も足も緊張し、顔も歪む。あらゆるところから力を集めて右手を握らせる。
全身の筋肉がみんなで協力し、応援しあいながら動くことを、操体法では連動という。
連動がじょうずな体はまんべんなく筋肉を使うから疲れ知らずで持続性がある。
連動のヘタな体は互いに協調しあうことが少なく、それぞれが孤立して頑張るので体を傷めやすい。
互いに協調がうまくいかなくなった動きを「クセのある動き」とか、「動きにかたよりがある」とか言う。

力の崇拝者は「力をこめればこめるほど人間が強くなる」という思いを断ち難く、省エネで体を動かすという発想を嫌う。山歩きを好む私にはその気持ちも分かる。疲れ知らずになるために、まず体を酷使し、苛酷な労働に耐え、体を強くするのが先決だという発想だ。
しかし無理・ムダの多い体には痛みが絶えない。骨格にゆがみが広がり、力学的なクセとかたよりが増え、疲労の借金がかさむサイクルができあがれば、つらく生きるほかない。
筋肉がつくのは勲章のようにも思われるが、肉体の酷使への適応ともいえる。
力への憧れが強いと大怪我をして、その後は無茶の尻拭いをして過ごすことになる。

力の表街道がアウターマッスルという筋肉。裏街道がインナーマッスル。力の通路は筋肉繊維細胞である。筋肉が硬いということは、力の通り道に障害物が発生するということである。
腕を上げようとして力を出しても、力が通りにくく、必要なところに力が集められない。結果、腕が上げられなくなる。
動かないとまではいかずとも、よけい力をこめなければ力が届かない。うんうんと景気よくはずみもつけて、見ているぶんには威勢もよいが、よけいにこめた力の分がロスであり、無理が生じる。無理したぶん体を傷め、汗水たらしたぶん疲れやすく、よいことは何一つ期待できない。
筋肉を硬くしていると筋肉繊維の通路があちこちふさがれて通りにくくなっている。強行突破を繰り返しながら力を集めるほかない。本人はそれでふつうと思っているが、不自然な動きである。

骨格は、滑車やてこの原理がはたらいている。
ある関節を支点とし、別の関節が作用点となり、効率よくなめらかな回転運動の連携が動きを生む。
「力を入れないと体が動くわけないじゃないか」と思われがちであるが、体は力で動かすのではない。体格のよい大人を一方の端にのせ、もう一方の端に小さな子供をのせてもシーソーはつりあう。てこを使えば百キロの岩を少しの力で動かすこともできるのである。

地上にはもとから見えない力が働いている。
重力を味方につければこれまでの三分の一、五分の一、いやそれ以上の小さな力で動く工夫もできよう。
力のムダづかいや無理づかいをやめれば現在の三倍、五倍の活躍も可能だし、今と同じ生活でよいのならラクチンもいいところだろう。
血液の流れも力の流れと同じと考えられる。血圧が高いのは筋肉の固まったところを通る管が流れにくいために、より強い力で流そうという体の努力だ。筋肉をゆるめれば高い血圧は必要ない。必要のないことはやらないのが自然というものだろう。
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