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運動だって食べものだ。動きの質を考えたい-福岡操体法スタジオ freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/28(Fri)
ジャンクフードでも腹が満たされるように、どんな運動にも運動効果というのがある。新鮮な空気をとりこんで気分はよくなり、血流も全体的には改善。体温も上がる。ならけっこうじゃないのと言いたいところだが、ジャンクフードに功罪があるのと同様に、運動にも功罪がある。

何をどう食べるか、健康に関心あれば誰もが考えることだが、動きに関連した筋肉の研究は少なく、動きの質への関心はうすい。運動はいいこと、という以上の、動きの質ともなると思いもよらないというのが大半ではなかろうか。
スポーツをやっていた人は、はずみをつける。どこをどう動かすにも、はずむ。中高年ともなると、はずみをつけないと動かせないくらい、そこらじゅうこちこちになっている。この状態で「はずむと筋肉をかたくします」と伝えるのも少々苦しい。
操体法をやっているあいだはがまんできても、「やれやれ操体おわった~」と思った瞬間から、ふだんの動きに戻る。人生最初に教えこまれた体の動きは、ラジオ体操をはじめとするエイッエイッとリズミカルにはずむ動きだ。たとえ本気で取り組んでも、はずみのクセを取り除くのは至難のワザであろう。習った踊りは百年忘れないというくらいだから、まったく困ったものである。

ラジオ体操で、脇を伸ばす運動というのがある。両足ふんばっておき、上半身を右に倒して右の脇を伸ばす。左に倒して左の脇を伸ばす。これを腕の上げ下ろしをしながらはずみをつけて「いっちに、さんしっ」「にいにっ、さんしっ」とやる。右を二回、左を二回、と左右交互に同じ回数やっていく。
それをやったあと体がどういうことになるか。短期・長期にわたる影響を確かめた人はいない。学校の先生も知らないまま、教えることになっているから教えている。

ラジオ体操の動きをやる前と、やったあとで、体の力の入り具合を調べてみるのも参考になる。体に力が入るようになれば強くなったということ。体に力が入らないようになっていれば弱くなったということ。
一概に結論は出せないが、こういう結果も出る。そして、こういう結果を積み重ねていったらどうなるか、頭の中で想像してみるのも参考にはなるのではないかと思う。

体の力の入り具合を調べるのには、床に足を前に投げ出して座る。右手で左肩のあたり、左手で右肩のあたりをつかんで両腕を胸の前でクロスさせる。両腕の交差したあたりに手を置いてもらって支えとし、上半身を前に倒して押しあっこした感じを、「ラジオ体操をやる前は、このくらい力が入るね」と互いに確認しあう。
それからラジオ体操で脇を伸ばす運動をやってみて、同じことをし、力の入り具合を再確認する。

結果どうなるか。
一人ずつ体の動かし方もちがうだろうから、各自で確かめるほかは、ない。


※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたもいっしょにやってみませんか。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。
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自然の手のひらで安住して生きる-努力した分は報われたいという思いはどうなるか-福岡操体法スタジオ freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/27(Thu)
努力を尊重するのは言うまでもないが、努力と同時に開き直りを尊重したい。とくに心身の問題は努力があだとなることもあり、心するべきだ。

努力を積めば自分でも、治らないもの・失われると分かっているものが見えてくる。そこをさらに完ぺきを目指せば努力は報われなくなってきて、気持ちのうえで敗退する。負け戦に負けながら負けることを苦にするようでは、かえって心身を傷める。むしろ、さわやかな笑顔で負けてゆくグッドルーザーでなければ苦しみは増すばかりということもある。開き直りのない努力のやり過ぎは、やり過ぎだけならまだしも、もっとだいじなものを損なう。

歯のことを苦に病んで数十年の近しい身内がいる。操体法をはじめ、ありとあらゆる対策を講じてきた。何冊もの本を読み、歯医者を訪ね歩き、歯磨きも日々どれだけやってきたかしれない。歯の話になれば止まらないので注意を要する。誰に何を言われても受け付けないから、誰も何も言わない。

確かに歯は大切。言うまでもない。「自分の歯で何でも自由に食べられない苦労を知らない人はなんにも分かってない」と言われれば、そのとおりだが、歯が痛みながらでも歯を失いながらでも、生き続けるというのも事実。
八十歳まで二十本以上歯を残そうという「はちまるにいまる運動」を頑張ったからといって、おおかたは八十まで生き残らないというのが努力の前提だろう。生き残った人の中でも頑張ったから二十本残るという保証もない。

歯はだいじな意味を持っている。食べものをかじりとったりすりつぶしたりという機械的な存在ではない。歯は立派な臓器である。しかし歯と胃袋のどちらがだいじかと問われて、歯を胃袋と交換する人はいない。胃袋のほうがだいじに決まっている。それもだいじな前提である。歯を苦にして胃袋を傷める毎日よりは、歯のことをじょうずに開き直り、できるだけ楽しく過ごすほうが、胃も丈夫だから歯もよけい残るかもしれない。
歯を残すとちまたに言われる方法で、「こうすれば絶対に失敗しない」というやり方はない。歯の努力をこれ以上できまいというほど積んできたその身内の歯の状態を見ていると、あれだけの努力と時間、手間、お金をかけても、ここまでなのかという思いを禁じえない。

努力の一部は確かに報われはしただろう。しかし思いのほうはつねに裏切られ続けている。うまくいかない、うまくいかないと言いながらくよくよ生きていくほかは、ない。
努力のために努力をするということもあるだろう。真面目な人ほどその傾向は強い。それでもやはり、努力をすれば努力した分だけ報われたい。努力した分以上の報いをと、願わずにはいられないのが人情ではないか。
人の体のことは分かっていないことのほうが多い。どんなに科学が進もうが、自然は人間の手のひらを大きくはみだし続ける。いや、自然の手のひらの上に安住しているのが私たち。それが大前提ではないか。
努力するなとは言わない。しかし努力と開き直りとを行き来しながら、自分の人生や日常の生活のクオリティを高めるという基本は見失わないようにしたい。


※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
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やり方はきっとある。やり方を追求すれば何ごともカンタンになってゆく-福岡操体法スタジオ freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/26(Wed)
カンタンでもなければむずかしくもない。やり方によってカンタンにもなり、むずかしくもなる。やり方はきっとある。やり方を追求すればむずかしいことは次第になくなってゆく。

ぬか床なんか、米ぬかと塩と水があるだけ。しかし失敗で痛い目にあうと冷静さが失われ、成功すればたかをくくってしまうのらしい。
うまくいく話よりむしろ失敗話に、私はつい耳を傾ける。
「いつだってこうこう、こういう結果になってしまうんです」。
前と同じ条件もしくは決定的な失敗条件を、本人も気づかぬうちに繰り返しているのだろうか。失敗といえども同じ結果になるのが不思議である。
「いろいろ変えてやってみるけど結局は失敗する」という話もある。いろんな失敗パターンを繰り返すわけで、こちらの話もおもしろい。

細かく話を聞きたいのだが、失敗したままで終わっている人は、「あんなのいくらやっても失敗するに決まってる」「私がやるとうまくいかない」などと連呼してきちんと説明しない。というか、詳細を観察・検討する気持ちのゆとりがないようだ。
「まあまあ。ぬか床ごときですから。あんなもん失敗したら捨てればいいくらいのものじゃないですか」となだめても、その「ぬか床ごとき」に振り回されるのがまたくやしく、その感情に支配されてしまうのらしい。

受験生時代は英語の試験時間が大きく余り、数学は時間がまったく足りずに苦労した。「数学の試験はむずかしく作成してある」とばかり思っていた。ところが予備校の知合いが、「数学は時間が余って余ってしょうがない。英語は時間がぜんぜん足りない。むずかしい」と嘆いているのを聞いて、「な~んだそうか。どんな科目もだってやさしくもなければむずかしくもない」と思った。科目別の苦手意識は吹き飛び、「どんな科目にも、やさしく進んでいけるやり方があるはずだ」と、やり方を追求するようになった。操体法も同じではなかろうか。「この操法はむずかしく、この操法はやさしい」のではなく、自分のやり方で必要以上にややこしくしていたり、自分のやり方で勝手に見下してしまっているのかもしれない。事実は、そのどちらでもないのかもしれない。

気温が少し下がったせいでぬか床が大人しくなった。フタをあけたときの強烈な匂いは恥ずかしくなるほどだったが、今はこちらがかき混ぜても静かなものだ。腐敗の気配はないので発酵を邪魔せぬよう、しばらくあまりかき混ぜないでおくことにする。
カメを日当たりのよい窓ぎわに移してあたためてやる。気分は少々物足りないが、味のほうは相も変わらず素晴らしい。


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生き生きとした自分の姿をいつも心に描いていたい-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/25(Tue)
医学部から国家試験を経て医師になったものの、現場で患者さんに向き合ってはじめて「あ・自分に向かない」と分かった。専門学校に入り別の仕事にかわってのち、成功を得た。そういう話をどこかで読んだ記憶がある。
自分の将来の生活空間を想像し、バーチャルの世界の中で自分が生き生き活動している姿をリアルに見る。そういう作業は何をするにしても大切なことだと思う。

大学に入るまでの期間が人よりも長く、「大学に合格した自分」のことばかり何年も繰り返し考えていた。学生生活をのんきに過ごしていたら、卒業する年になって困った。
大学を追い出されるとなると行き場のない野良犬の気分である。学生課でOB・OGたちの就職活動体験記を開いてみる。大企業に入社した一年上の先輩の話や、友人たちがどこかから聞いてきた話を耳にする。寄ると触ると就職活動の話ばかり。そのどれもが自分にかかわりのある近未来のイメージとはとうてい思えなかった。

大学に残る手立てなどさがすうちに、ねむの木学園のスタッフ募集の記事が目にとまった。なぜだか惹かれた。都会の喧騒から離れ、いろんな人間が家族のようにして学園で暮らす。そういうイメージがぱっと浮かんだ。しかし、その中で生き生き活動する自分の姿が見えるまでには至らなかった。恐らくお互いにうまくいかない。そう感じた。
ねむの木学園のことからしばらくするうちに、「二十四の瞳」の教師像だとか、「赤ひげ先生」の医者のイメージだとかが私の頭の中につきまとうようになった。
どこか小さな離島もしくはへんぴな村で、人々がみんな一つの家族のようにして暮らす。暮らしの中で人々に困ったことや危険が近づいたとき、忙しく活動する自分。鮮明なイメージだった。
たとえ年をとってよぼよぼになっても、たくさんの欠点がある人間であっても、そういう活動で許してくれるかもしれない。困ったときは「おばばに聞けば何か知ってるかもな」と足を運んでくれる。食べ物だけは、置いていかれる米なり野菜なりで、困らない。好かれもせず嫌われもしない。そんなお婆さんになった自分のイメージがするすると湧く。何度でも何度でも湧いてくる。そしてそういう「おばばの生活」が自分の中ですっかり気に入ってしまった。

しかし現実に起こったことというのは郷里からの一本の電話。「身内で会社をつくるから東京をひきはらって明日にでも戻って来い」。三年くらいなら手伝ってあげてもいいな、というくらいの軽い気持ちで出かけて行ったが、十七、八年つかまってしまった。
もうこのまま自分は終わるかもと思っていた。そこに交通事故がやってきた。十七、八年の勤務生活でつくられてきた将来のイメージが一気に崩れた。ムチウチ症状の苦しみの日々の中で、操体法の活動を始めた。将来の自分の生き生きした姿など、どこにも見当たらない。まったくの手探りだった。しかし操体法を通じた人との関わりの中で、「おばばの近未来のイメージ」がそろそろと息を吹き返しているように思われる。

操体法の講習に足を運ばれる方は、操体法を身につけながらどんな近未来をイメージされているのだろう。操体法ととともに平和で楽しい歩みをしているイメージを描けていたら、これ以上うれしいことはない。


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微生物の声が、聞こえてくる-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/24(Mon)
ぬか床も微生物の様相はさまざまだから、持ち主は自分のか他所のか、すぐ分かる。その家に棲みついている微生物も関係あるかもしれない。乳児の腸内ビフィズス菌は病院単位で種類が異なるという研究データがある。酒造りでは「蔵つきの酵母」などといわれる。
「蔵つき」の微生物が腸内に定着するのは海外旅行でも同じ。
海外に行って腹具合が妙になる要因の一つは、海外に棲む微生物によって、自分の腸内細菌の生態系が変わることにあるという。海外から戻ると腸内細菌のパターンの変化で再び腹具合が妙になる。
家族や同居している人たちの間でも、生活の場や環境を共有していることから腸内細菌パターンにも共通点が見られるかもしれない。

どんな微生物も勝手にぬか床や乳児の腸内に棲みつくのではない。体の条件しだいだろう。
無菌マウスというのがある。生まれるときは帝王切開で無菌のまま取り出し、無菌室で無菌の空気を送り込みながら育てたマウスである。腸内細菌も皮膚の常在菌も一つもいない。そのマウスに大腸菌を与える。すると腸内に大腸菌が定着し、増える。そこに別の種類の菌を与える。菌によっては元の住民であった大腸菌をスッカリ追い出してしまうことがある。そこにまた、別の菌を加えてゆく。定着するもの、定着しないもの。共存しあうもの、共存しないもの。すべては条件しだいである。

「成功したぬか床をもらってきても何だかうまくいかない」という話を聞くと、何が要因なのかなあと思う。気温か。水分か。空気か。入れる野菜のほうはどうか。「蔵つきの微生物」も関係あるのかなあ。
成功のでも失敗のでも、さまざまなぬか床を持ち寄って、匂いや味、中に棲んでいる微生物との関連など調べてみたら面白かろう。交換して別の人に育てさせたら、どういう変化が起こるだろう。
うまい漬け物をつくるという目標を達成することに気をとられるよりむしろ、一つ一つの条件を変えてみて、ぬか床から聞こえてくる声の変化に耳をすませるほうがよほど楽しい。


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ゆがみを減らす。疲れを減らす。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/22(Sat)
つるつると磨かれた鏡のような氷の表面を、物体がスウーと横切ってゆく。指先で軽く押すか押さないかのうちに音もなく滑り出し、同じはやさでどこまでもどこまでも流れてゆく。
摩擦抵抗のない動き、慣性の法則を示す、しぜんの動きとは、そのようなものである。私たちの関節の動きも、基本、そのようなたちの動きをするようにできているのではないか。余分に力をこめずとも、なめらかにすべらかに、いつまでも動いて生きていけるように設計されているというイメージである。

ぐいっと、はずみをつけて動くのが習慣になっている人がよく見受けられる。ラジオ体操をはじめとする初等教育の影響なのか。それとも、力を入れないと動きがよくないせいなのか。入れた力を止めるような要素がはたらいているならば、エイヤエイヤとはずみをつけてやりたくもなる。やたらと威勢はよさそうだが、はずみをつけた分、効率はよくない。筋肉を堅くする動きで故障の危険も予想される。

いろんな動きができる・できないということをみると同時に、相手の動きのクセを見落とさないようにする。なぜこの動きをするときに、こんなクセのある動き方をするのだろう? 千差万別、いろんなクセがあり、クセも変化する。クセを通して、本来のつくりから逸脱したゆがみが見えてくる。

あらゆるクセから解放されたら、どんな動きになるか。
それは人間である限り、あり得ない理想だろう。では、理想というのはどういう動きか。いくつかの操法をやって、「ああラクになりました~」と本人が言うたびに、動きからクセがとれているのは確かだ。スッカリというわけでもないが、目につかない。「このくらいでおさまっていればいいよね」という程度に落ち着く。その延長線上に、何が見えてくるか。

関節は非常になめらかにできている。トンコツで骨の標本をつくったときに、骨と骨とのつなぎ目をあわせて動かしてみて、関節とはこういうものかと大いに感心した。そこがさらに膜で包まれ、潤滑液も分泌されている。これ以上の設計は望めない。設計は万全である。操体法を知っている方は、「体の動きがよくない」「動きに伴って不快感がある」のを自分の正常・自分の基準とする必要は、ないと思う。

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イザとなれば誰か有能な人にでもバトンを渡そうというのでは-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/21(Fri)
科学技術でつくられるたくさんの物に助けられて過ごす生活だから、健康の問題も、どこかで何とかされているんじゃないかと甘い期待があったりする。しかし最後は爆弾も竹ヤリも、お金も役に立たない。地位も名誉も学位も、通用しない。最低限の知識は必要だが、決め手にはならない。他人の助けもあてにならない。
たったひとり。生身の自分で勝負をかける。自分の持っているすべてを賭ける。そういう局面に立ち向かうときがくる。大げさかもしれないけれど、健康の問題を突き詰めると、そういうことになるんじゃないかなあと思う。

私の持つテキストの一番さいしょのページには、「おんころや」とサインのある手書きの文章が載せてある。
「自分でなければやれぬことが四つある。
息と食と動と想は他人には代ってもらえない。
それに皆天然の法則がある。
知らぬと間違う。勉強すること」。

自分でなければやれない、他人には代ってもらえない。そういうことを私たちは日常あたりまえにやっている。しかしこの四行を目にするたびに、「深い」と思わないことはない。
どこかの誰かにうまいことやってもらっているつもりでいる。イザとなれば誰かにバトンを渡そうとして、もう最初から腰が引けている。そんな自分が、自分のどこかに潜んでいる気がしてならない。

健康の問題は、生身の自分で勝負。そう言い聞かせている。自分はそこからまだ遠いところで過ごしていると感じるからだ。
「守ってほしいと思っても誰も守ってくれない。だから自分でかせいで生きてきたんだ」などと家人は言うが、体のこととなるとお金で解決しようとして悉く失敗し、文句ばかり言う。本人もなんとなく「ビジネスほどうまくはいかないな~」と感じるところがあるようだ。お金をかせいでいるとか、世の中で成功しているとか、そういうこととは、ちょっと違う。うまく言葉では言えないのだけれど。


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他人の共感を糧として-高校生たちと操体法で実験をこころみる-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/20(Thu)
操体法を知りたいと思う人ばかりでなし、こころとからだから見えてくるものを一緒になって楽しむ時間を過ごしたいということで、ささやかな活動を続けている。他人の共感は励みとなる。周囲をゆるやかに巻きこみつつ、互いに無理なく、しぜんにやっていきたいものだと考えている。

高校生対象の特別活動の授業を今月末に予定しているが、何をどうするか、頭をめぐらせているところだ。一回きりの授業で、こころとからだの不思議世界にどれだけ巻きこめるか。
最初から「きょうは操体法をします」とか、「リラックスする体操を教えてあげる」と最初から本題に入るのもいいが、どこに行くのかわからないバスに乗せ、最後までわくわくしてもらうのも、いい。


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「みんな、ラジオ体操とか、やったことあるのかなあ?」と私は声をかけるだろう。自分の子供のころを思い出しながら。夏休みには近所でさかんにラジオ体操が行われていたものだが。
「ところであなたは力がつよい?」などと一人に声をかけて、「ちょっと、わたしと力くらべしようか」と巻きこまなければならない。
「床に座ってごらん。両足を伸ばして前に出す。ハイありがとう」
「次にね、腕を胸のまえで十字に組むの。こうね」。
右の手は左の肩、左の手は右の肩へ置き、胸の前で腕を組んでもらい、腕のちょうど交差したあたりに私は右手をシッカリと置き、「ここで押しあっこするの」と、軽く押す。そうすれば向こうも倒れまいとして押し返してくるだろう。
「この人、あんがい強いです。ほら」などと言ってわざとぐいぐい相手の体をゆらしてみせる。

「それでは立っていただきます。ラジオ体操、だいいち~」とかけ声をかける。「知ってる? ラジオ体操やったこと、ある? 体を、こう右に倒して、いっち、に。いっちに。つぎ、左に倒すよ、いっちに、いっちに。はずみをつけて~右も左もおんなじ数で~。ハイありがとう~ごくろうさま~ハイ座りましょう~」。
「それでは皆さん、ラジオ体操の効果をみてみますよ。もう一度、力のくらべっこ、しま~す。はい、よいしょっ」。

どうしたことか、相手は力が入らなくなっているのである。何度やっても、私はおもしろい。
「おかしいなあ。体操したら、体にいいんじゃないの? 体操したらつよくなるか弱くなるか、どっちだと、思う? じゃあ、みんなもやってみようか」
これなら少しは興味が出て、動いてくれるかもしれない。「なにごとも自分で確かめてみないと、わからないもんね~」と半強制的に、座る人と押す人とでペアを組ませる。

操体法の体重移動で「上半身を右に倒す、左に倒す」をユックリとやれば、「ほれ、このとおり」と相手の力は元よりも強くなっている。本人は同じ力を出したつもりで強い力が出るので、きょとんとしている。
こういう仕掛けで、こころとからだの世界へ、いっしょに旅に出る。

高校生だって、こころやからだに関心はある。自分の体調不良に疑問を持っていたり、部活で傷めたところが気がかりだったり、筋肉をつける努力をしていたり。家族や友人のこともある。若いは若いなりに、いろいろある。
これまでは個別で対応してきて、それなりに手ごたえはあった。今回は数十名の集団授業となる。講習に通われている方とのコラボレーションにもなる。いろいろな点ではじめての試みである。
高校生にも楽しんでほしいし、講習参加者の方々にも収穫あるイベントとしたい。

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※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。
※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円人。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下)
    またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)
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神経を直接ねらう。神経につかさどられた宇宙。この人体。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/19(Wed)
神経の及ばないことなど、体の中どこをさがしても見つからない。体で起こることのもとをたどってゆけば、神経のつかさどる世界でのできごとだ。
健康法とか呼吸法とか、手術だとか薬だとか高度医療だとか、そういうのもまた、ご本人の神経の働きあってのこと。「これからこの体を助けてやるんだ」とか、「これから体に正しいことを教えてやるんだ」みたいな意識でやられると、妙なことになり、時には痛い目にあうこともある。

神経の働きは自分の意識で「こうしろ」「ああしろ」と操作できるものではない。
操作できるものではないものを、操作できないかなというのが、私の長年のこころみだ。
しかし細かく考えてみると、それは少々無謀なことでもある。
たとえば呼吸法をやるといったって、自律神経によって自動的に行われる呼吸のほうが圧倒的に多い。日々休みなく24時間、何年何十年と続けてきたのに対し、呼吸法の実行はせいぜい5分や10分。たとえがんばって毎日30分60分と取り組んだとしても、そのくらいのことでいったい何がどうなるというのか。

まちがった取組みにならないようにするためには生きた自分の体との情報交換をこころみる以外にないのだが、「自分は呼吸法をやっている」という意識はプラセボを生じる。あるていど期待あってのだから、生きた自分の体との情報交換といっても、心身両面でさまざまな影響を考慮してのこと。単純にはいかない。
意識的なこころみによって「効いた」というほうがむしろ不思議である。外界からさまざまな刺激とさまざまな変化に常にさらされる私たちである。個人差もある。何の要因で、何がどうもたらされたか、判断するのは用意ではない。なぜ効果がもたらされたといえるのか。その根拠が分かれば再現できるはずだし、再現されないとすれば、再現されない根拠が示される必要がある。
それが説明もできないようでは、「効いた」という判断そのものが信用ならないと言われてもしょうがない。

私が操体法に強く関心を寄せるのは、個人差のある体、変化してやまないこの身体にいつでも対応できるからである。本人の神経に直接働きかけることができるという点で、消化力や体質のことなど、多くの複雑にからみあった要素をスッパリ回避できる。本人の状態にあわせて筋肉をゆるめ、神経の働きが直接に改善されることで、本人も「あれ? 痛くない」などとその場できちんと変化を確認できる。

ぱあっと来ては、ぱあっと通り過ぎる、効いたか効かなかったかよく分からないような治療法や健康法。そのお祭り騒ぎの連続の中に、私もずいぶん参加した。手間も時間も使い、後遺症めいたものまでかかえている。
日本人は祭り好きな民族というから、「祭りだ」と割り切って楽しむのなら、それはそれでご自由ということになる。しかし「あれはお祭りでした」では困る人もいるだろう。

体や命のことは取り返しのつかないものだ。たとえ「お祭り」のつもりであっても、木刀ではない。切れば血の出る真剣勝負。考えてみれば生まれたその瞬間から生死をかけた一本勝負は始まっていたのである。



※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
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忘れたままに息をしている。心と体。自律神経につかさどられたこの世界。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/18(Tue)
ウッカリ呼吸を忘れて倒れたということはない。私たちは四六時中、息することを忘れている。
忘れたままできちんと行われるのが自律神経の働きの特徴である。

私たちは食べることには熱中するが、味わったあとのことを忘れている。いろいろ考えたほうがかえって消化不良になるかもしれない。正常な消化とはそういうこと。これも自律神経の働きである。

食べたものを消化するのには消化酵素が必要で、食べたものがどこをどう通過するかは、巧みで複雑な消化管運動により、適正に管理されている。食べた内容にあわせて適切な成分、適切な成分比で消化液がつくられ、濃度も分量も適切に調整される。どこでどのくらい停滞し、どのくらいの速さで通過するか。内容物の状態をその都度、感覚神経が感じ取り、情報が伝わって判断され、自律神経のコントロールを受けている。

睡眠。体温の調整。体内の水分の調整。毒素の処理。どれ一つをとっても日々気持ちよく過ごすためにまちがいなく的確であるのが正常。自然である。自然なことが適切にできなければ、気分よく過ごすことができなくなり、健康も生命の維持も保証されない。
ホルモンを細胞でつくるのも、その成分をどういうものにするかということも、どの程度の濃度にするかということも、どういうタイミングで出すかということも、私たちがスッカリそのようなことを忘れ、うかうかと過ごしているうちに、神経のはたらきが絶妙なことをやりのけている。ミクロ単位の細胞のできごとを神経がつかさどり、四六時中、十全な管理の行われる身体。それが私たちだ。

自分が何を感じ、何を考え、何を欲し、何を望むか。そのようなことも元をたどれば神経の働きに他ならない。
治療とか健康法とか呼吸法だとか、そういうことには神経のことが必須ではないのか。

私たちは常に自分が主人だと思っている。
自分あっての、この体。この神経。そう思っている。
自律神経だって、黙ってまめまめしく尽くしてくれる奴隷のようなものだ。そういう見方もあるだろう。

しかし基本的には私たちのほうから自律神経に命令することは、できない。
自律神経の働きが低下したり混乱したりすれば、頭痛、不眠、血管の障害、その他あらゆる不具合が自覚され、たちまち健康の問題に振り回されるのである。

※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたもいっしょにやってみませんか。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。
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原因不明で見えないものの相手をするか-古傷をかかえて生きていく-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/17(Mon)
深いところにある、その硬いものをジワリジワリ押すと、腕はひょいと挙がる。
長いこと挙がらなかった腕が、何ごともなかったかのようにスーッと挙がってゆくのである。
押さえていた指をゆるめると、再び挙がらなくなる。

症状に対応してゆるめるうちに、妙に硬いものが指に触れる。
「今までこんなところにこんなもの、なかったけどなあ…」と首をひねる。
「恐いような痛みです」とはご本人。

見つけたシコリをジワっと押しつつ腕を挙げてもらうと「あっ、挙がります挙がります!」。
シコリから指を離すと再び挙がらなくなる。
コリ。ついに元凶にたどり着いたのか。
「ここ、どうかしましたか?」念のため、訊ねてみる。何十年か前の手術で切った痕だった。

自分にもおぼえがある。
しつこい症状が続いて「おかしいなあ。なんかやってない?」と訊ねられる。
数日考えていて「ああ、あれかなあ」。
事あるごとに、鼻炎の手術の傷あと、膝を切った大きなけが、胸椎の打撲など、いろいろ出てくる。しかしもう何十年も以前のものだ。ウソだろう? にわかには信じがたい。
軽く押さえたりテーピングをすると、症状が消えたり減ったりする。押すのをやめると症状はフッと舞い戻ってくる。これでは否定のしようもない。

原因が不明のほうがいいか。原因がハッキリしたほうがいいのか。
原因不明のときには「どうして自分はこうなっちゃったんだろうなあ」といつまでもぼんやり思っている。
原因がハッキリすると、案外そのときはショックである。「え~、そんなバカな!」。
どうせが取り返しのつかないことが多い。切ったという事実、けがしたという事実は何をどうやったって変えられないのである。しかしショックから少し立ち直ってみると、目に見えないものの相手をするより、目に見えるものの相手をするほうがよほど的確に対処しやすいということが分かってくる。

自分で対処することをおぼえていくと、すぐに自分で取り組んでコントロールできる。そのうち、「そういえば、もうあの症状は出てこなくなったな」ということだって、ある。「そういえば全身的にラクだ。疲れにくくなっているし気分も軽い」となれば、しめたもの。
無傷で生きていければ一番いいのだろうけど、ずっと無傷でやっていけるかというと保証の限りではない。ビクビクして生きていてもしょうがないし、イザとなったら自分はこれで対処する。そんな自信のようなものをどこかに持って過ごしたいものだ。


※操体法は自力療法。自分で動きながら感覚神経をはたらかせ、心身を調整する運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
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「万病を治せる妙療法」のメカニズムを考える-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/16(Sun)
私たちの体は不具合をかかえて生きていくようには設定されていない。
体の本来の機能に不具合が生じるのが病気であり症状だ。
出るべきものが出ない。出てはならないものが出る。炎症する、自分自身をやっつける、自由に曲げ伸ばしできる設定の場所が曲がらない。伸びない。
体の混乱は不快な感覚として感じられる。痛い、苦しい、重い、だるい、嫌な感じ、シビレ、ピリピリした感じ、熱い、冷たい…。
不快な感覚は生命の危険を知らせ、不快な感覚から逃れたいと思うのは命を守る本能の働きである。

体の機能をコントロールするのは神経。そして神経を伝わってもたらされる電気的な信号である。
体の機能が本来ではないということは、神経の働きが本来ではないということ、神経を伝わってもたらされる電気的な信号が本来の設定どおりに伝わっていないということである。

神経は土中に広がる植物の根のように、筋肉のすみずみにまで張り巡らされている。
土壌の状態で植物の根の張り方や根っこの健康状態が変わってくるように、筋肉の状態によって神経の働きはちがってくるか、それとも何ら影響はないだろうか。
神経を伝わる電気的信号は、筋肉の影響を受けるか、受けないのか。

神経が、本来の設定どおり十全に働かない原因は、筋肉の状態に求められる。操体法ではそういう仮定によって、筋肉をゆるめる。身体には、筋肉をゆるめる働きが備わっている。筋肉をゆるめる働きのスイッチをちょっと入れてやることで、筋肉は自動的にゆるみ、ゆるんだ組織に血流が戻る。神経の働きも回復される。
血流がよくなり、神経の働きが回復されることで、組織の混乱はおさまってゆく。混乱がおさまれば、不快感覚も解消する。
操体法を通じて私はそんなイメージを持っている。

操体法を実行しながら考える。
押して痛いところと痛くないところとでは、筋肉の固さにちがいはあるか。
腰が痛いときは、痛くないときと比べて筋肉の固さにちがいはあるか。
体調がよくないときは、よいときと比べて筋肉の固さにちがいはあるか。
そして、操体法を行ったあとに、筋肉に柔軟性が多少なりとも取り戻され、混乱は多少なりとも解消しているか。

操体法を実行しながら関心を持つ。
筋肉の固さと、神経の働きには、関係がありそうか。
神経の働きと、体調には関係がありそうか。
筋肉の状態と体調との間には、何か関係がありそうか。

操体法をやるということは、多少なりともそういうことを探っていくということだ。
誰もあなたのために証明してはくれない。国や国から資格をもらった権威からお墨付きをいただくこともない。確かめたいと思ったら、今すぐにでも自分の体で確かめられることだ。

不快な症状をそのまま放っておくと、時間とともにおさまる場合もある。
不快な症状が間をおいて出たり引っ込んだりを繰り返すうち、間が短くなってゆき、不快症状が広がったりひどくなったりすることも、ある。
機能が十全でない状態をそのままにしておくと、細胞そのものがこわれてゆく。これを器質的破壊という。器質的破壊が進行すると、回復に時間がかかるばかりでなく、回復レベルが低下する。
回復しても、元通りにはならないというわけだ。すると生活の質(ライフオブクオリティ)は低下をたどる。日常によけいな不便や苦痛を背負い込むということだ。よけいなストレスにつきまとわれるということでもある。
それがまた、神経の働きを圧迫し、悪循環に陥る。

そういう危険を避けるため、体は信号を発するようにできている。何かをあなたに告げる警告。それが症状である。しかし症状は不快だから、ありがたいと受け止められることは、まずないようだ。自分の周囲を見渡せば、体の警告に聞く耳をもたないままで過ごしたあとのシナリオにはまったく不自由しないはずである。


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健康に振り回されたくはない。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/15(Sat)
私の小学校時代の恩師は、子供の頃の成績が地を這うがごとし。それが試験勉強もなしにいきなり成績がトップとなって、以降、勉強に困ったことなどなかったという。

学校のテストが20点や30点になったら「勉強しなさい」「塾に行きなさい」と言われるだろう。
しかし学校のテストの点数が下がったときだけ勉強するっていうのは勉強ではない。
テスト対策。テストがあるから勉強する。点数を維持、もしくは上げるという目的のために限定する。私自身はそういうことが得意だったので、恩師の話をうかがううちに、なるほどなるほどと首肯することしきりであった。

体のことでいえば、健康点数が下がったとき、つまり体調が落ちたり、痛みが表面にあらわれたときにだけ、症状の出たところだけを、手当てするというのでは、なかなかむずかしいということである。血糖値やコレステロール値に追い立てられるような健康対策は、テストのための勉強と同じこと。かえって健康から遠ざかる可能性のほうが高い。

恩師は小学校六年間、成績は地を這うがごとしであったという。どこか心身の機能に医学的な支障をかかえているとして、周囲にはあきらめられていたという状況。しかし不思議なことに、成績や学習のことでなじられたり注意をされることも一切なかった。ご両親からも「勉強しなさい」とさえ一言も言われなかったという。
実家は寺社であった。大量のむずかしい本が置いてあった。それをただ読め読めと言われた。読めばいいことがあるとか、成績があがりますよとか、そういうニュアンスは一切なく、読んでごらんと、事あるごとに、事がなくても、ただ勧められる。あんまり勧められるものだから、わけがわからないまま適当に選んでは本を開いていたそうだ。開いても文字のられつばかりで内容もむずかしい。わからない。そういうことが数年続いて中学へあがった頃、いきなり高い点数をとった。自分でもびっくりした。ズルしたんじゃないかと学校にも呼び出された。そしてそれ以来、勉強に困ることは一切なかった。そういう話である。

操体法も、同じ。
わけがわからないまま続行する。複雑なリクツをこね回すのもいいいが、わけがわからないでも実行するということはだいじなのだ。操体法のほうは、数年とはいわない。わずか三日の続行でも、「へえ」と思い当たることが自分の体に起きる。起きなかった場合は、やり方を修正する必要がある。「やってみたけど、うまくいかなかった」と言いに来てもらえば済む。私は商売でやっているのではないから何も隠し立てなどしない。電話やメールでもかまわない。きちんとお答えする。

点数などには関係なく、20点だろうが70点だろうが、ケアを続行してゆけば、自分の体がかかえる慢性的な不安定要素そのものが、だんだんと消えてゆき、いつまでも健康に振り回されないで済む。そのようなやり方や方法を身に付けていくことが未病を防ぐということだ。そういうことを提案したいと思う。


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ぬか床に、私の腸内のできごとを見る。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/13(Thu)
発酵と腐敗のせめぎあい。
数時間もすればじゅうぶんに試合状況の変化がある。
カメの蓋を取った瞬間、ぬか床の匂いが私の顔を打ち、発酵と腐敗の試合の様子が伝わってくる。
腐敗のほうが優勢な日が続いていた。
水分の多いだいこんを、そのままどんどん漬けこんでいたら、香ばしさが失われ、ガスっぽくなった。

食養生では、水の飲みすぎが戒められる。
水分はガブガブ摂取するものではないという。
「バカの三杯汁」といって、スープやみそ汁も、バカでいたくないなら二杯までにせよという。
ゆるんだぬか床の、腐敗がかった匂いをかぐと、水分と発酵とのかかわりを思わずにはいられない。
ぬか漬けがからだにいいのなら、ぬか床に棲むさまざまな微生物たちと、自分の腹の中で活動している腸内細菌たちのあいだには、何らかの共通があり、関わりがあるのはまちがいなかろう。水分の摂り方をまちがうと腹の中はこうだよと、ぬか床に教えてもらっている。

ゆるんだぬか床は、水抜きもしくはあらたなぬかを足す。それは分かっているが、ここはいろいろやってみる。
数時間おきに、かき混ぜて空気を送り込みながら、昆布や輪切りの唐辛子を投入してみる。
数日ねばったが、試合のゆくえははっきりしない。一度こわれた生体バランスが元に戻ることのむずかしさを思う。

ぬか床だって、生きものだ。そこにどれだけの生きものが生息しているか知れやしない。
ぬか床と人間とはちがう。そう思いたいのも山々だが、腸内だけでも100兆もの微生物を宿している。体の細胞の数が60兆というから、自分の細胞よりもはるかに多い。皮膚表面に生息する微生物たちなどを加えれば、どちらが主人か分からぬほどのミクロのものたちの集まりだ。
身体の細胞そのものがまた、ミクロのものたちである。「わたし」というものを心や身体に探ってみても、どこにも見つからない。「わたし」には実体はない。ただミクロのものたちがみっしりと集まっている。それがこの私の正体といっていい。
私も、このぬか床も、たいした違いはないのかもしれないとさえ、思う。

二日ほど前に、できたてのぬかを大量にカメの中に投入した。
ぬか床レシピなど、おかまいなしだ。
めんどうだから、ではない。
キマリゴトをなぞっていたら、分からなくなる。
パンをつくるときには少量の酵母のタネに大量の小麦粉を入れる。それが常識でうまくいく。ならばあたらしいぬかを大量に投入してもよい場合があるに違いない。

そして今朝。ぬか床はこれまでにないほどの素晴らしい発酵をとげた。誰にたずねなくともそれと分かる発酵。ぬかそのものがチーズというか、古漬けのたくあんというか、香ばしい中にも奥の深い複雑な味とにおいが混じりあい、調和している。
こんな成功が、自分のかめの中で実現されたということに、感動する。
こんな発酵のような健康を目標に生きるっていうのも、わるくはない、などと思う。青天井が突き抜けるような、透き通ったさわやかな気持ちをただ味わうために生きるっていうだけでも、じゅうぶん意味がある。価値がある。
いつかはこの絶妙なバランスの発酵は崩れるだろう。崩れては積み、積んでは崩れ。
それでいい。そんなものなのだと、思う。

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笑い薬で笑い、元気薬で倒れるまで働くも自由-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/12(Wed)
ドリンク剤を飲むと頑張りがきく。効き目が切れると反動がくる。あんまりガターッとくるので家族が見かねてドリンク剤禁止令を出す。そんな話を耳にした。
病院のお薬も似た話を聞く。あとで反動がくるようではやっぱり不自然。不自然としか言いようがない。

つらいことがあって元気のない人に、無理に笑わせたり、楽しそうに歌い、踊れという人はいないだろう。泣きたい時には、むしろ泣いたほうがいいとも言う。
体だって、同じ。
元気のない時は、元気のないままにしておいてあげたほうがいいという考えもある。それを笑い薬で無理に笑い、歌い薬で歌い、働き薬で働いて体を踊らせる。それで不自然にこじれて妙な迷路に迷い込み、半病人への道をたどるというケースも少なくないのではないか。回復によけいな時間と手間がかかり、苦しみも長引いて、全体としての回復は目減りする。そんなことも見受けられる。

家庭の医学書『大安心』の古い版に、こんなお医者のインタビューがのっていた。
「患者さんには薬を出すが、自分では薬を飲むことはありません。薬を飲むと、体の変化が読み取れなくなります。ほんとうの体調が分からなければ、正しい判断はできません」。ではなぜ患者さんに薬を処方するのですかという質問に対し、「自分の体のことは自分で分かりますが、患者さんの体のことは、他人である自分には分かりません。ですから用心のため念のために、他人には薬を出すようにしているのです」。

すべてのお医者さんがこういう考えで薬を出しているわけでもないだろうが、「薬を飲めば、分からなくなる」「分からなければ判断できなくなる」というのは確かに正論だ。
どのていどの体調不良なら何日くらいで回復するか。どの程度のケガはどのくらいで痛みが消え、治っていくものなのか。薬を入れればほんとうの自分の体の実力がサッパリ分からなくなる。ほんとうによくなる方向に向かっているのか、停滞したり悪化しているのかさえ、経過がよく分からない。
薬物で感覚がだまされて、体の判断が狂う。狂った判断で、やってはならないことを、やってはならない時にやって、あとでガターッといく。これは自殺行為ではなかろうか。

人間、事情によって無理する場面ももちろんあるが、具合わるいままでやれる無理はたかがしれている。「ああこれ以上やるとほんとうに危ないな」という判断もつく。コーヒーやドリンク剤がないと支障をきたすというのは、すでに危ない橋を渡っていると考えていい。

ぶっ倒れるまで止まらない、ブレーキのこわれた車のような行動。それを愚か、もしくは無分別とここで言うのはカンタンだが、じっさいには、ぶっ倒れるまで走り続けるほうがイケてる、カッコよくて素晴らしいという考えもまた、根強い人気がある。
日本人は真面目だから、「死ぬくらいまで頑張るほうがえらい」という価値観を尊ぶ。
体を犠牲にして頑張ったほうがえらいということもないと思う。体のことを考慮してセーブしたほうがえらいということも一概には言えない。どっちにするかは本人の価値観と選択だ。本人が分かってさえいれば、あとは各自ご自由ということになるだろう。


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どんなときも笑顔を忘れない-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/11(Tue)
一度食事をしそこなうだけでガッカリすることもある。生きる条件の一つの変更でも人は幸福の絶頂にのぼることもあれば絶望のどん底にも落ちるのである。この幸せと不幸とのジェットコースターに乗せられた人間の苦しさを、仏教は生老病死の四苦で指摘する。
難病のケースでは否が応でもさまざまな問題を一気に突きつけられる。病気そのものの苦しさもさることながら、病院の治療の爪あともある。医療関係者にも相談し、いろんな方の助言をいただきながら、保険診療の制度や現代医学の問題について大いに勉強させられる。
病気の苦しさ。治療の負担を背負ってゆく苦しさ。そして何よりも改善すべき生活の課題が山積み。

アニメのブラックジャックの世界のように、名医のメス一本でたちまち奇蹟が起これば問題はないのだろうが、奇蹟は自分で起こすものである。体の回復に必要な時間はそれぞれで、回復の程度についても無条件ではない。科学知識や情報をいくらあさっても笑顔が出てくるとは限らない。
それはずばり心の問題で、私自身の問題でもある。いや、あらゆる人の問題ともいえる。
何でもないときはあたりまえに過ごしていれば済むだろうが、それまでの平穏を突き崩すのにはたった一つの出来事でも十分すぎる。生きる条件のうちのたった一つの変更でも、人は幸福の絶頂にのぼることもあれば、絶望のどん底にも落ちる。
幸せと不幸とのジェットコースターに乗せられた人間の苦しさを、仏教は生老病死の四苦で指摘する。死も苦しい、病気も苦しい、老いることももちろん苦しいが、生きることそのものが変化の連続、諸行無常で基本的には苦しいものだということ。

人間誰しも程度の差こそあれ、川の流れの中で絶えずグラグラしながら浮かぶ木の葉のような身分であるのに少しも変わりはない。
流れの定まらない川に浮かびつつ、絶対の安心と絶対の安定を、どう求めるか。
そういうことを繰り返し考えていくうちに、小心者の自分も少しは腹がすわってきただろうか。


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自分の都合が自在であれば、これほどラクはない-福岡操体法スタジオの講習会 -freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/10(Mon)
捨てて都合のよいものはゴミといい、捨てて都合よくないものはゴミとはいわない。ゴミとゴミでないものを区分するものは自分の都合である。
自分にとって不要なものだけでなく、有用なものさえも喜んで手放す。それが「喜捨」。
仏教用語だが、具体的には物資や金銭を対象とし、当然ながらゴミを手放すのよりはるかに難しい。ゴミではないものを手放すのだから自分の都合も同時に捨てなければならない。これはたやすいことではない。

山歩きや星の観察をやっていると、自分の都合にしばられたり、自分の都合にしがみつくということから少しずつ離れられるようになる。そしてそれこそが自分にとって本当の意味で都合がよかったのだということも、だんだんに体験されてくる。

仕事の都合とか、自分の体のリズムとか、すべての都合を自分の頭の中で足したり割ったりした結果、曜日を決めて山歩きに出かけていたが、天候は私の計算などおかまいなし。晴れもあれば雨や風の日もある。それでも私は出掛けるたびに、「ああ来てよかったナア」と思えるようになった。
これは大きな収穫だった。

自然を離れて生活していると、人間社会という、人間どうしの都合がひしめきあう世界の中で、強い者と弱い者との都合の押しつけ合いに、いつの間にか巻き込まれていたりする。
自然を相手にする。自然は目に見えない相手。手に負えない相手である。そして小さな自分を大きくはみだす存在である。そして体は自然である。自分の頭の中で足したり引いたりの計算で割り出された、せせこましい都合では、いずれ体も苦しくなってくる。

自分の都合は、できる限り大きく広いスケールのものと重ね合わせていくのが、結局は自分にとってもっとも都合のよいことになる。
自分の都合を一切なくすというのは不可能だが、自分の都合をどれだけ自在にできるかということが、ラクに生きるということにつながってゆくだろう。


※操体法は体の歪み・クセをとる運動療法です。動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かします。
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古漬けなどの微生物が肝臓や血管を生返らせる-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/08(Sat)
決してマメでない私が糠漬けである。脂肪で白く固まった肝臓がみごとな真紅に生き返り、血管に付着した脂肪が消え去った写真を見せられて、腸内細菌の力を見せつけられた次第。
槍の数をやたらに増やすのは控えたいが、操体法という一本の槍で突つくのに加えてもう一本、別の方向からやるのも面白い。

ほんもののタクアンの古漬けが最高だそうだが、入手できそうにないのでとりあえず自分でできるところから。
精米機のヌカに、同量の水と15%程度の「うまい塩」(藻塩・500gで600円)を混ぜる。そこに野菜を適当に入れておく。数時間後には温かくなっていた。ヌカ床が生きてぬくいというのが何だかトテモ楽しい。うれしい。
うまい塩を使ったせいか、ヌカが新鮮だったおかげか、捨て漬けといわれる最初のものも、おいしく食べてしまった。

糠床との同居が始まった。糠床は何十年といわず、百年単位でも生きていくから先が楽しみだが、ダメになっても糠なんかいくらでもある。気軽にリセットすればいい。
匂いが部屋にこもったのは「ヌカ漬けやってます」と声に出しているようなものだ。嫌いな人はやはり嫌うだろう。しかしこれで料理の手間からまた一つ解放された。ご飯に糠漬け。しょうゆをチョコッと垂らしたら、もうなんにもいらない。ガスも電気もいらない。究極のおかずである。


※操体法は体の歪み・クセをとる運動療法です。動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かします。
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自然という人知を超えた世界は、私を大きくはみだして広がっている。-福岡操体法スタジオの講習会- freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/07(Fri)
もしもあのとき癒動操体を目撃せず、私の足が宙を浮かなかったとしたら。

自然が人知を超えているのは明らかであり、人体もまた自然の存在。その把握と理解はそうカンタンなものではない。
表面意識の限られた小さな世界を自然は平気ではみだしている。自分の周囲で起こることだけで済ませてしまう意識の世界では、生きるには十分でも、意識の外にあることについては一生分かりっこない。

私は操体法は癒動操体のほうから入った。滝津弥一郎先生の癒動操体がなかったら、自分は操体法になど関心を持ちはしなかった。まだ若かった私には、操体法などただ健康によいだけの体操としか思えなかったろうし、そんなものにはとうてい魅力を感じられなかったと思う。
身内に気功教室に通っているのがいて、そのうち妙なことをやり始めた。ふだん体が硬い人なのにそのときばかりはぎょっとするほど柔らかい動きをする。体が勝手に動くのにまかせているのだという。ふだんとは明らかにちがうたぐいの動きだった。
非常に気分よさそうではあったが、にわかには信じられず、この人はきっとどこかでだまされているにちがいないと思った。しかしそれをやり出してからその人の性格はサッパリしてきた。習い事に精を出すなど、よい方向に変わっているようにも見えた。すでに六十を過ぎた年齢だったこともあって、ほうと思った。

当時私は地域研究というのがさかんな大学に在籍し、文化人類学者がぞろぞろいる環境で学生生活を送っていた。当時の自分はただ大学生活を送っているという意識。しかしあれほどたくさんの文化人類学者がそろった環境もないわけで、それが自分には幸いだった。文化人類学者は自分の周囲で起こることだけでは飽き足らないだけの好奇心の持ち主である。いつでも自分の日常を飛び出して辺境の人々の暮らしをのぞこうという人々といっしょに私はこの上なく楽しいひとときを過ごしていたのである。

大学を卒業して福岡に戻ってすぐに、私は癒動操体を調べてやろうと思って出かけていった。自分の体が勝手に動いたりするものなのかどうか、それをただ知りたかった。「あれと同じものが私にもできますか」というのが現在の師匠に対する私の第一声である。「ヨガやってたの。じゃあすぐ出るんじゃないかな」言われて、うつ伏せの姿勢で腰のあたりに手を置いてもらっていた。ちょっと長く思われた時間が過ぎ、ぐわあんと自分の足がはね上がった。しばらく足はじっと宙にあって、それから落ちた。「あ、これはたしかに動く、動くんだなあ」と感心した。「少し自分でわざと動かしてない?」尋ねられたので、「そういうこともあるとは思いますけど、やっぱり勝手に動きますね」と興奮気味に返事をした。

科学ではまだ分かってないことも多いと人は言いながら、じっさいには科学で分かっていることさえ全部分かる人などいない。科学で分かっていることでも十分に生きていける。そんな意識が、いつの間にかどこかにあって、自然の理解の範囲を人知の及ぶ範囲にせばめてしまってやしないか。

科学的に証拠がありそうなものだけを現実として認め、科学的に証拠がなさそうな現象は科学の対象にもしないし、その存在さえ認めない。これまでの科学の常識に不都合なことについては、「カンちがい・まちがい・ありえないこと」「例外的でおかしなこと」「そんなことはなかったと処理しておいたほうがよいこと」にしておく。とくに科学について訓練も考察も積み重ねていない場合ほど、それを科学的な態度と思ってしまうのではないか。

滝津弥一郎先生の癒動操体がなかったら、自分は操体法になど関心を持ちはしなかった。若かった私には、操体法などただ健康によいだけの体操としか思えなかったろうし、そんなものにはとうてい魅力を感じられなかったと思う。
あのときに、身内の癒動操体を目撃しなかったら。あのときに、私の足が宙に浮かなかったら。
しかし私はじっさいに自分の目で見て、自分の体で体験をした。それが自分にとって一番だいじなことだった。


※操体法は体の歪み・クセをとる運動療法です。動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かします。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
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困った時こそ「学びどき」-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/06(Thu)
疲労や具合のよくない時は「疲労イコール筋肉が硬い」「体が痛いイコール筋肉が硬い」を知る絶好のチャンス。そう思うと悲観しないで済む。

昨日の講習では何名か具合のよくない参加者が。
私自身、実は枕から頭が上がらないというくらいの状態で朝を迎えていた。
最近体調がよすぎたので少々やり過ぎた。自分でも分かっていたから後悔はないが、予想を上回る疲労だった。
「で、今はどうなんですか?」と尋ねられたので、「今はまあ普通。気分はいいよ」と返事する。
「チョット操体法をやればどうでも回復するよ」と言ったら、「どんなふうにすればいいんですか」と身をのりだされたので、そのまま講習の開始とする。

困ったことがあるときが「学びどき」。
具合のよくなかった参加者の中に、「先週は具合わるくて来れなかった」という人もいたが、「そういうときは来てください。具合わるいから来ました!と言えば実験台にしてあげます」。
「体調いいときは張り切って操体やるんだけど、体調がわるいとなんにもヤル気が起きないんで、この二、三日寝込んでいました」という参加者もいた。
体調わるければわるいときほど役に立たなければ何のための操体法か! イザというときに役立つものでなければ、勉強する価値はない。


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これはチャンスなのだ。一生ずっと体調がわるいわけではない。次はいつ体調のわるい日が来るかも分からない。疲れた自分の体は一体どうなっているか。その「学びどき」である。
目が覚めると体が動かない。頭もぼーっとする。こんな状態でいると、首から下が動かなくなった人のことを思う。頸椎をやられると首から下がぜんぶやられる。脳と体の連絡がうまくいかなくなるからである。腰椎をやられると、やられた下の不自由が起こる。自分のムチウチだってそういうことだ。首や肩がこるというだけで、全身の疲れや動きの制限が起こる。首はいけないよなあ。首は硬くてはダメだと思った。
頸椎まわりをさぐる。この硬さが私のつらさなのであると思う。これを少々ほどいてラクになりたいものだと思う。

仰向けになり、一方のかかとをそろりと突き出してみる。突き出しやすいほうを何回か続けてそろりそろりと突き出す。動きにつれて頸椎のとくに硬いところがゆるんでくるのが指先に伝わってくる。やれやれ助かったと吐息。

次に、かかとでジワジワ床を押してみる。右のかかとでジワジワ。左のかかとで、ジワジワ。
首がとくにゆるむと思われる側のかかと、床を押しやすい側のかかとを床にぐうっと押してゆくと、これまたゆるむのである。
少し元気が出てくると、さらにかかとをジワジワ押してゆき、てこの原理で片方の腰が浮いてくる。これも方向や高さがだいじだ。腰回りがゆるむ。さらに肩甲骨あたりが支えとなって、背中の傾きの気持ちよいこと!思わず、「ウウ~ム」と腹から声が出る。やおら全身にぐぐっと伸びが広がる。これは天然自然の、無意識の伸びだ。こんなに気持ちがよいのは疲労が極まったときのごほうびのようなもの。

操体法を正確にやっている人なら、だんだんと自然な伸びが体から湧きおこってくるようになる。何度かこうした伸びが出たら起き上がってみる。「ああ助かった」。がんじがらめの縛りから、縄抜け完了。ケロッと起き上がれる。ありがたい体である。
つらいときは一時間おきくらいにこまめに操体法的な動きをやる。
あまり深追いしない。欲張らない。半分は自分の工夫。残りの半分は時間の流れにゆだねるつもりで。

説明しながら参加者の連動をお手伝いした。実習をしながら自分もまたラクになっていくのが分かる。
参加者をみんな元気にして帰っていただくというのが私の講習の最低限の責任と考えている。
「ここの講習でやると、うまく動けるのよね~。一人でやるとここまでうまくいかないのは、なんでですか~?」と、これは最後の質問。
それは信じる力の違いもある。私は生きた体の力を信じている。体の力を信じる、そのためのトレーニングや勉強である。また、気持ちのよい集まりだからということもあるだろう。操体法でわいわいやっていれば、たいてい元気になっている。人の持つ癒しの力というのを再認識する時でもある。


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※操体法は体の歪み・クセをとる運動療法です。動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かします。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。

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①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円人。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
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体の歪みをとる方法①体の歪みの正体-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/02(Sun)
誰にだって体に歪みくらいある。精密な機械にさえ歪みはあり、部品一つ一つの歪み・組合わせで生じる歪みが、どれだけ厳しくチェックされているかわからないくらいなのだ。

人工関節や臓器移植という思想が広がりつつある今の世の中。自分の体を機械に近い存在へ近づけていくことが、健康で、より幸せになるためのステップだというように思われてくるのも不思議ではない。「耐久性にすぐれた人工関節のほうが天然ものよりいい」などという会話が平気で交わされることだって考えられないことではない。しかし人間の体を人工的な規格品でつくられた機械に似せていくというのが、体の歪みをとるときの理想になってはたまらない。

豚の足、トンコツを何本か買ってきて、骨格の標本をつくったことがある。パイプクリーナーにひたしておいて煮沸し、歯ブラシで余分なものを取り除いて乾かせば、パーツができあがる。
ふつうの標本なら、骨と骨とを接着させるのだろうけど、私はわざとバラバラにしておいた。何本かの豚の足の骨のパーツを混ぜて箱に入れておき、立体のジグソーパズルで遊ぶのである。

骨で遊ぶというと不気味に思われるだろう。しかしトンコツといえども骨になると、象牙に共通の風格が感じられる。ベージュがかった白色の美しさと乾いた感触の心地よさ。骨独特の淡い光の反射は部屋のオブジェにもぴったりだろうと思う。
骨を触っているうちに、骨と骨とを組み立てたくなる。
大小の骨片の名前や組み立て完成図は『骨の学校-ぼくらの骨格標本のつくり方』を参考にした。

何本かのトンコツの骨を混ぜているのだから、その相手がなかなか見つからない。一つの骨にきちんと合わさるのはたったの一つ。一つなのである。骨と骨とがピタリと合ったときの快感は、言葉では言い尽くせない。骨の両端には青白く光を反射する軟骨がついている。軟骨面は微妙なカーブやくっきりした溝が彫られ、その凹凸は豚といえども非常に複雑で精巧である。関節面がまったく逆の、もう一つの相手に合うと、一部のすき間もなくピタリと合い、なめらかに動いてくれる。これほど関節がなめらかにできているとは驚きだった。

私は接着するのが惜しくなり、大きめの骨を何対か別の箱にとっておいて、立体パズルを楽しんでいた。
骨の一本一本には個性がある。骨の個性を指の先が覚えてしまい、すぐに相手を見つけられるようになる。もしもここに豚丸ごとの骨を集めたとしたら。どんなに大きな骨でも小さな骨でも、ピタリと合わさるのはこの世に一つずつしかない。替えはきかない。

人工的な規格品をつくるとなれば、正しい基準と型を決めねばなるまい。しかし、どの骨の形が豚の、人間の、正しい基準となるのだろう。
左右対称に、上下もまっすぐ。そういう規格品のような骨格が、生きものにとっての歪みのない体の理想形ではないのは、明らかだ。
数十億年かかってつくり上げられてきた、素晴らしい体。それが生き物の体なのである。
どんなに小さな部品も全体のためにある。一つの部品を取り換えれば、それにピタリとあう相手が必要である。小さな部品を取り換えてしまえば、もとの全体にも影響する。影響の全く及ばないところなど、恐らくはないであろう。

骨一つ一つの歪み。骨と骨との組み合わせで生じる歪み。もともと生まれる前から、おかあさんの体にも歪みがあり、腹の中の圧力にもかたよりがあり、生まれたあとも、重力による、そして圧迫による歪みで形にもひずみが生じている。また、体は切られるとゆがむ。手術をすればその切られたところから、体は歪むのである。
それら全てが生きていくための、生体の適応であり反応である。それをただ「まっすぐに」修正するという考えでは、とうてい実現には及ばない。

骨組み・骨格を整えるということは、別の角度から検討されるべきだと私には思われる。

体の歪み、体の歪みとカンタンに言うけれど、「体の歪みの正体って、具体的にいうと何ですか」と尋ねられて、すらすら説明できる人がどのくらいいるのだろう。
「それは各自ご想像におまかせします」で、さあ歪みをとりましょう、正しい骨格をつくりましょうで、ほんとうに大丈夫なのか? と、私などは思う。(この項つづく)


※操体法は体の歪み・クセをとる運動療法です。動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かします。
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学習本能がめざめるとき-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/10/01(Sat)
私は受験生たちを刺激して、一人一人にもともと備わっていた学習本能のスイッチを入れようとしていただけだ。最初のうちはヘリウム風船がふわふわと勝手なところへ飛んでゆかないよう、シッカリ握っている。様子をみながら手をゆるめ、このヘリウム風船の自由にさせてみる。すると、がぜん空高く一人で舞い上がってゆくことがある。

中卒の私が国立大に合格したのは、受験勉強に才能はいらないと割り切っていたからである。
美大受験をした後のことだった。美術の道なき道を見てきただけに、テストの問題はここから出る、答えはこのように書けと分かっているのなら苦労はないとたかをくくった。じっさいその通りになった。

大学卒業後は受験指導の職についた。大学入試で逆転したいという不利な境遇の生徒が多かった。私は一目で分かる解説プリントを作成し、生徒たちに配った。
よい解説書さえあれば教師などいらない。自分の存在などその程度のものと割り切っていた。
私のプリントはたいへん重宝され、喜ばれた。受験勉強を教えることほどラクなことはなかった。他ではぜったい合格しない生徒たちが有名大に入る。常識をやぶるのが痛快だった。

まったく基礎のない生徒が一年もしくは二年で有名大に合格するには、ある一つの変化が必要だった。それは学習本能の目覚めとでもいうようなものだ。成績が低くても、その変化さえ起これば合格の確信が持てたし、成績がよくても、その変化の見られない生徒は結果が思わしくないのだった。

教えたとおりの勉強法ではなく、本人が「こうすればよい」と気づき始めるときがくる。自分に向いたやり方が分かってくる。学習の本能にスイッチが入ったとでもいえるような瞬間、勉強に目覚めた瞬間である。
こうなると、受験生は自分の生活づくりに大いに興味を持ち始める。
暗記したいものは睡眠まえと起床時にするだとか、食事の時間をどこにするか、起床時間をどうするか。生活をことこまかく工夫し始める。私の体験も活用してもらえる。ここまで来れば、少し離れたところから見守ってやりさえすればよい。私は学習の環境を整えてやるだけだ。

学習の動機もつくっておく。つらくて退屈な努力の積み重ねが、どんな結果を招くのか、何度も会話のやりとりで考えさせる。周囲から吹き込まれたうまい話ではダメだ。本人の心からの本音と、受験の成功とが合致を見なければならない。いや、受験の成功が自分の望みよりもはるかに大きなものをもたらしてくれるものとして位置付けされる必要がある。
将来の望みが高い生徒ほど手がかからない。望みが低い生徒は少しでも望みを高くしてやらなければならない。よい大学ほど女の子はかわいく、男の子はかっこいい。だから出会いも期待される。そういう動機で十分である。

結局、私は何一つ教えなかった。教えることを出来る限り避けたので誤解されることもあったが、私は受験生たちを刺激して、一人一人にもともと備わっていた学習本能のスイッチを入れようとしていただけだ。それこそが合格への道だった。もちろん生徒たちは一つ一つの知識を教えてもらっているつもりだったし、そのためにこそ授業料を払っていると思っていた。私がほんとうのことを言えば気をわるくしたはずである。

今もその基本的な考えは変わらない。
ただし受験のような小手先は全く通用しない。合格すればあとはサヨナラということでもなかろう。人生のテスト問題は一人一人違っているし、途中でいくらでも書きかえられてゆく。結果は本人が死ぬまで分からない。どちらが先生で生徒かも分からない。これからが本番。本番である。

※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
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