捨てても心配がないもの-動きのクセ・からだのクセ-
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2011/06/16(Thu)
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「ありのままの自分でいいんだよ」というフレーズに涙を流した体験を持つのは私一人ではあるまい。自分に振り回され困っている現実があるからこそ、この言葉は癒しの効果を持つ。
動きのクセをとってあげると「わーラクになった」と無条件に喜ばれる。「なくてななくせ」。自分では自分の全てが当り前だから自分のほとんど全てに気づくことがないという皮肉。 講習にやってくる方々にもそれぞれ体や動きにクセがある。それを個性とよんではいけないだろうかと思うことがある。クセというと人を否定することになりはしないか。逆に個性とよべば尊重することになるが、尊重してだいじにし続けていると、胃腸が弱い、ヒザが痛い、腰痛が、頭痛が…という結果をもたらすものもあるようで、「そんな個性なら取り外したい」と本人が望むケースもある。個性にも、行き過ぎた個性もしくはクセとして取り外さざるをえなくなるものが、時と場合に応じて出てくるということだろうか。 「ありのままの自分でいいんだよ」というフレーズが癒しとして作用するのは恐らく「分かっちゃいるけどやめられない」という現実があるからではないか。自分のクセをとるのは大変なのだ。 「ありのままの自分」で突き進んでいけるのなら苦労はないと思うが、「ありのまま」という言葉を「ありのまま」に受け取るのはもしかすると浅はかで、もっともっと深い意味があるのかもしれない。 動きのクセを取りながら、体のクセを取っていく運動療法が、操体法である。 クセをとるのがつらくない。みなさんとっても楽しそう。自分も楽しいばかりである。 リクツはともかく、身も心も軽くなるから当然だ。クセをとっていっても、個性なんか後からにょきにょき出てくる。どんどん捨てても、捨てた先にちゃんとした自分の個性はあるのだから、心配には及ばない。 東洋的心身調整法。私の手元にあるテキストには操体法は東洋的心身調整法だと記述がある。 「おのれを捨てるのが東洋流。オレがオレがで自分を守ることは西洋流の考え方だ」と師匠からうかがったとき、「へええ、自分って、捨てちゃってもいいものなんだ~」と感動し、ずいぶん気がラクになった。 むしろ捨てちゃったほうが身のためかな。 少なくとも違和感を感じるような動きが知らぬ間に身についているとしたら、それは明らかにクセなので、どんどんと安心して捨ててしまおうと思う。 ※九州・福岡市内にて操体法を知っていただく活動をしています。毎週定期的に集まって講習を開いています。一般の方・初心者の方も自由に参加できます。個別にも対応していますので、ご相談ください。 くわしくは、080-1720-1097(山下)か、freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)まで。 スポンサーサイト
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