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アゲハになって人の動きにどこまでもついてゆく
2011/06/07(Tue)
肩や背中に手を添えてもらうとき、ずっと置いていてほしいと思うほどに気持ちのよい手の感触を感じることがある。逆もある。つかみかかられるような威圧感、のしかかられるようなうっとうしさ、ぞんざいな感じがすると逃げ出したくなる。
手の持ち主は無意識に、何気なく置いている。しかし手を置かれている側は、意識の後ろにあるものを、たちまち感じ取る。立場をかえてみれば、おそろしいことではなかろうか。

野口晴哉は弟子を自分の家に住まわせていたが、体関係に向いているか試すときは犬や猫の世話を担当させたという。動物たちがどうしてもなつかないときには、ほかの仕事をとアドバイスしていたそうである。

大の字になって両方の膝を立ててもらい、ゆっくり倒していただく。右にも左にも倒していただき、左右の感覚の違いや気持ちよさなどを感じていただく。このときに、ただやってくださいと放置するのではなく、こちらのほうは手を膝頭に軽く添え、動きにつきあうのである。散歩する人のそばに付き添う気持ちで、じゃまにならないよう、歩調をあわせてついてゆく。

舗装していない小道をいっしょに歩いていると、相手のあらゆる情報を見たり感じたりすることができる。ちょっとつまずきそうになるだとか、通りづらそうなところがあるようだとか、足取りが妙に重かったり軽いと感じられたり。
手のひらからは相手の全てが伝わってくる。自分が的確に読み取れるかどうかは別としても、ちゃんと伝わってきているのはまぎれもない事実だ。

相手のことが、手を伝わってどんどん流れ込んでくると感じるとき、「手が、とても気持ちがいいです」「ふれてもらっているところがあたたかい」と言われることもある。私自身、とても気持ちがよいのだ。もちろん、そういうことばかりではないが、あたりがくるのを待つような気持ちでおつきあいさせてもらううち、「あ。流れ込んできた」というときがくる。その瞬間は、とてもうれしい心持ちがする。この人とはじめて「通じあえた」という感じがするのである。

「膝頭に手を軽く添える」。膝頭をつかむのではないし、膝頭に手をもたせかけるのでもない。
手を軽く添えるためには、自分の手を浮かせ気味にしなければならないだろう。
面倒だから、いっそ手を置かないほうがいいという態度は考えものだ。
なぜ手を添えるのか理由がわかれば、手を添えないのはもとより、膝頭をつかんだり膝頭に手をもたせてしまうことは、できない相談だ。

チョウチョは軽やかに花の上に乗る。羽をそよそよ羽ばたかせながら、花に身をまかせるでもなく花びらにのっかっている。花のほうではチョウチョの足先に踏みつけられて、かえって心地よい気持ちでいるのではないか。
チョウは風にそよぐ花にさからわない。バランスをとりながら、非常にデリケートな様子である。花びらの色や香り、湿り具合や柔らかさ、そして風の揺れなど、たくさんのことを足の先で感じ取っているのだなと思う。
いつの頃からかわからないが、風にそよぐ花の上にちょこんと乗るアゲハチョウの、軽やかな重みを思い浮かべるようになって以来、全てがうまくいくようになった。


※九州・福岡市内にて操体法の講習会を開いています。
 くわしくは、080-1720-1097(山下)か、freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)まで。
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