筋肉をほぐす体の動きを追って-動かない関節を自由に動かしたい- |
2011/06/14(Tue)
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骨と骨をつなげているのは筋肉。関節どうしや関節をまたいで重なり合い、交差し合いながら全体つなげて丸ごと一つの体にする。それが筋肉だ。
骨だけあっても人の体は動かない。骨には筋肉がくっついていないとね。 骨格標本でぶらさがっている人体は、動きが伝わらない。 足の骨を動かしたら手の骨に動きが伝わるとか、そういうことはないのである。 骨の腕を手をとり、ぽとんと落としても、ちゃらんかん、とむなしい音を残すだけ。 年をとると、それまで何十年にもわたってあたりまえに動いていた腕が、ヒザが、動かなくなったりする。けがをしても、同様。 外から見ても、腕そのものには、べつに異常はない。「どうしちゃったんだよう」と、腕を見て、ヒザを見て、つぶやく。 仏教でいわれる諸法無我は、「からだの動き」を考えるときにいつも頭に浮かぶし、きっと役に立つ。 あらゆる「もの」は実体を持たず、いろんな関係そのもので成り立っている。 腕は、腕だけで存在するのではない。腕の先には肩があり、肩は首にもつながっているし、肩甲骨とも密接につながっている。 つなげているのは、筋肉である。腕の骨を肩とつなげ、肩の骨を首につなげ、肩甲骨ともつなげ、さらに関節をまたぎ、平行にあるいは交差し、重なりあいながら全体をつなげて丸ごと一つの体にしている。 頭の中で、骨格標本の骨たちに筋肉をかぶせてゆく。筋肉をかぶせて全体つなげて丸ごとにしたら、今度はかぶせた筋肉の重なりをほどいて引きはがしていって、風にゆられてちゃらん、かん、と軽やかに音を出す骨たちの集まりにしてしまう。 肩や首がこわばっている、体の関節の一部が正常に動かない。そういうときには、「からだ」には実体がなく、「いろんな関係なんだ」という見かたに切り替えたほうが、突破口になる。 体の問題は筋肉の問題で、ものの在り方や関係性の問題だったりする。 仏教もからんでいたり、する。 筋肉を中心に据えた操体法は、深い。 ※九州・福岡市内にて操体法の講習を開いています。個別と集団講習が好きに選べます。 くわしくは、080-1720-1097(山下)か、freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)まで。 スポンサーサイト
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