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分からないという答えだって、きちんと機能するものだ
2012/02/15(Wed)
顔は笑っているが、中では腹を立てている。見かけで中味は分からない。
潜在意識なんていうものは、当人さえ気づかないようなことが中味のほうではむしろさかんに起こっていて、当人の意識よりも影響力を持つという。そこまでいかずとも、周囲の人には見え見えのことが本人だけにはさっぱり気づかれていない。指摘されて初めて気づいたり、「私はそんなじゃない」と反発されたり。
自分では案外しっかりしているなどと思っているが、ふだんからこれほどまでにウッカリと過ごしている。分からないことだらけなのを分かっているという前提で生きている。

「死んで何もかもが終わりかどうか。それは分からないよ」と疑問を投げてくださった方がいる。
それまで自分は①死んだら全てが終わり。今の人生しか考えなくてよい。②前世も後世もある。死んだあとも生きるということ。その二つの考えのどちらかしかないのだと思っていた。そして迷わず、「こっちでしょ」と①を選んで生きていた。
生きたものが死にかけていたり、死んでしまったものを見ていると、どう見たってジ・エンド。そんなのは何も知らない子供にだって分かる。しかし何も分からない子供の見方・考え方のままで、じゅうぶんなのだろうか。まだ何も分からない子供の感じ方・考え方のままで、じゅうぶんに生きられるだろうかとも思う。

ブッダのように輪廻転生という前提で生きることはできそうにないが、かといって前世も後世も全くないという前提を押し通すこともできそうにない。というか、じっさいのところ結論の出しようがないわけである。
「分からない」というのが正解としか言いようがない。これは小さいころから学校の丸バツ式教育をたたきこまれてきた私にとって、意外な結論ではある。
しかし「あとがあるかもしれない」と保留して考えるようになってから、いい加減には生きられないぞという意欲がわくように思う。ヘンな言い方になるが、死んだあとの人生を考えると、今の人生がどうなろうとも最後の最後までとことん生き通そうという気持ちになってくるのである。
「分からない」という答えも、案外うまく機能するものだと思う。

今の自分が前世の自分になったときのことを考えてみると、今の社会の現状、今の自分の置かれた立場に限定せずに、ものごとを見たり考えたりさせられることにもなる。
何の役にも立たず、無駄なようにも思われるが、目先だけでものごとを決めつけることから少し解放されるように思う。遠い昔の人々のことが、後世に何度も吟味され再評価されるのと同じようなもので、今の自分を故人にしてみたときに、自分の姿が自分の目にどう映るのかを考える。そういう作業に取り組むことで、生き方の姿勢までが変わってくるように思われてならない。

輪廻転生というのは、今の自分の生き方によって次の自分の生き方も決まるという思想である。全てにケリをつけるのは解脱だけ。死はそれほどまでに決定権を持たされていない。次の生を決める規準は、今の社会や文化の持つ価値基準と必ずしも一致しない。なにせ時代や文化に制約を受けない視点なのだから。
次の自分の生き方は、いまだ決定されていない。決定するのはこれからの自分の歩みだけ。死んでみるまで分からない。
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