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九州は福岡で施術を受けながら操体法が学べます-あなたは誰に助けを求めるか-
2011/08/31(Wed)
助けが必要なとき誰に助けてもらうか。選ぶ余裕もないかもしれないが、困ったときほど人を選ばないと結果は得られない。

交通事故で問題がこじれたとき、誰に助けを求めればよいか分からないまま、あちこちに足を運んだ時期がある。数名の弁護士さんに話を聞き、役所のほうでも担当の方と会い、知り合いの病院長や、大病院の各科の医師にも相談、利害関係のない保険会社の方にも話を聞いた。
知り合いだったり初めての方だったり。親切な対応で、よいお人柄の方ばかりであった。しかし意見のほうはてんでバラバラ。どうすればよいか分からなかった。その中で、しばらくアドバイスを続けてくれたある方の言うことが現実によくあてはまり、的確ということが次第にハッキリしてきた。今振り返ってみると、その方以外のアドバイスを受け入れていたら、とんでもない結果が待っていたのである。

「助けてあげますよ」と声をかけてくれた親切そうな人についていっても、親切ということと問題解決はイコールではない。何が親切で何が親切ではないかは、時と場合によるということかもしれない。
つきあいやすい友人をさがすのとはわけがちがう。親切で人柄がよいというのはもちろん理想的ではあるが、それでは当然、役に立たない。助けに飛びつくことなかれ。自分自身の判断力をフルに働かせ、よくよくお気をつけなさいということだ。

操体法の講習に参加して、これから人の役に立ちたい、人の助けになりたいという立派なお志を持つ方は、立場をかえて考えてみよう。療術は親切と少し似てはいるけれども、実はかなり違うたぐいのものでもある。そこから何が見えてくるか。今の自分が何を学べばよいのか、課題が見えてくることだろう。


※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、自分にとって気持ちのよい動きをちょうどよい加減で動くことで、心身の回復をすみやかにする運動療法です。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたも始めてみませんか。
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救う身と救われる身とが同時に救われる。それが困難をチャンスに転じるのである。
2011/08/30(Tue)
苦労や困難というのは不思議なもので、逃げれば逃げるほど恐くなる。
一歩自分から踏み出せば、さほど恐いものでもなかったりもするのである。
生活が便利になるというのは、生活のあらゆる場面から魚の小骨でも抜き取るように、苦労や困難が取り除かれることだから、私たちの生活全体が「苦労は買ってでもしろ」という発想の流れと逆の方向を目指しているともいえる。
生きていれば苦労や困難はつきもののはず。しかし夏に暑いのは当たり前が、いつの間にか暑い夏というものそのものがうとましい。苦労や困難のあるほうが異常事態というカンちがいが出てくるのである。こうなると、生きていることのうとましさは募ってゆき、それこそ自分の首を絞める事態となる。

苦労や困難はサイフから金を出してでも引き受けるというのは割に合わない話と思われるかもしれないが、よくよく考えてみれば勇ましい精神、前向きな姿勢そのものである。ひょっとすると、割に合うことだってあるのかもしれないと思われてくる。
苦労や困難からフリーになると我々すぐに油断をしてしまう。のど元過ぎれば何とやらで、スッカリ忘れていい気になるのである。
しかし周囲を見渡せば苦労や困難にあえぐ人はいくらでもいる。
自分の身を犠牲にするというところまでいかないにしても、何か一つくらいできることはあるだろう。せめて「どうしたのですか」と一言声をかけるくらいのことでびくびくすることもあるまい。
自分の悩みに埋没している人というのは、深刻に悩み苦しんでいる。自分の悩みで周囲が見えず、ある意味ワガママの結果ともいえる。もちろん私自身、例外ではない。周囲の苦しみが見えなくなっているぶん、苦しくなるのである。

「自分より不幸な人もいる」とか「あなたより不幸な人はいくらでもいる」とかいうような言葉はよく聞かれるが、的をはずしている。交通事故で闇に放り込まれて間もないころ、「あなたより大きな不幸を抱えている人など世界中にいくらでもいるじゃないの」と鼻先で笑う大病院の精神科医もいるということを実際にこの身で体験してみて、私はそう思った。
悩みを互いに比較して「こっちはあっちより大きい」とか「どれが一番小さい」とか測って決めることなど誰にもできはしない。そうではなくて、苦労や困難が互いにあるからこそ、共に救われる、一緒に乗り越えてゆくということができる。救う身が救われるということもそこで実現されることを思えば、互いの人生や体験を豊かにできるチャンスとすることもあり得るのである。

操体法は、施術してもらう人と、施術する人とが同時に救われる運動療法である。
お金を払った側のほうが改善するというのはめずらしくも何ともない。しかし施術する側は、お金をいただいた上に、体のほうも気持ちよくなり改善されるというのだから、わけの分からない話だろう。
操体法では、気持ちよい方向になめらかに動いて、じわーっとタメをつくり、全身で脱力するということで、体に備わった修復力が発揮される。動く本人の動きに、誘導し支える術者がまきこまれるわけであるから、やりようによっては術者は相手の動く方向やタメの力を利用して、自分自身も気持ち良い動きでタメをつくり、全身脱力を実現することも可能なのである。
さらにいうと、それが施術してもらう本人と、施術する術者とが、共に心地よい動きと脱力を実現することが、最高の出来栄えともなるのである。

ほかの療術で術者が体調をくずしたり、故障をかかえて職業病として苦しんでおられる方もめずらしくないが、操体法ではやり方が正しい限り、そのようなことはあり得ない。働けば働くほどラクになるということはある。こんな施術が他に考えられるだろうか。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
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暑い夏の後半に、あらたな英気を養う楽しき宴
2011/08/29(Mon)
寄せては返す笑いの波が、室内に心地よく響く。ほんもののお料理と本心からの会話とが互いに手を取り合うようにして軽やかに進んでゆく。操体法というマグネットに引き寄せられてきた人々との交流が、これほどまでに楽しいものになろうとは。まったく夢のような一夜だった。

懇親会をやりましょうという一人の提案が、8月27日にかたちになった。
およそ会合のようなものには慣れない身で外食もしないし生臭物に抵抗はあるしで、心からくつろげる安心な場所はないものかと、しばし思案。生来気は小さいくせに、希望者があればたいがいのことはかなえたいという基本姿勢だから、何をやるにも一つ一つが大げさなチャレンジである。

幸い、福岡市中央区城内の閑静なたたずまいのお店「花ふさ」さんが救って下さった。私の心の中で花房さんご夫妻は自分の叔父叔母、いやそれ以上の存在。大学時代から二十年以上にわたり、長くお世話にもなり、大いに刺激を与えて下さる存在である。このたびの福岡操体法スタジオ第一回懇親会では十数名のお食事のことを快く引き受けて下さり、感慨深いものがあった。夏の緑が目にしみる一軒家のお部屋に迎え入れられ、のびのびと過ごせる場を得られたのはまったくの幸運であった。

植物の実力を感じさせる、正真正銘の精進料理である。私はちょっとご無沙汰していたので油断があった。またさらに腕に磨きがかかって進化されたのも確かなことだろうが、以前からこんなに素晴らしかったのを未熟な自分の感覚がきちんとキャッチできていなかったのかもしれないとも思う。

滋味豊かな味わい。体に英気のみなぎるお料理を囲んでの座談会・交流会である。盛り上がらないわけはない。「自己紹介!自己紹介!」との声があちこちであがる。お一人お一人が語りたいことをたくさん持ち寄られているのである。操体法との出会い。今後の希望や夢。質問が自由に飛び交い、さわやかな笑いがはじける。
何気なく口に運ぶ料理の一口一口が静かな感動を呼びさまし、周囲の人と目を合わせてほほ笑まずにはいられない。自然の営みを尊重して育てられたお野菜である。そしてお料理に真摯な思いを一貫してこられたご夫妻である。操体法を語る場にこれ以上の料理は考えられない。
自分たちの目指す操体法も、こんなふうでありたいものだ。

またいつか集まる機会を持ちたい。今回参加できなかった方、次は参加したいと思った方、ぜひご一緒に楽しいひとときを過ごしましょう。


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みんなで一緒に救われたい。みんな一緒に成功したい。
2011/08/26(Fri)
誰かが成功するということは誰かが失敗するということ。受験で合格した人がいれば別の誰かが不合格ということ。勝者と敗者。競争社会の基本はそういうことだろうと思う。

競争社会で生まれ育った私であるが、操体法をやっているうちに、「みんなで一緒に救われる道がある」と思われてならないのである。みんな一緒に成功するっていうことも、あるんじゃないかと思えてくる。うまく説明できないのだけれど、共に救われたい、共に成功したいという気持ちが、ただただ湧いてくる。
操体法スタジオの講習生の方々が活動できる場を提供したい、と思う。
スタジオの中に、操体スクール部門と、施術部門とを創設し、スクール部門で講師として教える活動をしたい方や、施術をやりたいという方のための環境をととのえたいと思うのである。
最近そういうビジョンが次第にはっきりしてきた。自分の活動の方向は、こうではないのかな、と思われることが多くなってきたのである。

人生五十年といえば、もう私は人生が終わっている。そう思うと逆に、これからの自分は何でもできると思われてくる。
これまでの自分の人生を、なぞるような生き方はご免だ。
夢、なのかもしれない。しかし夢も実現させれば現実。
腰の重い私だが、さあこれからどうする。どう出るか。
趣旨にご賛同いただける方々と共に、歩んでいきたいと思う。


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外で元気よく走りまわる犬みたいな気持ちで過ごす時間を大切にしたい
2011/08/25(Thu)
高度医療、健康法、節制といろいろあるのだろうけれど、山や海や川に出て太陽を浴び、風にさらされて気持ちよく過ごすのは、心身の健全な働きを支えるベースではなかろうか。
今年の夏は水浴びと日光浴に目がくらんでいる。毎朝よく飽きずに川遊びに出かけている。こんなに元気な夏があったろうかというくらい、夏を楽しんでいる。

朝に水を浴びるのは気持ちがいい。海か川が近所にあれば最高だろう。川はある。昔の人はこの川に入ってよく遊んだと聞くが、今ではヘドロの臭気が漂い、誰も入れない。しょうがないのできれいな川まで車で移動する。魚が泳ぎ、羽黒トンボやオニヤンマが飛び回り、鳥のさえずりが絶えない川辺だ。一時間たらずの水浴びと日光浴が今の自分に考えられる最高のぜいたくである。

川遊びに興じるようになると、どうしても食事の時間がとれない。「さあ出かけよう」というときに、「いやまだ朝ご飯食べてないし」とか、「お昼はどうする」などと考えていては出そびれる。食事は私にとって生活の鎖なのだ。しかし散歩に出かけようと勇んでいる犬に何を言ってもムダである。ご飯がどうのということも大切なのかもしれないが、それでモタモタしていれば、川のせせらぎにつつまれた水浴びも日光浴もあきらめなければなるまい。

「寝食を忘れて」という言葉があるが、食べるだけは食べている。食事が少々後回しになるだけのことである。もしも食糧や水に窮乏する生活だったら、朝から晩まで食べ物のことで頭がいっぱいの生活になるだろう。寝食を忘れるというのもこれまた大変なぜいたくである。
心も体も食べ物という鎖につながれていたら不自由だ。一日三食では身動きがとれなくなる。日中の活動時間に食事をとっていては一日中食べているのと同じようなもの。朝と昼の食事をやめたら、一日の時間の流れがずいぶんゆったりと流れるようになった。疲れて腹ぺこになるから毎日の食事も楽しみである。
体の調整は体の調整でよいのだけれど、外で元気よく走りまわる犬みたいに過ごす時間も生活の中で忘れられてはならない要素だとあらためて思う次第である。

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さっぱりした顔で、「いっそやらないほうが安心だ」と言ってみる
2011/08/23(Tue)
分からないことだらけの中を分からないまま、あいまいなままで生活を送っているのである。予防接種にしても抗がん剤にしても、使う・使わないのどっちにころぶかは、そのときの風まかせという人が、私の周囲には圧倒的に多い。一歩まちがえば転落する崖の上を、そうとは知らずに歩いている。見ていてそんな感じがする。

「学校で予防接種を受けるよう指導されて心配なんです。なんか、よくないこともあるんでしょう?」と訊かれ、「心配なら、受けなければ?」と私。
「でも、みんな受けているのに自分だけっていうのはできないって子供が言うんです」
「まあその年齢なら難しいかもね。すぐ死ぬっていうこともないだろうから、受けたいって言うなら受けさせれば?」と突き放してみる。
「いや、でも心配です。よくないことも、あるんじゃないんですか?」「たとえば、どんな?」「だから副作用とか」。
「あなたがそこまで言うのなら調べてみようか」。分からないなと思ったら。不安だなと思ったら。まずはきちんと事実関係を調べればよいのである。調べるうちに判断がつくられてゆく。調べなければいつまでたっても深い森の中をさ迷わなければなるまい。

「あ、でも、期限があって今なら無料でお金いらないんです。無料期間を過ぎると、けっこう高いんですよ」
「本人も受けたいと言ってるし、今なら無料。それなら受けさせれば?」
「いや、でも…いいんでしょうか。受けて」
「さあねえ。私は知らないよ。調べてみようか」

子育て中のお母さんたちは心配ごとが尽きない。私にできるのは両方の意見の資料を集めて渡すこと。判断は本人たちが下すしかない。半月ほど経って尋ねてみた。「結局どうなったの?」
すると、「資料読んでもよくわからなかったんですけど、あんなに考えなきゃいけないことがあるものだったら、いっそやらないほうが安心です」とさっぱりした顔で仰った。
たとえどんなことでも本人たちで結論が出たことがよかった。一件落着。


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自分のことも他人のことも同時に尊重して一挙両得ということ
2011/08/22(Mon)
自分と他人のどちらを大切にするか。迷いは無用。時と場合に応じてどっちかを大切にしていれば、いずれ道は合流する。自分のことと他人のこととが車の両輪のようにかみあってくるのは時間の問題。自分のことを大切にし過ぎると他人のことがおろそかに、他人を大切にしていると自分のことがおざなりになる傾向があると思われるけれども、それはまだ道半ばの状態にすぎないのであって、実際そんな心配は無用なのである。

操体法をやっていると、そのことはハッキリしてくる。
自分の体質改善や健康増進に関心がある場合、まず自分の体のことを中心に取組めばよい。
一人でやっているうちに限界が分かってくる。自分でうまくいっていると思って操体法やっているつもりでも、ストレッチや体操とどこがどうちがうか分からないようなことを平気でやっていたりする。
「自分のことだからいい加減でいいや」と思うからデタラメになる。自分をほんとうに大切に考えれば、自分だけのことを考えていては進めなくなるわけだ。自分の場合はこのケースに入る。

施術に関心が向く場合、まず他人の体のことを中心に取組めばよい。「自分はどこもわるくないから自分には必要ない」と思って自分のことを棚上げにして進んでいくこともあるだろう。
しかし施術の場合、お代をいただけば要求される内容もシビアである。他人の背中が不自然に盛り上がっているのを見たり触ったりして、「この硬さがなかなかゆるまないなあ」などと具体的に分かってしまうので、ごまかしがきかない。他人の体の感覚はわからない点も残るし、相手の時間の都合もある。となると、自分の体を実験台にして自習するしかない。自分の体で納得ゆくまで体と向き合い、自分の感覚を磨くことで、自分の体調もよくなるし、技術も身につく。一挙両得とはこのことで、自分の体験が人さまのお役に立つというわけである。

講習では口を酸っぱくして「重心安定の法則」「重心移動の法則」と言い続けているが、二人操体で補助の役にまわっていただくと、途端に姿勢があやしくなる。肩や腕が力んで腰も引け、「体(たい)をくずしている」状態。これでは相手の動きをしっかり受けとめることはできない。操法の出来を左右する脱力も不十分となる。おまけに体に歪みが入って肩は張ってくるわ、腰はつらいわということにもなる。

補助の役にまわる人も、補助してもらう人も、「ゆっくりなめらかに」動いて、「じわ~っ」とタメて、「バターン」と脱力をするわけである。両者ともに動きに無理がなく、両者ともに体がゆるまなければ本物の操体法ではない。
二人ともが同時にゆるみ、ほぐれるというところが操体法の特徴でもあり、愉快なところなのである。
動きを受けとめる側に無駄な力をどれだけなくし、どれだけ無理のない体勢を得られるか。それが操法の出来を左右する。
日ごろから一人操体に正しく取り組んで、自分自身の体をしっかりさせることを心がけている方は、おのずと周囲の方の指導に多少なりとも関わる日もくる。施術の技術を向上させたいというお気持ちのある方は、自分自身の体をしっかりさせることが大前提ということを念頭におかれ、体をしっかりゆるめておくと間違いないということだ。


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実験動物をお手本にして生きたくはない-診察室・病棟を飛び出す力-
2011/08/21(Sun)
オリに閉じ込められた実験動物がどうなったという話を聞くが、野に放たれた動物たちのほうがよほど元気で幸せそうにしているという事実がある。人間をオリに閉じ込められた実験動物と比較して考えるという感覚が私にはちょっと分からなくなってきている。

化学薬剤のにおいのしみこんだ部屋を子供は本能的に嫌う。用事があっても病院の玄関から先に入らず、玄関先まで来てもらって用事を済ませるという徹底ぶりの医者もいるくらいだ。お茶の水クリニックの院長で自然医学を提唱する森下敬一氏は生命力の低下するスポットの一つに病院を挙げている。

助かった人の体験話を聞くと、病院を逃げ出したエピソードも少なくないように思う。軽い病気だから飛び出してこれるとか、重い病気だから飛び出せないとか、そういうことでもないようで、重い病気でもタイミングによっては這ってでも逃げてくる。そんな話もある。自分で動けるうちに飛び出すかとどまるかを決めないと、周囲が承知せず、協力を得られないとどんなに逃げたくても逃げられないという場合もありうる。気力・体力ともに動けるうちに自分で決めるというのはだいじだ。

事故でムチウチが発症した年は外出する回数がめっきり減って、翌年さらに外出できなくなった。心も体もつらくて先が見えない。それで引きこもっていた。「引きこもりはよいことだ」という意見もあるのは知っている。しかし引きこもる場所というのも問題で、昔は木造の建物が多かったけれども現在は鉄筋コンクリートの建物である。「鉄筋コンクリの建物は短命」という実験結果も知られている。

「山に行かないと」。
つらくなるばかりのある日、「これではまずい、山にでも行かないと」と思った。足が歩けないのに山に出かけてもムダだと思っていたのが、歩こうが歩くまいが、これじゃあ山のほうがいいに決まっていると思った。それでもぐずぐずしているうちにテントを買う機会があった。
買い物などめったにしない私は、高額な買い物の元を取らなければというプレッシャーをかかえることになった。「行きたくない行きたくない」と泣く自分を、「一度だけ自分でテントを開いてみるだけだから」とだましだまし車に乗せ、キャンプ場に出かけていったのだ。

山にいるというだけでも、少しは元気を取り戻せるのではないかという見込みはあったのだが、試してみないと分からなかった。分からなかったことだから出かけて行ったのかもしれない。結果は吉と出た。

今年の夏は、朝早く目が覚め、そのまま車に乗り込み、川辺にテントを張りに行く日が増えた。よく日光を浴びるようにもした。腹を日にさらすのである。全身、気持ちがいいと思えるくらいに十分、日にさらし、暑くてもう嫌だと感じたら川に入る。首まで水につかる。歯の根があわなくなるくらいに冷たい水で十分になったら、岩の上に寝そべり、また日光浴をする。午前はそうやってバカンスに来た観光客のような過ごし方を、した。
それで体をどうしたいということでもない。気分が乗るから出かける。ただそれだけだ。夏の風を肌で感じながら過ごすのが一番心地よいのである。もうこうなったらムチウチなんぞ、どうだっていい。夏という季節を存分に味わうということのほうが大切になってくる。夏の太陽と友だちになって、一日一日をご機嫌で過ごすということのほうが大切になってくる。

ムチウチは完全治癒していない。事故前と事故後とは同じではない。それは認める。しかしその一方で、周囲を驚かせるほどに元気を増している。元気を増した先にこそ、完全治癒がある。今の自分はそう感じている。
腰痛の緩和にはこの体操だとか、食生活はこうすればいいだとか、そういうことをちまちま考えるばかりでは限界を感じる。オリに閉じ込めた実験動物がこうなったああなったという話は片手落ち。オリに閉じ込められた実験動物たちよりも、野に放たれた動物たちのほうが、よほど元気で幸せそうにしているという事実がある。オリに閉じ込められた実験動物と同じ目で人間を見るという感覚が私にはちょっと分からなくなってきている。


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体の変化が分かれば意識が変わるのは時間の問題
2011/08/19(Fri)
「病気ではなく人間を見ろ」と言い聞かされてきたせいか、「こんな病気でこんな症状の人がいて」と相談されるたびに、どんな感じの人でどんな生活を送り、どんなことを考える人なのかが知りたくなる。

操体法や生活の改善が、その人の生活や考え方の中でどう関わりが持てるのか。どんな関わりなら持てそうなのか。そんなことのほうが、よほど大切なことのように思われてくるのである。

「本人はどの程度、治りたいのかな」とも思う。
目先の危機さえ回避されればいいという考えもあるだろう。再発したくないとか、過去に自分がそうだったということも忘れるくらいに徹底した完全治癒を望む場合もあるだろう。
自分の場合は望みが高かった。
病気をするということ、痛みや苦しみが与えられるということは、自分の生き方にまちがいがあるからだという考えに、子供のころからとらわれていた。だから「何としてでも治す」という気持ちも強かった。病気を治すというより、生き方をやり直す、やり直したいという気持ちのほうが強かった。
そうした必死さというのは、病気が重いからとか軽いからとかいうのとは、ちょっと違うものである。

病気や症状のことは、誰かにまかせてしまいたい。そういう考えもあるだろう。
少しは自分で取り組もうという考えもあるだろう。
いずれにせよ、その人なりの操体法との関わりをはぐくむきっかけやお手伝いができるのなら、自分で力になれることがあるのだったらと思うだけだ。

操体法を続けていくうちに、自分で体の変化が分かってくる。体の変化が分かってくれば、体に対する意識も変わってくる。本人が全体的にしっかりしてくるのは時間の問題であると思う。


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病気もけがも、体が生きのびる戦略だという考え方-体内の汚れを洗い出す-
2011/08/18(Thu)
雑巾を洗えばバケツの水は汚れる。バケツの水を汚したくなければ雑巾を洗わないままにすればいい。
雑巾をきれいにしたければ、バケツの水で汚れを洗い出した後、水を捨てなければならない。

体質の改善、老廃物や毒素の排泄というのはそういうことだろうというイメージである。
バケツは体。水は血液などの体液で、雑巾は細胞組織。
日々の生命活動の中で、細胞組織には老廃物などの汚れが少しずつたまってゆくが、ゆとりがなければ汚れたままで日常を過ごすしかない。肩がこる、頭が痛い、体がだるいと文句言いながら、やり過ごすほかはない。

しかしここで血流が改善されるといった好条件が加わったり、「そろそろ雑巾を洗っておくしかない」という時期を迎えると、老廃物や公害物質・化学物質などが細胞組織から洗い出されてくる。体毒は血流に流れ込み、全身をめぐりながら最終的には肝臓に運ばれる。汚れは無毒なものに分解され、外に捨てられる。

老廃物や毒素が洗い出されて外に捨てられる。これがふだんからこまめにできていれば何の問題もない。楽しく元気に過ごせるのである。雑巾に汚れをため込まずにドンドン捨ててゆくほうが、体もラクなのだ。
しかし日々、処理不能なほど多くの老廃物や毒素が体内にあれば、雑巾はドンドン汚されていく。いつか大きく洗い出しするほかはないのである。

老廃物や毒素が洗い出されて外に捨てられるまでのあいだは体調がわるいと感じられる。めぐってはならない毒素が体をめぐり、頭痛やだるさが感じられたり、皮膚表面や内臓におできをつくることもあろう。赤い斑点やじんましん、しつこいセキや季節外れの花粉症のような症状もある。筋肉痛や神経痛。それに結石をつくって排泄する場合もある。
肝臓が処理を終えてしまうまでの間は、どうあがいても仕方がない。どのくらいの時間がかかるかは分からないが、このときにまた薬物などで汚染してしまっては、体毒排泄のチャンスを失う。体はせっかくの作業を中断させられ、ここまでのがんばりで得られたものは何もなかったわけである。これでは体も弱るばかりである。
全ての病気は汚れた細胞組織の洗い出し。体が生きのびるための生理現象という見方もできる。


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同じ失敗の繰り返しはしたくない-体のコントロールのレベル-
2011/08/16(Tue)
やってよいことと、やってはいけないこととの区別もつかない。何をどうすると、どういう目にあうか想像できず、痛い目にあうまで失敗したことも分からない。「それじゃ幼稚園だな」とは誰だかの口癖。

はたで見ていると分かるのだが、自分のこととなるとむずかしい。同じ失敗で繰り返し痛い目にあうことをいつまでもやっている。失敗して「痛い目にあった」とわめくだけか、なんとはなしに自分で心当たりがあり、あわてずさわがず結果を受け止められるようになるか。そこが幼稚園卒業レベルの境目であろうか。

何か異変が起きても、自分で心当たりがあって、さわがずあわてず自分の体の様子と経過を冷静に見れるようになったのは、ほんの最近のことのように思う。「自分はいつ死んでもかまわないぞ」という開き直りも、そういうときに湧き起こってくる。
調子のよいときはわけの分かったようなことも言えるが、少しの異変でたちまち総崩れ。そんな場合も少なくない。イザとなればまるで役に立たない。あちこちに頭をぶつけ、いろんな失敗でいろんな痛い目にもあって、あわてたり平気だったりで安定しない。これが小学生レベルというものであろうか。

自分もしくは他人の、そのときどきの健康レベルを読み取る。読み取ったレベルに応じて、やってよいことと、やってはいけないことが決まってくる。そうした上で生活改善・健康増進プログラムを立てる。フィードバックで誤差に対処し、工夫や変更も自由にできるようになる。
こんなことのできる人間がどれほどいるかは分からないが、これが大学レベルとでもいえるだろうか。そのような感じのことをイメージする話を、師匠からうかがったことがある。

「分かる」というのは「分ける」ということ。「こうしたら、こうなる」「あれをやったらああなる」と自分のことが分かるようになれば、何が起きてもあわてないで済む。どう対処しようかとジタバタせずに覚悟することもだいじであり、同じ失敗を繰り返すことも少なくなってゆくだろう。
失敗は仕方ないとしても、不安になったりあわてたりするのは、「なるほど、ああするとこういう目にあうのだな」というところまできちんと分かっていないからである。これでは同じ失敗を繰り返すのもやむをえまい。この点、どんな社会的肩書きや経歴を持っていても、自分の体のコントロールともなれば幼児レベルであることもしばしばである。

操体法は自力療法。各自の実践と研究が正しく行われていれば、分かっていくことも増え、何が起きようとも確信を得ていくのは当然。ことの因果を自分でどれだけ正確に把握できるかできないかによって、幼稚園児のままでいるのか、小学生やそれ以上にステップアップしていけるのかがおのずと決まってゆく。


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「あるがまま、ありのままの自分」を好きでも嫌うでもなく
2011/08/14(Sun)
「悩み苦しみ欠点だらけの自分。そんなありのままの自分がけっこう好きです」という言葉を最近よく聞く。どこかで流行しているのだろうか。
「好き」と「嫌い」は一枚のコインの表と裏。感情というのはあてにならないし、感覚は移り変わる。大好きと大嫌いとの間をいつまでもさ迷い歩くようなものだ。

ありのままの自分といっても、「ありのまま」がカンタンではない。調子のよいときは「こんな自分がけっこう気に入ってる」などとも言えようが、肩がうずいて眠れない夜も、膝や腰が痛くてどうにもならないときも、「これがありのままの自分だから好き」を貫き通すというのなら大したものだ。
「あるがまま、ありのままの自分」とは、「たとえ自分がどんなになろうとも」「たとえどんな自分が今の自分から飛び出てこようとも」ということだろう。
「自分にとって都合のよい自分」と、「自分にとって都合のよくない自分」を区別して選んでいては、「あるがまま」とはいえない。わざわざ「ありのままの自分がけっこう好き」などとと自分自身に言い聞かせる必要もない。

施術とは、これは自分だとかこれは他人だとか、これは身内で、これは知らない人だとか、まあそういう区別をしていてもしょうがない現場である。
目の前にあるもの、目の前に出てくることに集中したいとき、好きとか嫌いとかはむしろ余計な感情である。好きとか嫌いとかからは、ちょっと離れたところがいい。好きでも嫌いでも、どっちだってかまわないなっていうところが自分には一番現実の感じがする。
もちろん人間だから、好き嫌いの感情とまるきり無縁ではいられないのだろうけど、むしろ邪魔になることのほうが多いから、余計なオマケだと考えておく。

若いころは自分が好きか嫌いかを、ものごとの中心に置いていたように思う。自分にとってどれだけ都合がよく、自分がどれだけうれしくなるか、そういうフィルターを通してしてしか人間が見れない。そんな傾向が強かったように思われる。そして結局はそれが視野をせばめ、自分自身とてもつらくなっていくのである。
いろんな人と共に歩んで生きていくことを、操体法を通じて少しは学んで身についてきたろうかと思う。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
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真夏ならではのぜいたくな過ごし方
2011/08/12(Fri)
早朝の川辺にテントを張る。朝一番の空気と、まっさらな朝露の草の中を歩き回る。軽快な音を立てて光を散らす流れにさそわれて、顔を洗い、首筋を洗い、腕をひたし、足を突っ込み、膝までつかり、ついにはざんぶりと頭を突っ込んで、髪を洗う。
爽快である。

夜明けのオレンジ色の空を見ると、もうジッとしていられない。白々と明るんでくる空と競争でもするように、とるものもとりあえず外へ飛び出してゆく。山か川へか決めないうちにアクセルを踏んでいる。たいていは、とある川辺に自分で地面をととのえた、ささやかなテント地。自分だけの秘密基地に向けてまっしぐらである。

テントを張ったら散策する。まっさらな新雪の上を歩くときの気分で、まだ誰も吸わない朝一番の空気と、誰も足を踏み入れていない朝露の草の中を、歩き回る。上流の水は冷たいが、軽快な音を立てて光を散らす流れにさそわれて、顔を洗い、首筋を洗い、腕をひたし、足を突っ込み、膝までつかり、ついにはざんぶりと頭を突っ込んで、髪を洗う。
爽快である。
平らな石の上で休む。鳥の鳴く声に耳をすませながら、草の葉にしがみついているカミキリムシと一緒に朝の光を背に受ける。お羽黒トンボがこげ茶色の羽をはばたかせながら水面すれすれを浮遊する。青く光るしっぽのトカゲが妙にキクキクした動きで斜面を登ってゆく。
川面をわたる風が通り過ぎて、少々肌寒い。

テントに戻る。夏の日差しを受けながら、本を読んだり書いたりうとうとしたりして過ごす。さんざん体があたたまったら水に入る。般若心経を唱える声が思わずふるえるほどに、冷たい流れである。じっと耐えてお経を続けていると、魚が集まってくる。体をつつきにくる、いや、かじりついてなかなかに痛い。そこも耐えてお経を繰り返す。そしてまた水から出る。岩の上で甲羅干しをする。風が渡る。

こんなふうに朝を迎えるのが、私の夏一番のぜいたくであり、バテ知らずの夏の過ごし方である。


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質問されて胸を突かれるとき、答えられない自分とはじめて向き合う
2011/08/11(Thu)
通りで七味唐辛子を売る二つの屋台を見たことがある。一方は人がたかり、一方には人が寄らない。内容も価格も同じだが一方は口上がうまい。威勢のよい説明とともにアオノリや麻の実なんかを鮮やかな手つきで混ぜていったりするので足を止めてしまうのである。
16歳の頃から数年間、実演販売の経験があるから、私はこういうことにはとくに興味をかきたてられる。

「はじめの人にはじめて説明するときがむずかしい」「説明しても、うまくいかない」という質問が、まさにこの点についてなのだった。「こういうパターンも考えられます」と講習で実例をやってみせたが、教わってできることでもあるまいなあと思う。

スイーツの話ならいくらでも話せる。自分の子供のことなら何時間だって話せる。なぜだろうか。それはスイーツのことを何度も何度も繰り返し考え、自分の子供のことを何十分も何時間も考えたからである。七味の屋台のおじさんだって、七味のことをどれだけ考えたかしれない。
人に何かを説明できるようになるためには、自分の中にあたらしい思考の流れをつくる必要がある。新しい思考の流れがつくられるまで何度も何度も繰り返し考える。自分の言葉ですらすら話ができるようにまで、何度も何度もそのことを考える習慣をつけるのである。

「操体法は一言でいうと、何なんですか」「操体法はどういうからくりなのですか」と、自分自身にインタビューしてみる。さて、どのくらい話ができるだろう。一人でやって即答できなかったら、人に訊かれたその場で答えられようはずもない。

「え~っと、え~っと、そうですねえ」と返事を考えてみよう。うまくいかない? その場合は、橋本先生の著書『からだの設計にミスはない』などを開き、ページを繰りつつ眼を通す。まあ一種のカンニングである。「つまりそれはですね、あっ、ほらここに書いてあるとおりのことなんですが」と話してゆく。途切れ途切れでかまわない。本のあちこちのページをめくりながら、「あれっ、こんなことが書いてある」「あんなことも書いてあるぞ」と発見があるはずなのだ。心に引っかかってくるキーワードを見つけ次第、アドリブで話してゆく。「まあ今度ゆっくり時間をかけて、また読むか」ではダメなのだ。あくまでカンニングでもするつもりで「だから、つまり、操体法っていうのはですね…」とやっていく。

「これは何か」。正面きって訊ねられると、何だってカンタンに答えられるものではない。「花ってなあに?」「お空って何なの?」「太陽とは何か」「運動とは何か」。そら、どれもむずかしいではないか。質問されるほうの身となれば厄介至極。そんなこと質問するほうがおかしいと、目を白黒させられることもあるだろうが、そうではない。私たちは分かっているつもりで何も分かっていないのである。正面きって訊ねられ、ハッと胸を突かれた瞬間に、明快に答えられない自分をはじめて発見する。
そこからが、勝負。そこからが、勉強である。
人に教わったことをそのまま実行できるのならそれも悪くはない。しかしそんな器用なことができるくらいなら最初からこんな質問はしない。「教わったけれども、なかなかできないなあ」と感じることのほうが多いはずだ。「教わったときは分かった気になるけど、イザ自分でやってみると分からない」。

「やってみるとよく分からない」ということこそが、大切。自分でやってみて、何がどう分からないのか、どうむずかしいのか。それがよく分かるだろう。具体的なよい質問というのは、そうした生の現場でこそ用意される。よい質問をすることによって、自分もだんだんと分かってくる。
私も質問を待っている。活発な質疑応答あってこそ、こうして集まる意味もある。どんどん手こずる質問を浴びせ、ハッと胸を突き、「一本」を取っていただく。そういうことも、あると思う。


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自分の中に咲こうとするつぼみがある限り
2011/08/10(Wed)
真ん中からはじけた光の筋が、飛び散ったような花弁。夜明けの空を思わせるオレンジ色の花がブナ林の下草を覆い尽くしている。見渡す限りの花、花である。

ヒガンバナ科の花の群生を目当てに山に入ったが、見ごろを過ぎていた。
にょっきりと地中から伸びた茎は重なりあってギシギシと音を立てそうなくらいに密生している。
ここらは初夏には長い葉が茂り、畑のようだった。やがて葉はいっせいに枯れ果てる。数週間後に花が咲くとは信じられないほど完全な枯草となる。

花は見ごろを過ぎていても、自分の体と気分がのってくるタイミングが山歩きの好日である。花は色が薄らいできて、肌色というか淡い色合いのオレンジになっている。すでに丸い実を結んでいるものもある。そんな中に遅い開花であるが、今を盛りとばかりに咲いている花たちもある。あちらこちらに鮮やかなオレンジ色を炎を灯し、すっくりと立ったその姿は神聖なたいまつのようにも見える。

遅咲きの花もまた、なかなかに立派だと思った。
早く早くとつぼみをつけ、急いで開かせることもいらない。
美大受験の予備校にいたときは私の目の前で友人たちがどんどん合格していったし、文学でも同じ教室の仲間たちが先に賞をとっていった。操体法だって自分より十歳以上若い人たちが先に開業していった。
「もう自分はダメなのかなあ」とあきらめかかっていたのが交通事故にあい、さらにもっとダメになったと思った。しかしそれが契機となったのだから人間わからないものだ。

群生全体が終焉へとさしかかる季節の中で、遅咲きの花たちは妙に目立つのだった。早咲きの花たちが疲れを見せてくるのを見計らったかのように、地中から茎をのばし、つぼみをつけ、一気にはじけてオレンジ色の炎を吐き出している。みんながお年寄りになってゆく日本で、早咲きだった人も花を咲かせないままだった人も、活力をたくわえて咲かせられる花があるのだと思う。早咲きが圧倒的に注目され、話題となる中で、いつの間にか「年をとったらダメになる」という考えをどこかで植えつけられていた私ではあるが、自分の中には咲こうとする力を持ったつぼみがまだいくつもあることを確信する。いくつ咲かせられるか。遠慮せず自分のペースで咲かせてゆきたい。


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感情的に中立な目で、同じ風景を見てもらうということ。
2011/08/09(Tue)
室内でなくしものをする。カギが一番困る。探せばあるとわかってはいるが、自分としてはもう探すべきところはない。金輪際出てくるとは思えなくなっている。
こんなときは感情的に中立な人に探してもらう。「カギがそこらにあるはずです。ありますでしょう?」と声をかけると、面白いように出てくる。

ここ二十年ほどいろんな場面で試してみたが、結果は良好。二人で互いになくしたものを探しあうと、どちらもほどなく見つかる。
今日もまたカギを見つけてもらった。一週間ぶりにカギ束の重さを手にして私は心に誓う。「今度こそ、なくさない」。しかしカギがなくなるということはまたいつかあるだろうと思う。そして私は不便な日々を過ごし、助けてくれる人に行き当たる。そしてきっとまたカギは見つかる。

我ながらバカバカしい繰返しであるが、今日までずっと私が操体法の施術を受けにはるばる遠くまで通い続けてきたのも同じことかもしれない。感情的に中立な目で、同じ風景を見てもらうこと。私が望むのはそれなのだ。自分のこんぐらがった状態を中庸に戻す、有効な方法の一つなのだと私は思う。


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忙しい忙しいと気持ちをバタつかせない。ただ目の前のことに集中する。
2011/08/07(Sun)
一つ一つをだいじに取り組めばいい。その時その時で自分に必要と思うことをやればいい。
「お忙しいところすみません」。自分では使う言葉だが、言われてみると妙な気分。いつもいつも忙しく動いていないといけないような、駆り立てられる気分。しかし私の体は一つだから、一度に一つのことしかできない。用件が二つ三つと重なったとしても、どれか一つを選ぶのだから用件はいつでも一つ。たった一つのことだ。

用事が二つ三つと重なると「忙しい」ということになるのだろうか。用事もないのに「ちょっとお茶でも」と声をかけられると、相手が嫌いということもないのに、時間をとられて惜しいような気持ちになる場合だってあるのではないか。
忙しいといっても一日に24時間しか持たないから、それ以上のことは起きっこない。
気ぜわしい思いでやったことを後になって振り返れば、やってもやらなくてもよかったようなことしかなかったと思う。生きてるということは、やってもやらなくてもいいようなことばかりだから、「ああこれは」っていうだいじなものが一つでも見つかったら儲けもの。私は山歩きと操体法ともう一つ、全部合わせて三つも見つかったのだから、もう何一つもんくのつけようがない。

みんなが同じ答えにはならないけれど、私の活動で何かを見つけるきっかけになる人が一人でもいてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。


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人事の尽くしようによって結果の白黒がハッキリする
2011/08/06(Sat)
別の病院で悪化したケースが夏井先生のもとに運び込まれる。化膿した組織の中に骨の切断面が露出。これを穴あきポリ袋と紙おむつで包む。消毒をせず、薬も使わないというやり方に切り替えて、次々と成功例が積み上げられてゆく。

タコの足は再生する。足がもげるのは大変なことだが騒いでもしょうがない。天命を待つ、つまり体に備わった自然の力に身をゆだねるしかないだろう。
家人の足の負傷も同様だなあと思う。ふだんは体の調整になど見向きもしないのが、痛みがくるたびに治せ治せとせまってくる。患部そのものは、本人に備わった力しだい。誰がどうできるというものではない。それを補助したり支援するという意味で、調整をする。体があちこちねじれたりしていては、治りもわるかろうし、余計な痛みで苦しむことにもなる。

大腿骨切断面が、腐った組織の中に露出。アキレス腱を縫合した後の傷が治らない。犬に咬まれて深い皮膚の欠損。夏井睦のサイト「新しい創傷治療」の映像は、一見おどろおどろしいのである。
しかし治ったあとの映像を見てほしい。「うわ、こんなに治っちゃうのか!」と思う。
治った映像から逆回しでたどってゆくと、「生きてる体って、ほんとに心強いものだな」と感じるのは私だけだろうか。

どの例も、ほかの病院で治らず、夏井さんのもとに転院された例である。
夏井さんはバイク事故で足が切断。手術後に傷口の組織が腐敗して夏井さんのもとへ転院された例では、化膿の膿の真っ只中に骨の切断面が露出。これを穴あきポリ袋と紙おむつで包むだけという。2007年のケースである。
夏井先生自身、「いつ骨髄炎が起きるか」とハラハラしていたが、「何も起こらなかった」。
最終的にどれだけきれいな足になったか、映像を確認していただきたいと思う(確認したい方は「新しい創傷治療」で検索してください)。

「人事を尽くして天命を待つ」。もちろん人事は尽くしている。尽くすのであるが、天命を尊重する出しゃばらない配慮の人事である。だからこその成功。
べつの病院でも人事は尽くされていた。しかしその人事の尽くしようによって結果の白黒がハッキリする。
タコの足が再生するのと同じく、人間の体の損傷だって、肉が再生して盛り上がって傷口をふさいでいくのである。内臓疾患も、精神疾患も、基本的には同じ。すべては本人の体に備わった自然の力にかかっているのである。


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どっしりかまえて体と向き合えば、絶対的安心が、そこにある
2011/08/03(Wed)
知人の夫が急に意識を失い、倒れたとき、考えられる限りの検査でも異常は見つからなかった。倒れている人間も正常になる。検査の世界にはそういうこともある。
検査検査で半年も通院したあげく、原因不明ということもめずらしくない。

生命の働きのうち、検査で調べられるのはどのくらいのことなのだろう。
私は足に大きな内出血が何度か続いて、大きな病院に行ったとき、「女性の内出血なんかに、いちいちかまっていられるか」と一蹴されたことがある。
「内出血を前兆とする病気? そんなのいくらでもあるよ。それをぜんぶ検査しろっていうのか、冗談じゃない。半年、一年かけても終わらないんじゃないの?」とまくしたてる。
「困った症状が出たら来い。こんなことくらいで来られるから、こっちは忙しくなるばかりだ」。

「困った症状が出たら」では、未病は治せない。そして困った症状が出ても、治せないことばかりだ。
検査で調べた数値で、生命の働きが分かるとカン違いしてしまう。しかし検査とは、生命という大海原からコップ一、二杯の水を汲む以上のことではないのではないか。

ふだんからきちんと、ふつうに自分の体とつき合ってみるといい。
半年や一年などではない。一生、生きている限り、体は変化し続ける。その変化に寄り添うように、体とつき合ってみてはどうだろうか。
生命の営みの、波の音の変化が聞き取れてくる。うねりや、深海に流れる海流のことなど、いろんなことが、しだいに手に取るように感じられてくる。
病気のときも、あるだろう。しかし大抵のことは生命の働きで回復する。
回復せずにそのままになるか、回復して元に戻れるか。そういうことも、きちんと分かるようになる。

分かればあわてずに、済む。そこに絶対的安心がある。

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痛みを感じないほどに固まった組織が息を吹き返すとき
2011/08/02(Tue)
「痛い」と感じるほうがまだしも。痛くも何ともなくなったというのは怖い感じがする。
痛みは警報だ。赤信号だ。そうやって体が教えてくれるのだから、ありがたいことだ。

固まったところをゆるめてゆくと、ご本人も「ああラクになった」。
「ラクになった」を繰り返してゆくと、「最近ずいぶんラクになりましたよ」と明るい声で報告もしてくださる。「じゃあそろそろだな」と私は思う。
痛みを感じると「急にわるくなった」と心配するのも人情だが、どこもわるくなっちゃいない。むしろその逆。今までずっとわるかったのに感じなかっただけ。

「こんなに硬いのに痛くないですか?」問うと、首を振る。
「硬いなあっていう感じはします。押されてるっていう感じもあるけど。なんか、そこはにぶくなってて、なんにもわからない感じもします」。
指がぜんぜん入っていかない。触れた手がはじき返される感じ。岩のようだ。硬くなって固まって時間の経過した組織は、多かれ少なかれ感覚が失われてしまっている。血流も慢性的によくないのだろう。
こういうのを、「痛みを感じる時期を通り越してしまっている」などと言う人も、ある。

講習生どうし、みんなでお互い筋肉の硬さや動きなどの確認をするわけである。
体中がバンバン音をたてるかというほど硬く張っていたのが、本来のふわっとした体のやわらかさを取り戻してきて、よかったねえなどと話し合ううちに、本人に痛みが感じられてくるのである。
ふだんから説明はしている。何度も説明はするけれども、仮死状態だった組織が復活してきて、正常に「痛み」を感じ始めると、驚いて連絡があったりもする。
「ここも、痛い。あそこも、痛い。病院にも行ったけど、分からないし、治らない」。

「だから以前からご説明しているとおり」なんて言ってもムダである。これまでは痛くなかった。痛いと感じられた途端にわるくなったと心配する。「痛くなかったほうが異常だった」とは考えない。これが人情というものなのだろう。
硬いまま放っておかれた期間が長ければ長いほど痛みもしつこい傾向のようだから、早く自分でも取り組んでゆるめるようにと口を酸っぱくして言っている。しかし人間そうそう聞き分けのよいものではない。自分でもとっくに経験済みだ。

「おめでとうございます。ついにやりましたね。さあこれからどんどん痛くなりますよ」と笑顔で言う私を、横目でうらめしそうに見られる。
痛みがあるのは、ありがたいのである。痛みが正常に感じられるようになるまでが一苦労で、手間も時間もかかるというのに、痛みを取り戻したありがたさが分からないとなれば残念至極。
痛みがあればまじめに取り組みもする。痛みは警報だ。痛みは赤信号だ。それを放っていては、また元のもくあみ。

痛みがあるときに実験することがある。
食べる量を増やすと、痛みはどうなるか。食べる量を少なくすると、どうか。せっかくなので試してみてほしい。痛みのメカニズムは不明な点が多いが、「未消化物が万病のもと」という考えは、この生活実験の結果と一致する。「未消化物は痛みのもと」というわけである。

「食べる」か、それとも「痛い思いをする」か、自分でどちらか一方を選べる。どちらか一方しか選べない、ともいえる。
早く痛みから逃れたければ、「ゆるめる」と「食べない」という二つのやり方がある。
やり方はあるが、何を、どうやるか・やらないかは、自分が決めるしかない。ここは正念場である。
どっちを選んでも事実の確認および人生勉強になる。これもまた、ありがたいことと受け取りたい。


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教えられるのではなくて、感覚の積み重ねで身についてゆくこと
2011/08/01(Mon)
弟子入りというと最初は下働きと相場は決まっている。絵なら絵、剣術なら剣術をすぐには教えず、まずはお掃除などの雑用。
洋の東西を問わないのか、子供のころ読んだ魔法使いの弟子も、雑用にうんざりしてこっそり魔法をおぼえたのだった。それがやがてとんでもない失敗につながるという話。

「あれ? Nさん、圧痛点の探し方が的確ですね」。他の講習生が意外そうな声を挙げる。
Nさんは講習に参加して日が浅い。だのに圧痛点にかける力加減がまずまずだった。「やっぱりなあ」と私は心の中で思う。
Nさんはひどいムチウチ症で施術に足を運ばれていた。無理なくできる操法が見つからず、これもダメ、あれもダメ。右へゆくとここがチョット突っ張る、左へゆくとチョット苦しい。「ほんのチョット、なんですけどねぇ」遠慮勝ちに仰るのを、「いやいや、そのチョットがだいじなところです」と私は受ける。チョットチョットを尊重しながらの、集中を要する施術である。

Nさんは判で押したようにきっちり通われた。遠方だから、あの体調では苦しいだろうと思ったけれども、張り詰めた表情で予約をとられるので、お互い真剣勝負のような面があった。
最悪の事態を抜け始めたころに、一言、「わたし講習にも参加したい」とNさんは仰った。

「まああれだけの施術を受けられたのだから」と私は思ったのである。
私自身、講習でおぼえたのではない。ただよく見て、よく感じ取ろうとした体験があっただけだ。もともと私は学校というところがダメ。授業形式ともなれば条件反射でアクビが出る。情けなくなるほどの全身虚脱の状態。今でこそ講習を受けるも主宰するも、目玉をキラキラさせて取り組んでいるが、その前段階で施術を受けていた頃に、しぜんに体得した感覚が自分のベースにはあると思う。

よく図書も読んできて、ふだんも家族や身辺の人の体で練習をしている熱心な講習生もいるし、過去の私のように施術を受けるだけで参考図書も手にとったことがない方もある。
操体法のリクツを話すと、よく話ができる人もいれば、話せない人もいる。人の体に関心があったり、自分の体にしか関心がなかったり、とまあ状況も目的もいろいろなんである。
しかし実習ともなるとそういうのは一切合財関係ない部分も見えて、それがまた面白い。
ご本人の、体での体験。感覚での体験。これが全てではなかろうか。
施術を受けている間というのは、感覚の集中トレーニングを受けることになる。重症であればあるほど集中力が要求される。講習一年生より二年生、三年生と、年数も幅を利かせてくる。

こっちはそういうことを眺めて面白がっているが、面白がってばかりもいられない講習生もいるだろう。
他人さまを実験台にするだけで、自分の体をかえりみないというのは、まずい。非常に、まずいのである。
ご自身の体、筋肉の状態が、取り組みの全てを物語っている。まずは自分の体を実験台に、感覚のトレーニングを積まれることをお勧めしたい。


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