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赤ちゃんが母乳の飲み方を教わらないように①-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/09/30(Fri)
枕から頭が上がらないというくらい疲れたときは、どうするか。
困ったことがあるときが「学びどき」である。

寝てるだけっていうのも方法の一つではある。しかしこれはチャンスなのだ。「こんなに疲れたときの自分の体って、どんなふうなんだろう」と興味を持つのもいい。一生ずっと体調がわるいわけではない。次はいつ体調のわるい日が来るか分からない。まさにいい機会。「学びどき」である。

体が動かない。頭もぼーっとする。そういうときは、首から下が動かなくなった人のことを思う。頸椎をやられると、首から下がぜんぶやられる。脳と体の連絡が取れなくなるからである。腰椎をやられると、やられた下の不自由が起こる。自分のムチウチだってそういうことだ。首や肩がこるというだけで、全身の疲れや動きの制限が起こる。首は、いけないよなあ。首は硬くてはダメだ。

頸椎まわりをさぐる。この硬さが私のつらさの本体である。これを少々ほどきたいと思う。
仰向けになり、左右のかかとを突き出してみる。突き出しやすいほうを、何回か行う。頸椎のとくに硬いところに指先をのせて軽く押してみると、ゆるんできているのが分かる。
次に、かかとでジワジワ床を押してみる。右のかかとでジワジワ。左のかかとで、ジワジワ。
左右のどちらかのかかとで床を押すと、首がゆるむ。もしくは床を押しやすい側のかかとを押してゆくのも、いい。かかとで床をジワッと押してゆくと、腰がしぜんに浮きそうになる。そこで気持ちのよい感覚の出る高さやねじれ具合を工夫してみるとよい。てこの原理で片方の腰が浮いて、腰回りがゆるんでくる。
これを何回か、行う。毎度のことながら、全身の脱力のさいには、大きく息を吐くとよい。

かかとをさらに床に押しつけて腰を浮かせたのち、肩甲骨あたりが上半身の支えとなる。上半身の各所に動きが出るから、背中が浮く高さやねじれる方向を工夫する。肩甲骨付近や首、頭は支えにまわる。顔の向きも気持ちの良い方向をさがす。上半身の支えとなるところではどこを、どの方向に、どの程度の力加減で押し付けたら、気持ちがよくなるかを、ていねいにさぐってゆく。こうかなあ、こっちもいいか、あっちもいいか、なんてやってるうちに、ほぐれてくる。
これは連動の応用といっていい。

最終的な目的は、体の底からグググッと湧き起こってくる自然な伸びである。「こうかなあ」「ああかなあ」とやってるうちに、「おっ、来た来た!」となる。自然な伸びが湧き起こってきたら、そっちに身をまかせる。
操体法をやってる人なら、だんだんと自然な伸びが体から湧きおこってくるようになる。これはもう本能である。リクツではない。もともと備わっている。天然自然の自動調整の動きである。快感である。こうした伸びが何度か出たら、起き上がってみる。ケロッとして起き上がれる。ありがたい体である。
あんまりつらいときは一時間おきなどにこまめにちょこっとちょこっと操体法的な動きをやる。
深追いしない。欲張らない。半分は自分の工夫で残りの半分は時間の流れにゆだねるつもりでやればいい。

疲労が極まったときほど、「おおおっ」とうなるくらいに快感がある。疲労が極まったときのごほうびのようなものである。つらいから、具合わるいから、ヤル気が出ないから、ただ寝込んでいるだなんて、まあもったいない話。

※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたも始めてみませんか。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。
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花のタネが風に運ばれるように、魚の卵が流れにのってゆくように-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai☆docomo.ne.jp(☆→@)-
2011/09/28(Wed)
自分ができるようになるよりも、人ができるようになるのを見るほうが楽しい。人に教えることで気づきや発見があり、自分ができるようになっていることも少なくない。人に教えながら身につけたいという方々の輪が広がってゆくのが自分の一つの夢である。

腰痛を一発で治すとか、動かなかった首がパッと動くようになるとか、そういう達人芸もいいと思う。療術の達人のワザは生きたアートであり、自然を体得する一つの道でもある。
しかしどうだろう。たった一人の達人もいいが、操体法を生かじりしたシロウトのほうだってなかなか捨てたものではない。それが百人二百人と増えていったらそれも素晴らしいじゃないか。
たった一人にしかできない達人芸もいいが、誰にでも取り組むことのできるシロウト芸だって捨てたもんじゃない。操体法そのものに力はある。そういう開き直りもあって、講習の活動を続けている。自分に迷いはない。

あれが治ったこれが治ったと感謝されるのもいいけれども結局、人は死ぬ。病気だってする。回復だってする。その繰り返しである。死ぬまでは生きている。それだけだと思う。
一口に操体法といっても腕にはピンからキリまであるが、操体法ならシロウトどうし互いに助け合うことができる。自分の体に自分で取り組むことだってできる。むしろ私はシロウト芸もいいじゃないかと思うのである。
こんなに教えてしまって大丈夫なんですかと言われることもある。
持っていけるものはドンドン持っていってくださいと私は言う。どうせ墓場にまでは持ってゆけない。植物が風にタネをばらまくように、魚が海の流れに卵を散らすように、時間と空間を超えて広がって、どこかでたくましく育っていってほしいと思うのみである。


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無意味でかえって有害となる生活の「改善」もある②-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/27(Tue)
「生活習慣を見直して生活改善をしよう」と安易な考えにとりつかれると、未来に対する心配や不安を表面的にも潜在的にもかかえてゆく場合がある。これこそ病気予防の決定版と打ちだされているのが健康21が、かえって心身の自由を奪い、ストレス社会のストレスを確実に増やしている面がある。
人間には心があり感情がある。そして深層心理、潜在的な意識もある。生活改善が立派な生活「改悪」になることもある。

食事面には深刻な影響が見受けられる。「食事に気をつかう」といえば格好はつくが、その具体的な中身というと、食べることへのおびえである。日常にしょっちゅうしょっちゅう「ああ食べ過ぎた」「これを食べてはいけないんだ」「これを食べるといいんだ」などと何度も思い浮かべる。「食べるのをまちがう=生命へのダメージ」という強迫観念にとりつかれ、食べるたびに恐怖と反省とを繰り返す。「なんで自分はこんなこともできないんだろう」「また失敗してしまった」「これでは将来の自分はダメになる」。
これは立派な催眠療法ではないか。負の結果をもたらす心理療法。自分で自分の首をしめるのだからたちがわるい。
しかも新聞やテレビは一日に何度も忠告することをやめない。
「そんな生活をしていると、あなたの将来には確実に不幸がやってくる。わるいことは言わない。今すぐに生活を改めなさい」と。
これが呪いのようにつきまとい、うっすらした怯えが表情に貼りつく。この意地の悪い攻撃を受け続けるのは精神的によくないばかりでなく、健康上もよろしくない。

食というのは命を左右する行動であると同時に、精神面にも深くかかわりがある。
イスラム教がブタ肉を禁じ、ヒンズー教が牛の肉を禁じるように、宗教と食生活が切り離せないのを見ても分かる。生活を変えるというのは思想や精神を変えるということにつながる。「ちょっと健康にいいかな」くらいの軽い気持ちで足をつっこみ、ヘタに手を出してかえって事態が入りくんでいるのも見受けられる。過食症や拒食症の治療が長期にわたってもなかなか進まないという事実を少しでも見れば分かりそうなものだ。

どの生活習慣をどういうふうに変えたら、どのくらい病気が防げるのか。どのくらい心身ともに健康の改善が実現され、どのくらい幸せが増してどのくらい延命できるのか。
基準を示すのなら、基準の根拠も具体的に分かりやすく説明する責任がある。しかし、「健康にいいんじゃないかしら」以上の説明ができる人は、専門家を含めていない。いや、専門家ほど、「何が心身の健康にいいかわるいか、そんなことはそう単純なことでは済まない」と言うだろう。私たちはシロウトだからこそ、健康には単純な方程式があるのだと、信じ込んでしまう。信じ込まされてしまう。

どの生活習慣を、どういうふうに変えたら、どのくらい病気が防げるのか。どのくらい心身ともに健康になれて、どのくらい幸せになって、延命もできるのか。節制を勧める保健士さんやお医者さんに今度会ったら、もう少し具体的に話を詰めてきてほしい。
はたして生活改善の努力は、どのようなかたちで報われるのか。

実際には誰もデータをとっていないのである。データを集めている組織もない。政府の役人や一部の医者が頭で考えただけの生活基準。日本国民であるあなたにはこういう生活をしていただきたいと、税金を投入して一部の役人と医者たちが人生観・価値観を宣伝しているだけのこと。
科学的な話のように匂わせているが、科学的な根拠は一つもない。

人間一人一人の生活や習慣は一日にしてできあがるものではなく、個人の意志だけでつくられるものではない。いくつかの項目にきちんと分けて整理できるような単純なものでもない。「こうしたほうがいい」とか「ああしないといけない」とか、意識してつくられるものではない。
健康21には、生きる生命のはたらきというものが忘れられている。たとえ科学的知識を入力し、設定どおりに生活を送ったとしても、計算どおりに病気を免れて健康で幸せになれるというようなコンピューターやマシーンではないのだ、私たち生きている人間というのは。


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無意味でかえって有害となる生活「改善」もある①-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/26(Mon)
一つ一つの生活習慣はジグソーパズルの中のワンピース。小さなピースが全体の絵柄を支えあい、自分の生活・自分の人生をかたちづくっている。小さな変更が全体の絵柄を変えることもある。生活習慣病予防のため、人間の理想的生活の基準が政府によって打ち出されているが、生活習慣でつくられるのは病気だけではない。ものの感じ方や考えかた、性格、私たちの人生あらゆるすべてが日々の行動でできており、生活習慣と自分自身とは切っても切り離せない関わりがある。

なぜそうするか。なぜそうしてしまうのか。いちいち尋ねられると自分でも分からないことばかり。それが人間の行動だろう。生活習慣をつくるのは自分の意思とばかりもいえないのである。自分の生まれ育ちや環境もある。文化的な影響もある。本能的な反応もある。
むしろ理屈抜きというほうがいいくらい。人間は理屈で生きているのではない。私たちの生活習慣は、こうすればいい、ああしたらいいといちいち考えた結果の寄せ集めではない。

体によさそうだからと「改善」を試みたところで、そうそううまくいかないのも当然なのは、おわかりいただけると思う。
生活習慣病予防対策におびえた表情で取り組みながら、うまくいかないといって苦悩している人が少なくない。新聞やテレビや病院の専門家は一日に何度もあなたに忠告するのである。
「そんな生活をしていると、あなたの将来、確実に不幸がやってくる。わるいことは言わない。今すぐ生活を改めなさい」と。
「生活習慣を変えて、生活習慣病を防ぎましょう」ということは、あなたのすべてを変えないと、将来の病気が防げませんということに等しいのかもしれないのである。しかも、Aの病気を防ぐことに成功したと思ったら、Bの病気が待っていたという結果になるのかもしれない。すべての病気を防ぐだなんてことはあり得ない。そうではないのか。

表面的にはどうとでもなりそうな小さなことでも、表面では分からない、潜在的な部分で自分の重要なところを支えている柱なのかもしれない。日々の習慣的な行動には本人にとって理屈抜きにせよ、根拠も意味もないとは言い切れない。いろいろなことで心身のバランスがとられている。人間の生活は微妙なバランスのネットワークで成り立っている。私はそう思う。Aの生活習慣は望ましいが、Bはダメ、Cはよくもわるくもない、というように、一つ一つバラバラで人の習慣や行動を見ていくというのはあまりにも単純。むしろAがあるからBがあったり、CがなくなるとAもBもなくなってしまうなどというほうがふつうなのではないか。すべてが関連しあって一人の人間の生活。一人の人間の行動ではないのか。

命がかかっている人には個人個人に対して医者が必要に応じてアドバイスするなり治療するなり、すればいい。しかし国民全体にその網を広げるというのは明らかに行き過ぎである。生活習慣をどう変えれば、どんな病気が防げるというのか。そんなにハッキリ分かっているのだろうか?
ここはよく考えたいところだ。(この項つづく)


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使えば使うほど増えてゆく。自分も周囲もゆたかになる。-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/25(Sun)
日本の貯蓄率は世界一を誇る。私自身、お金を眠らせることが得意な日本人の一人だが、能力を眠らせることでは得意にならないようにしたい。使われようによっては自分にも周囲にも喜びが得られ、次から次へとまた新しい能力を目覚めさせてゆくのである。能力を使うのを惜しんで眠らせていてもしょうがない。

使われない能力は眠っている。今、自分が発揮している能力だけが、自分に備わった能力ではないのである。たとえば人間の頭脳はほんの数パーセントしか使われないまま、死んで灰になると言われている。残りの90パーセント以上は眠ったまま死んでゆく。
貯蓄は生き残った人々が使うことになるが、自分の能力は焼却炉で少しの灰になるだけ。いつかはただ少しの灰になるその前に、もっともっと使うことを考えたい。

能力を発揮するというのを具体的にいうと、身体をじゅうぶんに使う、心をじゅうぶんにはたらかせる、ということに他ならない。操体法の橋本敬三先生は、身体をかたよりなく使うということが疲れをなくし、丈夫な体をつくると著書に残している。
身体や心には、生活でしみついたクセ、かたよった使いかたがある。クセは偏りがあるということ。偏りとは部分的ということである。クセが多いということは、そのぶん案外とせまい部分しか使わないまま済まされているということである。

私は小さい頃からクセのある子だクセのある子だと言われていた。そのたびに反発をした。自分を守るためであろうが、それがいつの間にか、クセを自分の大切な個性であると思い込んでいたふしがある。
しかし自分に備わった資源のほとんどが使われないままの状態のことを、クセがあるというのである。
クセだらけということでは個性だってじゅうぶんに発揮されていない。

個性をじゅうぶんに発揮するというのは、自分に備わったものを開花させてゆくという作業に他ならない。
操体法はクセとり療法である。クセをなくしてゆけば全体を使うようになる。心身の眠っていたはたらきが目覚め、おのずと能力は発揮されてゆくということだ。全体を用いるということで個性ある自分自身が発現し、自分らしさも広がってゆく。

それがなかなか理解しがたく、クセにしがみついておきたいという気持ちが、がぜん出てくることがある。クセをなくしましょうとか、クセをとりますとか言われると、何だか自分がソンをするように思われる。サッと身構えるようなところがある。クセもまた、自分の財産のようになってしまっているということである。
サイフからお金を出すときの、惜しむ気持ちにも似ている。私もお金を眠らせることが得意な日本人の一人。能力を眠らせることでは得意にならないようにしたい。


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瞑想法・呼吸法を好きになる。いかにラクにできるかがポイント-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/24(Sat)
ラクな姿勢ができるかどうかが集中を左右する大きなポイント。座っていると首、肩、腰、膝などがつらく、瞑想を切るとホッと力が抜けるという皮肉。寝た姿勢でリラックスして呼吸に集中しているつもりが、実はコチンコチンにこわばっていることもある。

ガマンすることが瞑想法であり呼吸法だという考えもあるだろう。それはそれでと思う。しかし自分はガマンのきく人間とは思うが、ガマンするとキライになって、結局は遠ざかることになるので、できるだけガマンしない方法からスタートしたい。身につく前にキライになったり遠ざかってしまうことを回避したいのである。

じっとしているとつらい。そこで最初のうちは、もぞもぞ体を動かしてもよいと考える。動かしてもよいというよりむしろ積極的にもぞもぞするという考えである。
少しでもつらいと感じ始めたら、もぞもぞを開始。するとつらさがやわらぐだろう。しかしそれもいつかは限界だ。ここで中断。今日はこれで終わり。それでもいい。

どうすればつらさが減るか。体重の移動をこころみる。首や肩もゆっくり動かしていい。
正座の姿勢で、自分のラクな体勢、体重のかかり具合を研究する。自分の頭のてっぺんから床に向かって垂直な力がはたらいているということを感じ取るとよい。頭から床に接している面へと向かって重力がかかっていることを感じながら、ラクな体のつりあいをさがして、ラクなほうラクなほうへともぞもぞする。
寝ている場合は、重力のかかる方向が90度ちがう。正座でうまくいかないと思ったら、寝てやってみる。寝てやってみて限界と思ったら、正座でやる。

寝た姿勢でもぞもぞする場合は、床に接している部分のどこかをじわりと押しつけるのもいい。肩甲骨付近や腰骨、腕や肩、かかとなど、やってみるとすぐに要領がつかめる。足首をどのくらい反らせると息がラクになるか、足の先を右に向けるほうがラクか、左に向けるほうがラクか、呼吸で確かめることもできる。かかとをちょっぴり突き出した姿勢ではどうか。右を突き出すか、左を突き出すか。呼吸がうまくいくほうを調べたりする。
そうこうしているうちに時間が経つ。
体もずいぶんほぐれ、「あ~気持ちよかった!」となっていたら上等だ。

瞑想や呼吸法そのものは、忍耐やガマンとは関係ない世界。自分のこころとからだをつなぐ作業だと私は考える。
まずはラクに座るということ、ラクに寝るということ。ラクな姿勢でラクに息を出していくことを追求する。じっとしていると少しはこわばるけれども、徹底的にラクを追求する。それはもう立派な瞑想であり呼吸法になっているのではないか。

ガマンしたらガマンしたぶん続かなくなるのが凡夫。
凡夫がちょっぴりずつ瞑想や呼吸法を工夫しながら続けていれば、少しずつ凡夫ではなくなる。
個人差もあろうが、最初は一回5分もやればじゅうぶん。5分を目安に一カ月も続いて、それがまったく苦にならないというのなら、10分を目安にしたらどうだろう。

時間を最初から決めるのではなくて、「ああかなあこうかなあ」とやっていくうちに、やめたいと思えば時計を確認し、「あ、これで7分ね」とか、「5分過ぎた」とか、「あ2分」とか。続けるうちに、今はおよそ何分くらいが自分の目安だな、と把握するのがよいのではないか。時間の長さなどはこだわらず、自分の心身の状態の変化を追ってゆく。時間にこだわりを持てば、それはそれで瞑想・呼吸法の本来からはずれていくと私は考えるが、いかがだろうか。

こういうのは毎日ちょっぴりが効いてくる。
自分の納得いくまで30分も40分もやったって、数日でやらなくなるようだったら、やり過ぎだったということ。まずは一日一日、瞑想やろうかな呼吸法やろうかなという気持ちに入れるかどうか。少しずつ面白さが分かってきたというところまで、自分の気持ちをつないでいくことが、大切なのではないかと思う。


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瞑想法・呼吸法で集中力アップしたい-福岡操体法の講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/23(Fri)
正座して呼吸に集中するよう勧められたことがあり、やってみたら1分と持たない。時計の進行が止まってイライラし、集中などできないのである。

山歩きをやってみて、集中するというのはこんなふうかなあと思うことがあった。土や岩の斜面、道なき道、一歩一歩足を置く場所もいい加減にできない。足を置くたびに、足裏に自分の体をあずけてゆくという作業を、ていねいにていねいにやっていく。歩きなれない私は、両足裏に全神経を集中しなければバランスをくずしそうで、周囲の景色を見るなどということは、水泳の息継ぎのようなものだ。ほとんどの時間を水面に顔をつけて手足を黙々と動かすように歩いた。

そんなことが、非常に楽しかった。ぜえぜえはあはあいう自分の息の音。どくどくどくどくする自分の拍動。体が火のように熱くなり、全身に汗が伝う。徐々に徐々に調子を上げていくと、そういう状態になる。目の前に現れる斜面を次から次へと平らげていくと、そうなる。
てくてく歩いているうちは、いろんなものを引きずっている。いつかは仕上げなければならない宿題のようなことが、次から次へと思われ、つらいことや悲しいことをくよくよ思い出し、日常のことが頭から離れない。てくてくてくてく、てくてくてくてく行くうちに、道はけわしくなって、木の根をつかんで這い上がったり、ずるっと足をすべらせてハッとさせられたり、そういうこと一つ一つが、「目をさませ。しっかり集中しろ」と活を入れてくれるのだ。

「そうだ今はそんなこと考えている場合じゃない。ここで足をすべらせたらどういうことになるか。ここで迷ってしまったら、どういうことになるか。宿題どころじゃない。つらいとか悲しいとか、めそめそしているどころじゃない。歩め歩め。足の裏に集中しろ。手足の動きに集中するんだ」
とそういう具合に、だんだんと一心に進み続ける。ぜえぜえはあはあ自分の息だけの、どっくんどっくん自分の拍動だけの世界。何も思い出せない。何も思い出さない。汗ばんだ肌を風がなでて通り過ぎて行く。
「道は、この道は、一体どこまで続くのか。私はいつまでこんなことを続けるのか」

いつでもこうなれるというわけではなかった。線香花火みたいに、ぱっと歩いてぱっと終わるようなこともあった。不完全燃焼のままくたびれることも。いつ歩いても毎回ちがう。しかしまれに、集中が積み重なっていって、心も体も非常にのってくることがあった。ここに書き尽くせない不思議な感覚がいくつかあった。私は感覚の冒険、感覚の旅として、一人で山歩きに出かけていった。
その境地に達するために歩くのだから、呼吸にも体の運びにも、かなり気を使っていたわけである。

山歩きは自分にとって一つの瞑想法であったと思う。正座をして瞑想をすることを通じて集中した状態になるのと、自分の山歩きで集中した状態になるのと、どういうところが同じで、どういうところがちがうのだろうかと思う。
私はこんなふうな山歩きができない状態にある。いつ再開できるようになるかもわからない。再開できるのかどうかも、あやしい。後遺症が主な要因であるが、後遺症がなくても、いつかこんな激しい運動ができなくなることだってある。集中したいと思うたびに車を走らせ山へゆき、何時間も歩き続けなければならないとしたら、不便きわまりないことではある。

自分が坐れる場所だけあれば、いつでもどこででも定に入ることができる。それが一番便利で自由である。そういうことも、やらねばならない時期に来ているのだろうと思う。


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体調の上下の波。その繰り返しのゆきつく先は-福岡操体法の講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/22(Thu)
今日は朝からさえないとか、昨日より体調がよいだとか、そういうことならまだ分かる。しかし自分の体調を長期的に見て上昇気味か下降気味か、はたまた維持されているのかを判断するのは決してカンタンではない。

検査の数値は行き当たりばったりの感をまぬがれない。その日その時の数値が基準をはずれれば「ハズレだから体がおわるいです」。別の日に数値が変われば「今日は当たり。大丈夫」。
毎日検査を続けてみれば数値は変動するだろう。今日はハズレ、明日は当たりと、さぞかし目まぐるしいことになる。検査の基準の範囲内で生きていれば健康で元気ということで、数値の基準からはずれた日はダメなのか。そんな単純に見ていていいものなのか、体って。

肝炎発病を期にヨガと食事で養生して一年過ごした後、病院に行って血液検査した。「正常」。言われてうれしいような、うれしくないような。当時19歳。まだまだいくらでも元気になれそうだった。しかし体調は、発病前と比べたらぜんぜん違う。今日もダメ、明日もダメ。からっとした晴れ間の見えない、だるくてつらい体。それを「正常」と言われてしまえば、もうこれ以上は手の施しようがないというわけだ。「あ~これが自分の正常になってしまったというわけか。この調子で生きていけということか~」。
実際にはそうはならなかったが、当時の自分は気落ちした。

体調には波がある。上昇や下降を繰り返す。上がり下がりをしながら、だんだんと右肩上がりになったり、右下がりになったり。その幾多もの波の示しゆく方向を読み取るには技術が必要だろう。
波にも、一ヶ月ごとの、季節ごとの、一年ごとの、十年ごとの、波というのがある。一生の中の波というのだって、ある。
やれ薬だ、やれ手術だという場合に、こうした波と、その波の行方まで考慮してあることは全くといっていいほどないだろう。大小のいくつもの波の行き着く方向を見守り、見定めるのは、自分自身。そのほかには誰も、いない。


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どのくらいやれば一人前になれるのか-福岡操体法の講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/19(Mon)
漁師さんに尋ねてみたことがある。何年もかかる、熟練を要するという返事を予想していたが、「数か月で分かるようになるのもいれば、十年やっても分からないままのもいる」。
ずばりその通り、受験指導にしても、操体法の講座にしても、同じだと思った。

人間は機械じゃない。
一の入力で一の出力、十の入力で十の出力を大人たちは期待しても、そういうようにはならない子供たちのほうが多かった。一の入力をしても、二、三と努力を重ねていっても、出力ゼロが続くなんかザラ。
そういう時期に、子供はなじられたり、努力が不足しているとか、絶望の声を浴びせられがちだが、そこを通過して急に、出力が十にも二十にもなるような、そんな日が来るのである。

赤ちゃんが言葉を話せるようになるのと同じだろう。
赤ちゃんはバカだからしゃべれないのではない。言葉を話せるようになる、つまり出力が期待できるようになるまでに、入力ばかりの状態が、ある一定期間続く。そしてある日急に、話せるようになっている。
操体法だって、足をこう持って、圧痛点はこうとって、と教わればその通りできそうなものだが、すぐにその通りできる人もいれば、なかなかできない人もいる。
操体法を始めるまでに、すでに何十年も生きている。これまでの生活で身につけてきたこと全てが、関わっている。初心者といえども、あっという間に「分かる分かる」と進んでいく人もあれば、「よく分からないなあ~」の段階を長く過ごす必要のある人もいる。「なんで私には分からないのですか」と質問されることもある。それまでの生活全てがそうなっている。呼吸、食、動、想、ずうっとやってきたこと全ての積み重ねから出てきた結果だ。分からないのならなおのこと、やれば大きな変化が期待できる。

少し時間を経過すれば「なあんだ、こういうことか」と分かる日がくる。どうして分からなかったかが、分からない。そんな日がくると分かっていれば、いい。楽しく体を動かしているほうが、早くその日を迎えられる。


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犬も、人間も、生きものすべて共通の命のはたらきを感じて-福岡操体法スタジオの講習 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/18(Sun)
歩き方がおかしくて病院のお薬で対応したら二日で立てなくなった。硬直した筋肉をゆるめてやると、ほどなくして歩き始めた。以来、朝方にゆるめてやると一日過ごせる。痛みで悲鳴を上げていたのがウソのようだという。

人間ではなくて犬のお話。
服薬して二日後には治るどころか、立とうとするたびギャインと声を上げる。そんな老犬の痛ましい姿を見て、痛みどめと抗生物質では腰椎ヘルニアに対処できまいと思ったという。
ちょっと前に身内がぎっくり腰で入院したのを、習いたての操体法をたずさえて見舞いにゆき、対処した。その経験から自信もついていた。

人間も、犬も、基本的には同じではないかと思い、指先の感覚をたよりに筋肉をさぐっていったらしい。痛みを与えず嫌がらないことを心がけながら、「こうかな? こっちはどうかな?」と工夫するうちに、ゆるんでくる。
ワンちゃんもさぞかし飼い主さんへの信頼を厚くしていることだろう。
よかったよかった。

野口整体では、手をかざす愉気というやり方がある。これを会員さんたちが植物や熱帯魚、ペットなどにやってみて、たいそう喜ばれているという内容を読んだ記憶がある。
こういうのは今のところ、非科学的だとか気のせいだとかで、まともに取り合わない風潮であるが、人間どうしばかりでなく、生きものの種を超えて共通の、命のはたらきが実感される現象を、自分の手や指先を通じて知る体験は、何ものにも代えがたい感動がある。


※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよいところを見つけ、ちょうどよい加減で動かしながら、心身の回復をすみやかにする運動療法です。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたも始めてみませんか。
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ラクで楽しいが一番の健康法-操体法スタジオの講習会 お問合せ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/17(Sat)
キャンプや山歩きを頑張らないとできなかった。頑張るからストレスで疲れて嫌になる。しかし今の自分は、やろうと思わなくてもやってしまう。やらないとストレスになるという状況。
こんなに変わるんだなと思う。

野外で過ごすのがイヤだなんて、ほんとうはそんなはず、なかったのだ。海や、川や、山や、野原がイヤだなんて、どうして私はそんなことになっていたのだろう。
野外で過ごす体験に、とぼしかったのだ。野外で過ごす気持ちよさを、知らなかった。
誰かが連れ出してくれたらなあ~などと虫のいいことを考えないでもなかったが、待っていても埒があかないので頑張って自分で動いた。

頑張り過ぎて気持ちの面で負担だった。しかし自分は変わりたいという気持ちのほうが強かった。これをやらなかったら、これまでのまま。それで生きていけないこともないけれど、どこか危機感を感じてもいた。何がなんでも続けていたら、きっと今よりはよくなると信じて、バカみたいに出かけ続けた。だってもうこれしかないんだもん、と自分に言い訳しながら出かけて行った。

やっと最近、自分の体の感覚ができてきた。朝目が覚めたらすぐに一度は外に出ないと落ち着かない。「いやあ今日の空はまたいいなあ~」と明けゆく空を仰ぎながら、体の硬いところを探り、ゆるゆるとゆるめていく。
一日のスケジュールを確認し、空き時間に応じて出かける先を決める。時間が少ないときは近所のウォーキングコース。まとまった時間のあるときには少し遠くの山か川。時間がまったくないときは、いっそのこと出かけない。

出かけない日が二日も続くと、思いきって早起きして時間をつくる。もしくはテントで一泊する。寝る場所を室内から外に移すだけだから余計な時間はかからない。
ここまでしてでも、私は外で、自然の中で、少しでも過ごしたいという生理的な欲求が出てきた。

原始的な感覚が、少しでも体に戻ってきたら、自分が元気になるようなことが、やりたくなる。
体にいいことが、一番楽しくてラクに感じるようになったら、あとは好きにしていい。
好きにしているのが、一番いい。
健康状態が今一つという方には、自然のゆたかな場所で過ごすことをお勧めしている。
体力に応じ、自分のそのときどきの生活状況に応じ、野外で過ごす時間を五分でも十分でも自分の生活につけ加えてゆくのである。自分にお気に入りの場所をいくつか見つけて、週に一度でもいい。出かけてみてください。


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力の出ることば「笑顔招福」と「障害打破」-未病を治す福岡操体法スタジオの講習 お問合せ soutaiabc★yahoo.co.jp(★→@)-
2011/09/16(Fri)
崩れる幸せだったら本当の幸せとはいえない、と子供のころ考えていた。団らんの最中にふと、足元を支える床が崩れそうな予感があった。
困難が持ち上がるときのほうが現実感があるというか、迷いなく元気に立ちあがる。「障害は私を屈せしめない。あらゆる障害は奮励努力によって打破される」(『レオナルドダヴィンチの手記』岩波文庫)という言葉に私は共感する。

しかし障害物が具体的なかたちとなって目の前に出てくるまでのあいだ、どうするか。実際、すでに団らんの最中に足元では床が崩れ始めているのかもしれない。崩れ落ちてしまってから、さあ困難が来たと立ちあがるのでは、遅い。
「未病を治す」という考え方は、目の前に障害物があらわれるのを待たない思想である。
団らん的な幸せの中にどっぷりと浸り、床が崩れ落ちるまで何もしない。それがふつうではあるのだが、それでは「未病を治す」などとはとうてい言えないのである。

笑顔招福という言葉がある。
あらゆる困難を笑顔で迎えていると、困難が困難でなくなり、しだいに福に転じてゆく。そんなイメージなのであるが、もう1つ、こういうイメージもある。困難も、笑顔で迎えられるくらいの段階にあるうちに、福に転じておく。本当の困難にならないうちに手を打ってゆけば、誰にだってやせ我慢の笑顔でなく、ゆとりの笑顔をたやさずにいられる。

本当の困難に直面したときには「笑顔といわないまでも、これをどう受けとめれば泣きっつらや怒りで迎えずに済むだろうか」と考えるのが智恵と思う。
ウソでもいいからヘラっと笑って、「参ったなあ」と頭をかく。そういうゆとりがほしい。

次から次へと目の前に大なり小なりの障害物があらわれる。それが生きるということだとすれば、障害物の1つ1つに悩んだり苦しんだりしていては身が持たない。
いかなる困難に対しても喜びとやりがいが感じられれば、恐いものはなくなる。むしろ困難が好きになるかもしれない。
一般に言われる「団らん的幸せの図」はもともと一時的なもの。終わりのない宴などない。いつかは崩れる幸せのかたちだ。「まあこういうのも時にはいい」と思うくらいのもの。それを継続しようとか、それが当たり前にふつうと思うから、おかしなことになる。

好きな言葉・モットーは何かと訊かれたら、笑顔招福と障害打破。自分にとって力の出る言葉だ。


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チャンネルをたくさん持つということの強み-福岡操体法スタジオの講習会 お問合せfreeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/15(Thu)
人生が一枚の試験問題ならば、どの人の答案用紙も程度の差こそあれ虫食いだろうと思う。やさしい問題順には並んでいない。最初から一番難しいということだってある。その結果の虫食い。それを順序よくきれいに解きたいと思ったら「これを乗り越えないと先に進めない」ということになる。

解けない問題を前にして、のたうちまわり苦しみもがくことも少なくない私であるが、一生かかって答えの出ない問題も少なくはなく、一応の答えが出るのさえ五年十年かかることもザラ。いったん出た答えを書き改めるのも一度や二度ではない。困難を乗り越えるのはもちろんだいじだが、すぐに解いて片付けようという姿勢は問題をなめてかかっているのか、とも思えてくる。
解けない問題を前にしていちいち悩み苦しんでいれば、なかなか身動きがとれない。動けないというあらたな苦しみが加わって状況はさらにややこしくなる。

今の自分ではどうしようもないことが次から次へと出てくる。生きているということは、いつ解けるかわからない問題をかかえながらも動くということだ。それでもある日、前の問題を読み直したら、ひょいと答えが浮かんだりもする。あとの問題を解くうちに、前の問題が一気に解けるということも少なくない。「これも解けない」「あれも解けない」とぶつくさ言いながらも、できるだけ身軽にしてあちこち食いかじっていると、これが案外に愉快なものなのだ。

ほんとうに動けなくなればそれで終わりだが、「もう動けない」と観念しても、しばらくするとまた動き出したりもするから、生きているっていうのは不思議である。
動きのとれなくなったチャンネルはとりあえずそのままにして、別のチャンネルを開設するのもいい。そこもダメになれば次のチャンネル、また次のチャンネルと、チャンネルが増えていくのもまた、愉快である。


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自らのぶざまな姿を恥じることなく忘れずにいようと思う-福岡操体法スタジオの講習会 freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/14(Wed)
調子のよいときは何だってかまわないが、一旦危機に直面すると、それまで通用していたものが殆ど使いものにならなくなる。四年前の交通事故で分かったのは、危機に際して手元に残るものが、本当の価値あるものだということだった。

自分の直面した困難に、操体法が通用するかどうかに確信が持てなかった。いや操体法そのものがどうというのではなく、自分の身につけた操体法が、困難に備えのないヤワなものだった。そしてそれ以上に自分自身がヤワだったに違いない。
情報や知識は大切だが、役に立たないものでもあった。ムチウチは数カ月にわたり症状をあらわしていくと分かっても、渦中にある自分の身に、まさにそのことが起こっているという事実がなかなかのみこめないのである。

失われた過去の自分の体の機能には大いに執着したし、そこから先の自分から失われてゆくものを思って大いに絶望をした。そんなふうだから、残された自分の力を十分に発揮することなどできないのである。ただでさえ弱っているところに過去への執着と未来への絶望が加われば、現在の持てる力の半分、いや十分の一にさえ届かないかもしれない。つらくなるのも当たり前だろう。
それまでの自分は人からの相談を受け、励ますのが仕事。趣味のほうでは山歩きのトレーニングも積んでいた。その自分がこの体たらくということもまた、とうてい受けいれられなかった。

これを機に、いい加減な自分の操体法を見直して、ほんとうにダメなものなら捨てようくらいの気持ちだった。誰かが勧めてくれたからとか、他の誰にとってよかったからということではなくて、本当に自分自身できちんと答えを出すときが来ていたのである。「治らない」と三人もの医者に太鼓判を押され、「ああそうですか」とすんなり引っこむことが私にはできなかった。

幸いにも操体法は私を裏切らなかった。私の操体法の研究はまだまだ発展途上だが、講習にあってはちゅうちょも遠慮もない。参加者の一人一人が、自分はだまされないぞというくらいの気持ちで、大いにやっていただきたいと思う。 
※読者の皆さまのご健勝ならびに、U.I.さん、N.H.さん、N.M.さん、K.S.君、I.H.君のご回復をここに特に祈る。


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どんなときにもそのときどきの、自己ベストを見つけながら生きてゆく-福岡操体法スタジオ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
2011/09/13(Tue)
やる気がだいじというが、意欲の過剰は身を滅ぼす。頑張り過ぎればいつかはダウンし、過剰に動いたぶん回復に時間がかかる。体を傷めた後遺症が残ることもある。スポーツ選手の引退後の体をみせていただいたときに痛感したことだ。

無理はいけない、ともいう。
しかし単純なひびの入った骨折などをギプスで固めるとどうなるか。
使わなかった場所の筋肉は確実に衰える。不自然に固められた腕や足が曲げ伸ばしできなくなるだけでなく、固められたところをかばって過ごしていたために、全身各所までおかしなことになっている。骨がつがったときには長い長いリハビリという手間が残ってしまう。

痛みを我慢して無理するのは論外。しかし痛みにびくびくすれば、それはそれでおかしなことになる。ちょっとくらい痛くても仕方がないが、できるだけふつうに過ごす。
必要最小限のテーピングで普通に過ごすことを心がければ、骨が治ると同時に全身の状態もよくなっている。実際にそれが一番治りが早いだけでなく、ベストな仕上がりの回復である。

頑張りすぎず、頑張らなさすぎず。それがベストの自分。
調子がよいときに頑張り過ぎるのが自分のベストなのか。その後に頑張りのツケを支払って、プラスマイナスゼロならまだしも、体をいためたぶんマイナスが出ることもある。そのことを考慮した、ちょうどを見つけてゆけば、自己ベストが分かってくる。

調子がよくないときには、調子がよくないなりの、ちょうどというのがある。妙な規制をかけて萎縮する必要もないし、低調であることをうらみがましく思う必要もない。
調子がよくないなりのちょうどで過ごせば、けっこう調子よく快適に過ごせるものである。

どんなときにも、ちょうど、ちょうどと、ちょうどよい加減を渡り歩く。
それで何一つ困ることはない。嫌なこと、困ったことというのは、どこかに何かの過不足があるということ。過剰もなく、不足もないところを渡り歩けば、そのときどきに許された、一番生き生きした自分でいられる。それが長期的にも自己ベストである。
けがをしようと老齢になろうと、どんなときにもそのときどきの、ちょうどちょうどの自己ベストを見つけながら生きてゆきたい。


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自分のピッタリを見つけて常に自己ベストで過ごす-操体法で加減を知る(福岡操体法スタジオ)-
2011/09/12(Mon)
ストレッチもジョギングも、翌日の体に何かを残す。その感じが体によいことだと私は思っていた。ストレッチはいつもより背伸びして「もうひと押し」する。体操は弾みをつけて頑張れるところまで腕を伸ばし足を上げる。「体によいこと」がなかなか続かず、だんだん苦しくなってくるのは「もうひと押し」や「弾みをつける」のもたらした結果だが、ここで今度はどこまで我慢できるかと根くらべしてしまう。

食事の制限もまた同じ。生活の改善はいつも「やりすぎ」と「やらなさすぎ」とのあいだを振り子のように往ったり来たり。私は子供のころから何でも「さあやるぞ~」とやりすぎる。やりすぎて頑張れば「もうダメだ~」で終わるのは時間の問題だというのに、「もうダメだ~」をいかに先延ばしするか、根くらべの我慢大会になってしまう。

そんな自分だったから、「自分のちょうど」を知って、「自分のちょうどで生きる」というのは消極的な響きがしないでもない。操体法は自分のちょうどを見つける。そのときどきの自分に「ちょうどだ」と思うところを加減する運動療法が、操体法。
一念発起で「やるぞ~」と頑張って、くたびれたら息切れして、終わりというものではない。最初のころは少々刺激が不足しているようで物足りないと感じていた。
物足りないくらいが、続けられる。翌日に何も持ち越さない。それがいいのだと分かるのには時間が必要だった。

ヤドカリっていう生き物をイメージしてみる。自分が小さければ小さい殻をさがしてもぐる。大きいときには大きい殻に入る。それが「ちょうど」ということである。ヤドカリは、自分に合わない殻はいつでもさっさと捨てる。いつもいつも大きい殻にばかり入りたがるのは愚かである。
小さい殻がピッタリのときは、そのピッタリが自分のベスト。大きい殻がピッタリのときもあれば、小さい殻がピッタリのときもある。自分のピッタリさえ見つけてつなげてゆければ、いつでもベストな自分でいられる。
操体法のおかげで少しは知恵もついてきたか、ヘタれて疲れてロスをつくる無理無駄パターンと、いつも気持ちよく持てる力を出し続けるベストをつなげるパターンと、どっちがいいか、よ~く考えてみることにしている。

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邪魔な目隠しを取っ払い、自由に歩ける力強い歩みを取り戻す-九州・福岡操体法スタジオ-
2011/09/07(Wed)
最上の答えは自分の中にある。迷いがないとは、自分にとって最上の答えがいつでも必要に応じて湧き出てくること。他の誰に何を言われようと、へいちゃらだということ。

自分の答えは自分にしか分からない。自分にしか分からない答えだのに、自分に分からなくなっている。そこが大問題。人に教わらないと分からないということほど不安なことはないからである。

目隠しして歩く人には次の一歩に水たまりがあるか、深い穴があるか、安全な地面があるかは、踏み出さないと分からないのである。
親切な人がそばにいてくれて「さあまっすぐ進んで。大丈夫だから」と声をかけてくれるとしても、自分の目で見ない限り、こわごわと足を運ぶしかない。

人に指示されながら生きるというのは、こわいこわいと足を運び続けるしかない、ということだ。
もしくは「めくらめっぽう」と言われるように、一歩足を踏み出した先に水たまりがあろうと深い穴があろうと、動けなくなるまでお構いなしで通していくか。

情報というのは互いに矛盾しあう。専門家の意見も一致することはないのである。情報も知識も人の意見も、目隠ししたまま歩く人の不安や心配をぬぐうことは、まずないだろう。

自分の人生を闊歩して歩きたいときは、まずその目隠しをはずす。一気にはずせないときは、ぐるぐる巻きの包帯をゆっくりはがすみたいに、少しずつでもはずしていければじゅうぶん。
自分の目で見る以上に安心なことはないのだから。

視力がおとろえているときは視力を改善する。改善に改善を重ねてゆくにつれ、ものごとがクッキリと見え、不安はみるみる減ってくる。水たまりに足を突っ込んでも平気だ。「水たまりに突っ込んだ」と分かればいい。浅いのか深いのか、いちいち訊かなくったって自分で分かる。深い穴に落ちそうになったら、「深い穴に落ちるぞ」と体勢をととのえることだってできる。自分自身で対処してゆけることが一つ増えるごとに、自分の目も鍛えられていく。

あなたに代わって専門家や周囲の人々がそれぞれに「そこは水たまりだ」と言ったり、「いや湿地だ」「底なし沼だ」「海だ」と言うのにいちいちつき合っていくのか、それとも自分の目で確かめるか。
あやふやな足取りで歩いていくか、少々の困難もものとせず、自分で乗り越えてゆく覚悟で歩んでいくか。
それを選ぶのもまた、自分自身。

操体法は身体感覚を中心に据えた運動療法である。身体感覚のトレーニングは自分の中の答えが必要に応じて湧きでてくるための訓練でもある。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、一生役に立つ運動療法です。
自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
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教わる方も教える方も「試験に出るから覚えよう」で済ませてきた -九州・福岡で操体法を学べます。お問い合わせ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)まで-
2011/09/06(Tue)
受験勉強とは仕方なしに教え、教えられるもの。その「仕方なし」の材料に味つけし、煮たり焼いたりして「これなら自分たちでも食べられる」と喜んでもらう。それが私の長年の仕事だった。

しかしどう腕をふるっても、「自分の伝えたいのはこんなことだろうか」という違和感は残る。
教える内容を決めるのは、教える自分自身ではない。国や学校から持ち込まれる素材でいかに腕をふるうか。調理することそのものだけを楽しむほかに道はなかった。
文部科学省の決定が、私という人間を通じて外に伝わってゆく。勉強を教えるというのはそういうことだ。教えることを続けたかったら、教える内容にはこだわらないことだ。
それは受験生も同じこと。教わる内容にこだわらず走り続けるのが「勉強」の定義。

厚生労働省の指導や医師会のガイドラインに従って医師が保険診療を行う。それも似たようなことではないかと感じる。内容のことはともかく試験に出るからには、ここはとりあえず憶えようと号令をかけられながら教師が育ち、医者が育つと言えば少々言い過ぎだろうか。

「自分が伝えたいことはこんなことじゃない」と十数年鬱積していた思いが、今、操体法の講習の一つ一つとしてかたちをとっていると思うことも、ある。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、一生役に立つ運動療法です。
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人体はまさにミクロコスモス。果てしない宇宙がそこに広がっている。
2011/09/05(Mon)
一対一で向きあう空間の中で、ともに体を動かして、動きにともなう感覚に耳を澄ます。感覚の発見「わ?」。驚きの「おっ?」の声が、思わずあがる。それが操体法の施術であると私は考える。
一か月、三か月、一年と、同じ空間を共有しながら体の声に耳を傾けることで体の個性、体の歪みが発見されてゆく。どこからともなく、ここが、こうで、あそこのところが、ああでと、課題が分かってくる。
「体の歪み」とカンタンに言うが、カンタンに分かった一つの答えでおしまいではない。やっていけばやっていくほどに、先へ先へと分け入ってゆく。
人体はミクロコスモス。果てしない宇宙がそこに広がっている。
どこまで連れてゆけるか。それは案内人である施術者の力量とも関係してくるだろう。

開放された空間で、いろんな人といっしょに体を動かし、たくさんの「わ?」「おっ?」に囲まれる。それが集団講習であると私は考える。みんなの驚きと感動に包まれると、分からなかった感覚が、急に分かったりすることがある。体の声が、はっきりと、よく聞き取れたりもする。どこまで飛んでゆけるか。それは自分自身の力量しだいである。

個別の施術と、集団の講習との両方が補い合って、車軸の両輪のようにうまく回ってゆくことで、道が切り開かれてゆく。

一言であまりにもカンタンに「未病を治す」などと言う。
あまりにカンタンに「体の歪みを改善する」と言われる。
もちろんカンタンだと思うから、気軽に、カンタンに、取組むということもある。最初はそれでよい。それしかない。
だんだんとやっていくうちに、気づきがあり、好奇心や冒険心がわき、「未病」という本当の意味、「体の歪み」という本当の意味を考えるきっかけをつかむことも、あるのかもしれない。
ほんものに対する好奇心が広がりを持ち、考察が深くなってゆけば、それだけ真実に近づいてゆくことになる。
真実は、ミクロコスモス。果てしのない宇宙の広がりである。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、たいへん役立つ運動療法です。
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年月でそこなわれることのない、心身のみずみずしい感覚を取り戻す―九州・福岡で毎週講習会を開いています。-お問い合わせ freeyourself.sotai@docomo.ne.jp
2011/09/04(Sun)
あのあと数日間というもの、子供のころに戻ったような軽さで過ごすことができたんです。身も心もあんな元気で楽しかったことは本当に久しぶり。こんなことって、あるんですね。
三日間連続で操体法プライベート講習を受けていかれた方が、体験を報告してくださった。

年をとるうち少しはなんでもダメになる、落ち目になるという年のとり方を、自分の生き方にしたくはない。年を重ねるごと光り輝くものを持っているという生きかたを、自分は操体法を通じて開拓していこうと考えている。


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今は使い捨て文化が主流。年をとった人間も使い捨てにされかねない。しかし「自分は老いぼれだ」と、自分の人生を自分で使い捨てて、それから先どうするというのか。
昔はほんものの「長老」がいた。「老いぼれ」と「長老」はどちらも年を重ねているが、似て非なるもの。どっちをとるんだと訊かれたら、私は長老的生き方を目指す。

今年の夏は自分にとって収穫の多い夏だった。
老化におかされることのない、一点のくもりもないピュアな自分。子供のときの心身の感覚を、自分の中で確認することができた。
たとえ少々の不具合や不都合を体にかかえていても大丈夫だったのだ。感覚神経の働きを十全にしてゆくことで、軽快でピュアな感覚を損なわずに年を重ねることも可能。ピュアな感覚で最後まで生き切るということも可能だということを自分の中でつかんだ。

自分に永遠に失われてしまったと思われていたもの。若さ、心身のみずみずしい感覚が、私の中で再びよみがえる。年月の重さなんて一気に飛び越えてしまうピュアな自分を、実は私たち誰もが持っているのである。自分の中で体験されたこの感覚を、私は忘れないようにしよう。そして伝えていこう。「私も若かったらねえ」なんて妙な弁解は全く不要で生きていけるということである。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、たいへん役立つ運動療法です。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。

※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円人。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下)
    またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)
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夏の疲れに熱々の番茶―九州・福岡で毎週講習会を開いています。初めての方もどうぞ体験してください。お問い合わせ freeyourself.sotai@docomo.ne.jp―
2011/09/03(Sat)
冷蔵庫で冷えたもの、氷を浮かせたものをいただくたび、内臓は直接に冷える。汗は全身の体温を奪って妙に冷える。夏の暑さと同時に強く冷やされたら体も休まる暇がなかろう。
「クーラーは適度。過剰に浴びてなんかない」と口々に言われるのであるが、八月終りごろからカゼの症状を呈する方が増えてきた。冷えでやられているのは明白である。
当方は川遊びに興じる日々が続いたあと、背中が硬くなっていると指摘された。今年の暑さは史上4番目と聞くが、暑いと感じることもないまま九月に入ったから、体調も気分もこの上ないとはいえ、冷えているのだろう。川の水の冷たさ、恐るべし。

朝晩の熱い番茶がおいしく感じられる。梅干としょうゆに注いで、藻塩を一つまみ。生き返る。
ごま塩も、残暑対策に活躍する。食事の友とされてはいかがだろう(ごま塩のつくり方についてはこちら→[http://blogs.yahoo.co.jp/soutaiabc/35079806.html 「この夏は金黒のごま塩で乗り切ってみようかと思う」)


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どんなに大きな相手でもラクに調整・どこまでラクにできるのか-九州・福岡で操体法の教室に参加される方を募集しています-
2011/09/02(Fri)
「小さな体格の女性でも、お相撲さんクラスの大きな男性を指一本で調整できる。それが操体法なんだ」と言われたことがある。周囲の誰もが本気にしなかった。誰も本気にしないことばかり言いたがる人のように私には思われた。

わけも分からず通っていたころ耳にしたことが、ついさっき聞いたばかりのようにはっきりと耳の中で再生される。今では宝もののような教えの言葉の一つである。
男性と操体法をやったあとは必ず、「高見山級のでっかい男も操体法じゃあ指一本さ!」と話す師匠の笑顔が浮かぶ。操体法に取り組むうちにウソでもおおげさでもなかったと、確信していくようになった。ここまでくるのに二十年近くかかってしまった。

とはいえ、まだ「指一本」ではない。男性が来ると、プロレスやるぞ~、さあこい!っていうモードにスイッチが入る。全身の動きがおおぶりになり、てこの原理をじょうずに使いこなしているようだ。自分のことを「ようだ」というのも妙だが、体が勝手に動くのをもう一人の自分がはたで見物しながら「ほう~そういうふうに動かすのね。うまいことやるじゃない」と半分感心しているような状態。やったあとは、「ああ楽しかった!」とすがすがしい気分である。取組んだ相手によって自分の状態がいろいろなのはよくないことかもしれないが、おおぶりの体と組んだときは、また独特の高揚感が感じられる。これがもっと冷静に、「指一本でちょちょいのちょいだ」というようになる日も来るのだろうか。
相手が女性でも、体格が小さくても、弾力のある筋肉の持ち主が相手でも、さすがに「指一本」の域には達していないと感じる。施術が終わるたびにそのことを思い、「指一本」の領域に一歩でも近づきたいと願わないことはないのである。

およそ168センチ55キロの私に対し、男性は180センチ付近100キロ前後の体格が多い。140キロ付近の方もいらっしゃる。その上、概して男性の筋肉は女性のそれより硬い。「はあ~~」っと思わずため息がもれる時期もなかったわけではないが、次第に体が平気できびきび動くようになった。今は施術が終わったあと、むくりと起き上った男性が「わ。からだ軽い」とつぶやかれたりするのがとくにうれしく感じられる。大変ありがたいことである。

教室で体の調整を習いに来られる女性の場合、ご家族とくにお子さまや夫、御父母さまにやってさしあげることも多く、「主人はからだが硬い」などと心配されるとともに、「男性は筋肉がかたいうえ体格が大きいからたいへんだ、こっちのほうがへとへとになる」という声もよく聞かれる。
しかしやりにくい相手と組むと小手先のごまかしがきかないぶん、自分の体の使い方を工夫するので技術向上のチャンスとしたい。もちろん、やり方をまちがえば自分のほうがやられる。そこをアマチュアとプロの境界線と心して、ムリ・ムダのない体の動きに関心を寄せてほしい。

お教室には体格が小さい方も少なくない。私より小柄でひ弱そうな方でも、力に頼らない体のあやつり方を一つ一つ考えて、できるようになるまでお手伝いするのが私の役目。圧痛点を押さえながら離れたところに抵抗をかけるという場合には、手が届かないということもあり、目下の課題の一つともなっている。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。身につけやすく、たいへん役立つ運動療法です。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
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