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自分の意識を消し、わざとらしさを消す。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
- 2011/11/11(Fri) -
手の感触から思いや考えまでが伝わる。手当ては「手を当てる」の意であるが「治って」という思いの、祈りやあせりや心配が伝わるのがうとましく感じられることもある。
一緒に部屋で過ごす相手が「窓あけましょうか」「お茶いれましょうか」といちいち声をかけてきたらどうだろう。心地よく過ごしてほしいという気持ちも分かるけれど、かえってそれが居心地わるい。お互い力を抜いて、空気のような存在になりきるということが、場を心地よく共有するために必要なときもある。

術者の持つ、「治るだろうか」「治ってほしい」「さあ治してやるぞ!」などという気持ちは隠しようがない。「うまくいくかなあ」という不安。「あれっ、治らないなあ」といった心の動揺。そうしたものが相手には雑音に感じられるはずである。
癒動操体でも活元でも、相手の体に手を置くときは、「ぽかんとして、できるだけ何もかんがえないように」と注意を受ける。
操法を行うとき、術者は相手の体の動きを誘導したり支えてあげたりするが、腕や肩やひざなどに、何気なく置いた手や指先から、何らかの意思もしくは心の動きが伝わってしまうのである。どんなに「鈍い」とあなどっている相手でも、こういうことは正確・確実に伝わるのだから、恐ろしい。

操体法の脱力がうまくいかないという話を聞くが、ここに要因があると思う。
「この人の体が硬いから」「いうことをきこうとしない頑固な人だから」などと、相手のせいにするのもご自由だが、術者の心身がどれだけリラックスしているかということがテキメンに相手の脱力加減にあらわれる。
相手の動きは、術者の心を映し出す鏡である。

家族や友人相手だとうまくいくのに、知らない人とはじめてやるとうまくいかないというのもよく聞くが、これも相手が操体法の動きに慣れないからというよりむしろ、自分の側に緊張があるからだろう。「うまくいくだろうか」という自信のなさや、操体法への不信や疑念も加わっている。「こんな単純な動きでどうなるわけでもあるまい」というような、こころもとない気持ちが、互いのすなおな動きをそこなってゆく。
自信というのもまた、手から伝わって反感をかうこともある。
暗黙のうちに、術者の手と、動く本人の体とのあいだで、こんなやりとりが交わされていては、あとでお互いに疲れる。そういうことは、ないだろうか。

「ぽかんとするのがむずかしければ、きれいな夕陽や広い海、広い空を眺めていると思えばいいですよ」とどこかで聞いたことがある。
人間は不完全な生きものと言われる。人間の意思というのにはどこか未熟なものがあり、意識は多少なりとも誤差を含んでいる。それをわたしたちの無意識が本能的にきらうのではないかと思われる。


※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたもいっしょにやってみませんか。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。
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