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どうせだまされるんだったら、でっかくだまされたい
2012/01/08(Sun)
最初から分かるわけがないことを、納得してから始めるというのなら、新しいこと、未知のことは何も始められない。やっていくうちに「そうだったのか!」と納得もあるが、すぐには納得できないこともあり、あらたな疑問が出てきたりもする。

自分の体験や自分の理解を伝える努力はするが、そのまま伝わることはない。各自が取り組む中で、その人なりの納得を見つけていくより他はない。しかし「やってみれば分かるよ」と言われてそのまま実行する物好きもないだろう。私の伝えようとしていることが、どの程度ほんとうのことなのかは、確かめようもないことなのだ。
あやふやな表情が浮かび、相手のおぼつかない様子を見ていると、「自分はこの人をだましているようなものなのかも」と思われてくる。「まあ、ここはひとつ、だまされたつもりで試してごらんなさい。失うものはない。うまくいけばもうけものです」などという言葉が口をつく。

自分自身、十年ほど前は「操体法などというものに、自分はだまされたのかも」と思うことがたびたびあった。
とくに年があらたまる時期などに、「操体法やって何年目か」とふと思う。それまで投じた費用を総計し、十年だと単純計算で百万超えていると思うと、高い買い物か、安い買い物なのかと下世話なことも考える自分がいる。「ふん。百万あったからって他に何に使うというんだい」と開き直るもう一人の自分がいて、「百万といえば車一台分。車一台よけいに買って何になるか。食べ物を月一万ぜいたくしてお腹をふとらせるか? なんにもしないで貯金だけふやすのか? 結局、何になるというのか」と問い詰めてゆき、「操体法にこれだけのお金と時間をかけたのは、おまえにしては上出来だ。高級な遊びと思って勉強を続けなさい」という結論に達するのである。

本年二十年目を迎えるが、自分はよほど疑い深いたちなのだろう。「だまされたかも」という気持ちが全くないとも言い切れない。しかしながら、もう二十年もだまされ続けたというのなら、それもまたすごいようなものだ。こうなったら、「よし。だまされてやる」と過激に勉強したらいい。正しく勉強を積んでゆけば、きちんとした結論がいずれ出てくる。きちんとした結論も出てこないような勉強のやり方なら、もう何をやってもやらないでも同じだから、だまされたと腹を立てる必要もないようなものである。
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