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教えられるのではなくて、感覚の積み重ねで身についてゆくこと
2011/08/01(Mon)
弟子入りというと最初は下働きと相場は決まっている。絵なら絵、剣術なら剣術をすぐには教えず、まずはお掃除などの雑用。
洋の東西を問わないのか、子供のころ読んだ魔法使いの弟子も、雑用にうんざりしてこっそり魔法をおぼえたのだった。それがやがてとんでもない失敗につながるという話。

「あれ? Nさん、圧痛点の探し方が的確ですね」。他の講習生が意外そうな声を挙げる。
Nさんは講習に参加して日が浅い。だのに圧痛点にかける力加減がまずまずだった。「やっぱりなあ」と私は心の中で思う。
Nさんはひどいムチウチ症で施術に足を運ばれていた。無理なくできる操法が見つからず、これもダメ、あれもダメ。右へゆくとここがチョット突っ張る、左へゆくとチョット苦しい。「ほんのチョット、なんですけどねぇ」遠慮勝ちに仰るのを、「いやいや、そのチョットがだいじなところです」と私は受ける。チョットチョットを尊重しながらの、集中を要する施術である。

Nさんは判で押したようにきっちり通われた。遠方だから、あの体調では苦しいだろうと思ったけれども、張り詰めた表情で予約をとられるので、お互い真剣勝負のような面があった。
最悪の事態を抜け始めたころに、一言、「わたし講習にも参加したい」とNさんは仰った。

「まああれだけの施術を受けられたのだから」と私は思ったのである。
私自身、講習でおぼえたのではない。ただよく見て、よく感じ取ろうとした体験があっただけだ。もともと私は学校というところがダメ。授業形式ともなれば条件反射でアクビが出る。情けなくなるほどの全身虚脱の状態。今でこそ講習を受けるも主宰するも、目玉をキラキラさせて取り組んでいるが、その前段階で施術を受けていた頃に、しぜんに体得した感覚が自分のベースにはあると思う。

よく図書も読んできて、ふだんも家族や身辺の人の体で練習をしている熱心な講習生もいるし、過去の私のように施術を受けるだけで参考図書も手にとったことがない方もある。
操体法のリクツを話すと、よく話ができる人もいれば、話せない人もいる。人の体に関心があったり、自分の体にしか関心がなかったり、とまあ状況も目的もいろいろなんである。
しかし実習ともなるとそういうのは一切合財関係ない部分も見えて、それがまた面白い。
ご本人の、体での体験。感覚での体験。これが全てではなかろうか。
施術を受けている間というのは、感覚の集中トレーニングを受けることになる。重症であればあるほど集中力が要求される。講習一年生より二年生、三年生と、年数も幅を利かせてくる。

こっちはそういうことを眺めて面白がっているが、面白がってばかりもいられない講習生もいるだろう。
他人さまを実験台にするだけで、自分の体をかえりみないというのは、まずい。非常に、まずいのである。
ご自身の体、筋肉の状態が、取り組みの全てを物語っている。まずは自分の体を実験台に、感覚のトレーニングを積まれることをお勧めしたい。


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