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時間の経過につれてどんどんと評価が上がって伝わってゆくもの
2012/02/20(Mon)
時間の経過につれて自分の中でどんどん評価が上がってゆくもの。人から人へと伝わり広がるうちにも、どんどんと評価が上がってゆくもの。
同じ身につけるのなら五年後十年後に振り返ってみて「ああここに来てよかった。これを知って救われた。もしここに来て知ることがなければ自分の人生どうなっていたことか!」と心の底から思ってもらえるようなものを、と思う。
操体法を続けるうちに、自分だけでなく家族や知人の間でも、どうやら自分たちは当たりくじを手にしたようだという手応えを日々感じる。確信を日々更新し、延長してゆくうちに、丸二十年が過ぎたのである。
師匠は、「自分もやって、他人にもやってもらって、三十年まちがいがない」。橋本敬三先生は五十年単位で「これでまちがいない」。それらを足し合わせると百年分ともなる。

当たりくじにも三億円のもあれば数千円のものまである。各人の手にした当たりくじがどのていどのものであるのかは、各人の取り組みしだい。バラバラである。
今の自分自身には三億円をはるかに超え、金銭価値というよりむしろ自分の人生そのもの命そのものと大差ないくらいである。しかしいきなり人生の、命のということではなく、最初のうちは数千円のお買い物のつもり。その後、いったんゼロ円にまで落ち込んで、もうやめようかと迷う時期もあり、心がスッカリ離れてフラフラしていた。しかし人生そう甘くはないし、自分の周囲にも助けの必要な人が少なくなかった。「困った!」というとき戻っていく場所が操体法になっていった。

そうこうするうち数年ほども経過して、身のまわりの操体法の人を何とはなしに眺めるうちに、操体法でとてつもなく大きなものを手にしてほくほくしている人もいると気づくのである。
「なんで自分はこれっぽっちなの? 」。
何とか自分もあやかりたい一心で話を聞くと、たいていは自分よりもよく知っている。もしくは自分よりも厚い信頼を操体法に寄せている。要するに理解が深い。
「一体なにをどうすれば、そんなふうになれるものなんですか? 」なりふりかまわず尋ねる一方で、「きっと何か特別な方法があるに違いない」と勘ぐって、ありえない王道を自分であれこれ想像したりもするのである。
「あの人はああいう条件持つ特別な人だから成功するのも当然。自分は条件がないから成功しない」とか何とか言い訳をしてみるけれども、それじゃどうにも腹の虫がおさまらないものだから、意地汚くしがみついている。

現在もその延長だろうなと思う。「自分とあの人と、どこがどうちがうか? 」
自分と人とをくらべるのは悪いとかいうことも聞くけれど、自分はくらべることで周囲から手本を見つけて、自分の刺激に大いになっているから、むしろ有難いものだと思う。どの人も、生き抜いてきたのである。武器となる長所を持っている。ほとんど全ての人に長所を見出し、手本を見出しながら操体法を学びあう。自分にとって操体法は、人生の学校である。
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