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自分の中に咲こうとするつぼみがある限り
2011/08/10(Wed)
真ん中からはじけた光の筋が、飛び散ったような花弁。夜明けの空を思わせるオレンジ色の花がブナ林の下草を覆い尽くしている。見渡す限りの花、花である。

ヒガンバナ科の花の群生を目当てに山に入ったが、見ごろを過ぎていた。
にょっきりと地中から伸びた茎は重なりあってギシギシと音を立てそうなくらいに密生している。
ここらは初夏には長い葉が茂り、畑のようだった。やがて葉はいっせいに枯れ果てる。数週間後に花が咲くとは信じられないほど完全な枯草となる。

花は見ごろを過ぎていても、自分の体と気分がのってくるタイミングが山歩きの好日である。花は色が薄らいできて、肌色というか淡い色合いのオレンジになっている。すでに丸い実を結んでいるものもある。そんな中に遅い開花であるが、今を盛りとばかりに咲いている花たちもある。あちらこちらに鮮やかなオレンジ色を炎を灯し、すっくりと立ったその姿は神聖なたいまつのようにも見える。

遅咲きの花もまた、なかなかに立派だと思った。
早く早くとつぼみをつけ、急いで開かせることもいらない。
美大受験の予備校にいたときは私の目の前で友人たちがどんどん合格していったし、文学でも同じ教室の仲間たちが先に賞をとっていった。操体法だって自分より十歳以上若い人たちが先に開業していった。
「もう自分はダメなのかなあ」とあきらめかかっていたのが交通事故にあい、さらにもっとダメになったと思った。しかしそれが契機となったのだから人間わからないものだ。

群生全体が終焉へとさしかかる季節の中で、遅咲きの花たちは妙に目立つのだった。早咲きの花たちが疲れを見せてくるのを見計らったかのように、地中から茎をのばし、つぼみをつけ、一気にはじけてオレンジ色の炎を吐き出している。みんながお年寄りになってゆく日本で、早咲きだった人も花を咲かせないままだった人も、活力をたくわえて咲かせられる花があるのだと思う。早咲きが圧倒的に注目され、話題となる中で、いつの間にか「年をとったらダメになる」という考えをどこかで植えつけられていた私ではあるが、自分の中には咲こうとする力を持ったつぼみがまだいくつもあることを確信する。いくつ咲かせられるか。遠慮せず自分のペースで咲かせてゆきたい。


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