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「あるがまま、ありのままの自分」を好きでも嫌うでもなく
2011/08/14(Sun)
「悩み苦しみ欠点だらけの自分。そんなありのままの自分がけっこう好きです」という言葉を最近よく聞く。どこかで流行しているのだろうか。
「好き」と「嫌い」は一枚のコインの表と裏。感情というのはあてにならないし、感覚は移り変わる。大好きと大嫌いとの間をいつまでもさ迷い歩くようなものだ。

ありのままの自分といっても、「ありのまま」がカンタンではない。調子のよいときは「こんな自分がけっこう気に入ってる」などとも言えようが、肩がうずいて眠れない夜も、膝や腰が痛くてどうにもならないときも、「これがありのままの自分だから好き」を貫き通すというのなら大したものだ。
「あるがまま、ありのままの自分」とは、「たとえ自分がどんなになろうとも」「たとえどんな自分が今の自分から飛び出てこようとも」ということだろう。
「自分にとって都合のよい自分」と、「自分にとって都合のよくない自分」を区別して選んでいては、「あるがまま」とはいえない。わざわざ「ありのままの自分がけっこう好き」などとと自分自身に言い聞かせる必要もない。

施術とは、これは自分だとかこれは他人だとか、これは身内で、これは知らない人だとか、まあそういう区別をしていてもしょうがない現場である。
目の前にあるもの、目の前に出てくることに集中したいとき、好きとか嫌いとかはむしろ余計な感情である。好きとか嫌いとかからは、ちょっと離れたところがいい。好きでも嫌いでも、どっちだってかまわないなっていうところが自分には一番現実の感じがする。
もちろん人間だから、好き嫌いの感情とまるきり無縁ではいられないのだろうけど、むしろ邪魔になることのほうが多いから、余計なオマケだと考えておく。

若いころは自分が好きか嫌いかを、ものごとの中心に置いていたように思う。自分にとってどれだけ都合がよく、自分がどれだけうれしくなるか、そういうフィルターを通してしてしか人間が見れない。そんな傾向が強かったように思われる。そして結局はそれが視野をせばめ、自分自身とてもつらくなっていくのである。
いろんな人と共に歩んで生きていくことを、操体法を通じて少しは学んで身についてきたろうかと思う。


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