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どっしりかまえて体と向き合えば、絶対的安心が、そこにある
2011/08/03(Wed)
知人の夫が急に意識を失い、倒れたとき、考えられる限りの検査でも異常は見つからなかった。倒れている人間も正常になる。検査の世界にはそういうこともある。
検査検査で半年も通院したあげく、原因不明ということもめずらしくない。

生命の働きのうち、検査で調べられるのはどのくらいのことなのだろう。
私は足に大きな内出血が何度か続いて、大きな病院に行ったとき、「女性の内出血なんかに、いちいちかまっていられるか」と一蹴されたことがある。
「内出血を前兆とする病気? そんなのいくらでもあるよ。それをぜんぶ検査しろっていうのか、冗談じゃない。半年、一年かけても終わらないんじゃないの?」とまくしたてる。
「困った症状が出たら来い。こんなことくらいで来られるから、こっちは忙しくなるばかりだ」。

「困った症状が出たら」では、未病は治せない。そして困った症状が出ても、治せないことばかりだ。
検査で調べた数値で、生命の働きが分かるとカン違いしてしまう。しかし検査とは、生命という大海原からコップ一、二杯の水を汲む以上のことではないのではないか。

ふだんからきちんと、ふつうに自分の体とつき合ってみるといい。
半年や一年などではない。一生、生きている限り、体は変化し続ける。その変化に寄り添うように、体とつき合ってみてはどうだろうか。
生命の営みの、波の音の変化が聞き取れてくる。うねりや、深海に流れる海流のことなど、いろんなことが、しだいに手に取るように感じられてくる。
病気のときも、あるだろう。しかし大抵のことは生命の働きで回復する。
回復せずにそのままになるか、回復して元に戻れるか。そういうことも、きちんと分かるようになる。

分かればあわてずに、済む。そこに絶対的安心がある。

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