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「自分の体はどうなっているのか」と他人に訊きたくはない
2011/04/29(Fri)
※九州・福岡市内で操体法の講習を受けることができます。

いつでも始められる初心者のための操体法入門講座
(希望日時を調整の上、好きなときに参加できます。1回2時間ていど。参加費二千円)

操体法で活動をしたい方のための指導者養成講座
(少人数制。できるだけ希望に添います。参加費二千円)

お一人で個別に受講を希望される方、もしくは施術
(都合のよい日時をご指定ください。初回三千円、二回目以降二千五百円)

そのほかのご要望はお申し出ください。080-1720-1097(山下)まで。
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顔つきや態度までもがシッカリしてくる
2011/04/27(Wed)
人に助けてもらうばかりだと何にでもおろおろする。目隠しをして歩くのと似た不安感である。しかし自分たちで対処し、乗り越える体験を積むと、行く先も少しずつ見えてきて、勇気も出てくる。症状や病がすぐには完全治癒しなくても、「自分のからだは一体どうなっているんですか?」と人に訊ねないとわからない状態であるのと、「自分のからだは今こういう状態なのだな」と本人なりに体から感じ取れる状態とでは、顔つきから態度からすべてが違ってくる。

朝早くに連絡が入った。お身内がひどい腰痛でうなっているが習った操法がうまくかからないという。意地悪な言い方だが「いのち取られるわけじゃない。そのまま転がしておいても激痛が一生続くわけではない」とお伝えしたところ、腹を立てる様子もなく「はあ、それもそうですね」。
ご自身も腰痛の発作で救急車をよび、病院で手当てを受けた経験のある方だから、いろいろと考えるところがおありのようだった。くわしく話を聞くと原因もはっきり把握されていたので、「あなたなら大丈夫だから、もう少しやってごらんなさい」とやり方をいくつか指示した。小一時間もしたころ「痛みは半減し、落ち着いた」と連絡があった。

操体法に取り組んでもらって私がひそかに願うのは、来たばかりのころよりもだんだんと顔つきがシッカリしてくる、態度もシッカリしてくるということだ。子供さんが操体法を続けるうちに「自分からお手伝いを申し出るようになった」「これは自分で決める、などとハッキリ言うようになった」と日常の変化が親ごさんから報告されたりする。これは何よりありがたいことである。
いろんな条件がそろうまで完全治癒には時間のかかることもあろうが、心細そうな表情だったのが落ち着きを取り戻し、しっかりした様子で過ごしてゆかれれば、出てくる結果もおのずとベストなものであろうと思う。
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春の山がふところを開くとき
2011/04/25(Mon)
一年に一度だけ訪れる谷間がある。あたたかな日差しを浴びた草の中に横たわっていると、トカゲが草をかき鳴らし、ヘビが尻尾を引きずって通りすぎてゆく。みな、静かに平和にこうして日々を過ごしていたいだけなのだと思う。今では姿を見るのもまれになった金色のミツバチが、かすかな羽音をよこす。
人の出入りする痕跡はなく、たまたま見つけた自分だけの場所。そこで私は年に一度だけゼンマイを採る。

ゼンマイの谷とでもいうべきこの場所は日当たりのよい斜面が連なって、その斜面の土の中からいくつもの力づよい握りこぶしが向かいあったり重なりあったりして株をつくっている。ゼンマイたちはこのような場所が好きなのだなと思う。このゼンマイたちはもう何世代目であろうか。どれだけの歳月をここで過ごしてきたのだろうかと思う。ゼンマイになった気分で一歩一歩、足の置き場をえらびながら斜面をのぼり下りする。山が、少しだけふところを開いて秘密を私にだけ語ってくれているような気がする。そしてそれが私には一番うれしいことなのだ。

このまるまるとしてゼンマイたちを目にしていると、つい手が伸びる。一株から一本か二本ずつ。力のありあまったような強い株からいただく。日当たりのよくないところにも素晴らしい株がある。一日にいくばくか差してくる日の光をこつこつと拾い集めてきたような、太くて立派なうずまきがにょきにょきと突き出ている。数年おきにしか出せない成果かもしれないと思いながら、私自身の心が痛まないくらいに折り取る。それがこの谷と私との関係をくずさないための、おきてだ。私のほうがこの約束をやぶらない限り、この関係は永遠にくずれない。もちろん、自然の手のひらの中で、このうつくしい谷が握りつぶされることも私は受け入れよう。しかしたとえそんなときも、私の心の中で、山との関係は永遠だ。
この谷のゼンマイを初めて目にしたとき、自分の胸の鼓動がいやらしく高鳴ったのを私はおぼえている。大金でも拾ったかのような、どぎつい鼓動がほんとうにイヤだった。しかしいつしかそのようなことからも解放され、この谷の、深く静かなうずまきたちの沈黙の中に、引き込まれている。時折、手が伸びて軽快な音とともに、うずまきの子供が私に身をゆだねる。この平和な谷からこの子たちを連れ出すのも、いつかはイヤになってすっかりやめてしまう日も来るかもしれない。そう思いながら、山の赦しの象徴として、この恵みを自分の住む薄汚れた街へ持ち帰る。

操体法をやってゆくと、人間は自然破壊をしなくなる。いや、できなくなるだろうと思う。自分の母親に平気な気持ちで刃物を向けることができないのと同様に、人類の母である自然に刃を向けることは、自分自身の身を刃物で切り裂くことなのだから、そこには必ず痛みが伴う。それに気づくか気づかないか、それはリクツではない。感覚による具体的な体験なのだ。
そのようなことを考えるともなしに考えるうち、深い感動に全身全霊が満たされていく。
私が提供したいのは操体法のノウハウではない。ノウハウがほしい人が来るのもべつにかまわないけれど、本当に知らせたいのは、操体法をも超えた、この奇跡的に深い、この感動なのだと思う。
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九州は福岡で毎週楽しく操体法講習会を開いています。
2011/04/21(Thu)
操体法は、施術してもらう人も、施術する人も、同時に救われる運動療法。
お金を払った側の体が改善するというなら話は分かるが、施術する側の体のほうも気持ちよく改善されるというのである。

操体法は、気持ちよい方向になめらかに動いて、じわーっとタメをつくり、全身で脱力するということで、もともと体に備わった修復力が発揮される。誘導して支える術者も、動いている本人の動きにまきこまれながら動いていかざるをえないから、やりようによっては、術者は相手の動く向きや、タメの力などを利用して、自分自身も気持ち良い動きでタメをつくり、全身脱力を実現することが可能である。
さらにいうと、施術してもらう本人と、施術する術者とが、共に心地よい動きと脱力を実現することで、最高の出来栄えともなるのである。

救う身と救われる身とが同時に救われる。それが困難をチャンスに転じる。
困っている人が周囲にいたら、気軽に声をかけて操体法を教えてあげればいい。
自分の悩みに埋没している人というのは、深刻に悩み苦しんでいる。自分の悩みで周囲が見えず、そのぶんさらに苦しいのである。
たった一声、たったの数分、気持のよい動きをしてもらうだけで、ラクにしてあげられることを知っている。それがどれほど心強いことか。

ほかの療術では術者が体調をくずしたり、故障をかかえて職業病として苦しんでおられる場合も少なくないが、操体法ではやり方が正しい限り、そのようなことはあり得ない。働けば働くほどラクになるということはある。こんな施術、他に考えられるだろうか。


※九州・福岡市内で毎週講習を開いています。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動を始められている方もいます。
誰でも参加できる公開の集団講習会…参加費二千円。入会金など不要。参加したぶんのみお支払いください。
少人数で申し込めるプライベート講習や個別も選べます。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)まで。
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九州で操体法の研究会に参加を希望される方、現在募集しています。
2011/04/20(Wed)
救う身と救われる身とが同時に救われる。それが困難をチャンスに転じるのである。苦労や困難というのは不思議なもので、逃げれば逃げるほど恐くなる。
一歩自分から踏み出せば、さほど恐いものでもなかったりもする。

操体法は、施術してもらう人と、施術する人とが同時に救われる運動療法。
お金を払った側のほうが改善するというのはめずらしくも何ともないけれど、施術する側は、お金をいただいた上に、体のほうも気持ちよくなり改善されるというのだから、わけの分からない話のようにも聞こえる。

操体法は、気持ちよい方向になめらかに動いて、じわーっとタメをつくり、全身で脱力するということで、もともと体に備わった修復力が発揮される。動く本人の動きに、誘導し支える術者がまきこまれるわけであるから、やりようによっては、術者は相手の動く向き、タメの力などを利用して、自分自身も気持ち良い動きでタメをつくり、全身脱力を実現することも可能なのである。
さらにいうと、施術してもらう本人と、施術する術者とが、共に心地よい動きと脱力を実現することで、最高の出来栄えともなるのである。

困っている人が周囲にいたら、気軽に声をかけて操体法を教えてあげれば、いい。
自分の悩みに埋没している人というのは、深刻に悩み苦しんでいる。自分の悩みで周囲が見えず、そのぶんさらに苦しくなるのである。
たった一声、たったの数分、気持のよい動きをしてもらうだけで、ラクにしてあげられることを知っているというのがどれほど心強いことか。
ほかの療術で術者が体調をくずしたり、故障をかかえて職業病として苦しんでおられる方もめずらしくないが、操体法ではやり方が正しい限り、そのようなことはあり得ない。働けば働くほどラクになるということはある。こんな施術が他に考えられるだろうか。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
お問い合わせはメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。
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「トゲなしトゲトゲもどき」という生きものが教えてくれること
2011/04/18(Mon)
カブトムシの生まれたての姿を私は見た事がない。ツノのある頭のほうはすでに黒く、背中のほうは真っ白に輝いているという。「あれほど美しいものはありません。その白い背中のきれいなこと。さらにそれが色づいてくるのを見るほど感動的なことはありません」
夢見るような目つきで話し続けるカケハシ君は虫屋と呼んでもよさそうな虫好きである。故郷の山野で虫を集め、育てたりしていたという。
夢見るような目つきで話し続けるカケハシ君は虫屋と呼ぶにふさわしい虫好きである。故郷の山野で虫を集め、育てたりしていたという。福岡市内では虫の姿を目にすることはめっきり減ったが、彼の故郷の離島にはまだまだ虫がたくさん生きているという。

タマムシもサナギから出てきたときには頭は緑だが背中のほうは真っ白で光っているそうだ。背中にだんだんと緑や赤の縞模様が浮かび上がってくるその様子は想像を超えた美しさだと、夢中になって話すカケハシ君の目がふと、いたずらっぽく光った。「トゲなしトゲトゲもどきの悲劇を知っていますか?」
まず最初に「トゲトゲ」という虫が発見されたのである。その名のとおり体じゅうにトゲがあるのらしい。ところが後になって、トゲのない姿の「トゲトゲ」が発見された。名をつける人も困ったと思うが、トゲのない姿が後になって見つかったものだから、「トゲトゲ」を基準に「トゲなしトゲトゲ」と命名した。もともとトゲをもたないで生きてきた虫が、「トゲなしトゲトゲ」というような、トゲにこだわった名をつけられるのだから十分おかしな話だ。
ところがさらに「トゲなしトゲトゲ」に大変似ているが違いのあるものが発見された。これは、「トゲなしトゲトゲに似ているものだが、トゲなしトゲトゲではない」という意味で、「トゲなしトゲトゲもどき」という名がつけられたのである。

人間に発見される順序がちがえば、彼らは別の名になっていたはずだ。トゲのない虫に「トゲトゲ」という名がつけられるはずもなく、後になってトゲのあるバージョンが見つかれば「トゲ~」とつけられるだろう。たとえばトゲのあるセミならトゲゼミとでも呼べそうなものだ。「もどき」がつくのは、後になって出てきた虫だろう。どっちが本物で、どっちがニセモノ扱いにされるかは、人間に発見された時期しだいだ。先に見つかったものが本物。後に出てきたものはニセモノ。
まあどの名にしてもこっけいであり、虫に対しては失礼な話だと一同大笑いした。笑いながら、なるほど人間が自然を見るまなざしは所詮このようなものにすぎないのかもしれないなあと感心もした。今後しばらくの間は自然をテーマに考えるときに「トゲなしトゲトゲもどき」という名を思い浮かべずにはいられそうにない。
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生きものってすごい。生きものの実力を見せてくれる操体法。
2011/04/16(Sat)
手の中に握っているものの価値がわからなかった。いろんな人の前に差し出すうちに、光輝く黄金だったという驚きがあった。今や私の操体法は自分にとって黄金を超え、何と比較をする気も起きない。驚きや感動は尽きない。生きものって、すごいのだ。生きものの実力ってすごいというのを操体法は見せてくれる。だからすごい。やめられない。そうもいえる。

自分の背中を自分で見るというわけにもいかず、体の調整の練習相手を見つけるのに苦労した時期もあった。おかげで今は自分の体で圧痛点を探すのに手の届かないところはなく、一人でもそう不自由はない。しかし、やる気のある元気な人たちがスタジオに集まって下さることほどありがたいことはない。


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せっかく操体法を知ったなら、持ちかえったお土産を周囲の人に分けて楽しんでほしい。しぜんに、おのずと、気がついてみたら自分の周囲が操体法の輪でつながっていたというふうになったらいいなと思う。
操体法にはそれができる。筋肉がゆるむのもきちんとわかる。知識も道具もなにもいらない。いつでもどこでも自分とともに操体法は生きている。


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※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下)
    またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)
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化けの皮がはがれてきたのは自分のほうだった
2011/04/10(Sun)
ほんもの。にせもの。クセモノ。相手の化けの皮がはがれるのが、にせもの。身構えていた自分のほうの化けの皮がはがれてきて、「参りましたー」となるのがほんもの。
操体法で自分の化けの皮をせっせとはぎ落とすのが今の私の日常だ。

「健康法の先生のところに行くと体がラクになる」ということで、生活の一部として毎週通い、気づいてみると十年以上が経過していた。ただ楽しかった。駆け込んだらラクになる。それだけだ。娯楽、もしくは自分の安心と安全がある程度保証される場所だった。
「操体法をやっている」とさえ、思ったこともなかった。目の前にある操体法に気がつかないまま、長い年月を過ごした自分は、幸せだったと思う一方で、いくらなんでもうかつだったとも思う。


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操体法とともに十九年歩んできたというのは、まちがいではないが正確でもない。その半分以上の年月を、操体法という名もよくわからずに、ただおもしろい、ただ楽しい、ただ体が軽い、ラクだ、まことにけっこうなものだということだけで過ごしたのだなあと思う。
不定愁訴の多い自分だったが、その不定愁訴のしばりがほどけていくのが、ただただうれしいのだった。
週に一度は「先生、ここが結ばってほどけなくなっちゃってる」と言いに出かけて行く。すると、「こうするんだよ」と動きを誘導し、ぱらりとほどいてくれる。
ただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。そこから先のほうを自分は求めなかった。ただラクになればそれでよかったのだった。

いつの頃だったか、「自分のやってるこれって一体なに?」と好奇心がわいてきた。
先生のお宅の本棚に並ぶ背表紙を見て、一冊読んでみた。正直いうと読んでガッカリした。なあんだこんなものだったのかと思った。
それからさらに数年が経ち、再び気持ちが動いた。母の買いこんだ本が山ほど置いてあったのを一冊手にとって開いた。驚いた。「しまった。これが創始者の書いた本だったか」。
それが『からだの設計にミスはない』。

ひととおり読んで、ひととおり感動したら、うかつな自分は忘れてしまった。講習会に参加しても、おもしろいとも思わない。なぜ、あんなにつまらなく思えたか、今の自分には見当もつかない。よほど救いがたい人間だったのだろう。

操体法を長く続けさせてもらったことに一番感謝している。途中で何度かやめかかったのを「いやいや、ここでいくばくかの時間を節約したりお金を節約してみたところで、ろくなものに使うこともないだろう」と判断できた自分だけは、えらかった。
ほんものか。にせものか。クセモノか。続けているうちに相手の化けの皮が、はがれてくる。
ほんものを続けているうちに、「だまされないぞ」と身構えていた自分のほうの化けの皮が、はがれてくる。「あれれ?」となって、「参りましたー」となる。
ここがおもしろいところだ。

操体法で自分の化けの皮をせっせとはぎ落とす毎日である。

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※操体法講座ますます充実してきました。いっしょに始めましょう。
※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
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世界で自分にしか発見できない、自分のからだの真実-操体法でできること-
2011/04/07(Thu)
毎日山へ通って心身ともに強くなろう。そう発起して、朝一番に出かけていた。山から戻ると一日の大半が終った気分。午後ともなると、もう翌日に備えた。
少しの疲れや足腰の痛みも放っておけない。大いに操体法を活用した。歩きながら疲労のたまりやすいポイントを点検し、気になるところを見つけては、その都度、立ち止まってゆるめた。その日の調子にあわせて歩く速さやコースを加減する。体力よりもむしろ判断力のほうが試される。そのことに気がついた。
「しまった、やり過ぎた」と思ったときには取り戻すのに数日かかったりする。どの程度の疲れを、痛みを、自分はどの程度の時間をかけて解消できるのかということも、こまかくわかってくる。


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歩き出してしばらくするうちに、その日の体調がつかめてくる。動いてみるまでわからないものなのだ。
科学が進んだといわれる今の時代。何もかもが解明されつくした世界のように思われて、自分が生きていても仕方がない感じがしていた。自分の知らない遠いところに、正しい答えを握っている優秀な研究者や学者たちがいて、ただの人であるにすぎない自分に、無力感をどこかで感じていた。
しかしそうではなかった。自分だけが発見できる、自分だけの真実があるということを、操体法は教えてくれる。
操体法ではいつでも自分が主人公。これが感動せずにいられるだろうか。
さあ今日はどんな自分に出会えるか。
そんな気分で朝を迎えるようになった。

歩き始めて二年目の、5カ月目が過ぎようとしている。今は、毎日山を歩くというのではなくて、川べりを歩いたり、歩きたくないと思ったときには怠けてよい日もある。日によって加減がわかってきてメリハリが出てきた。
怠けるのもまた楽し。
鍛える、というと、自分の力を出し切るか、持てる力以上の力を出すことだと、自分はどこかで叩きこまれてきた。これを十割主義、十二割主義とでも言おうか。
「操体法は六割主義」という。ギリギリまでがんばっては、よい結果を得られない。鍛えるには、ほんのちょっぴりを続ける。ずっと続けることが可能なくらいの量を、長期にわたって続けてみろという、その意味がわかる気がする。六割の加減を身につける、よい機会となった。

いっしょに操体法に取り組んでいただいている方々にも、操体法でさらに深い感動を、もっともっと発掘してもらえるよう、願っている。六割主義で、長く続けられるペースを加減して、どうぞ取り組んでみられてください。


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※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
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私のまわりに芽ぶき育ちつつある元気ネットワークの中で
2011/04/06(Wed)
操体法で自分の周りを元気にしろ。それが自分の身を守ることになる。体調わるい人間ばかりで集まっていたらそのうち自分もやられてしまう。
操体法を知ったばかりの頃にそのような話を聞いた。後にも先にも一度きりだったが、真剣味があったのでおぼえている。

「病人ばっかりのところにいると具合がわるくなる。病棟に足を踏み込むと、ううっと息がつまる」と顔を引きつらせながらグチをこぼす。実習期間中の医学部生。
「病気の人だって、病人ばかりの中に入ったら、なおさら具合わるくならないかなあ。だいじょうぶですかねえ、病院。おんなじ病気のひとばっかり一か所に集めちゃって」。
実習で現場を訪れるたびに疑問を感じるという。
腫瘍科の研究者や医者は、悪性腫瘍になる危険性が高い。心臓外科を専門にする人は心臓の病気に。医学部では実習期間を経て自分の科をしぼっていくことになるが、専門にした科に長くとどまれば、自分も病気をやるときは、その方面の病気にかかるリスクが高まるかもしれない。医療従事者になろうという人はそこらあたりしっかりすることも必要だろう。


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「一番危ないところが、病院。どんな用事があるときも建物の中には入らない。建物の外に出てきてもらう」という医学博士もいる。
「病院に行きたいときは、ちょっと元気になったら行けばいい。ほんとうに具合のわるいときには行かないほうがいいかもしれない」。そうアドバイスをくれる医療従事者もいる。
だいたいふつうで考えても、具合のよくない人のそばにいると、何らかの気の重さや体調の低下を感じるといった体験はめずらしくないだろう。
医療従事者はその事実を知ってはいるが、医学的に、その要因は何かということは、医学的事実としてきちんと把握されているのだろうか。

操体法の活動も、元気な人ばかり集まれば問題ないだろうが、じっさいそういうわけにはいかない。そういうことで操体法の活動については十年以上見合わせていた。自分の側にそこまでの自信が持てなかった。
しかし、自分の元気を追求していった結果、たどりついた結論がある。
自分一人が元気になるというのには、限界がある。
べつに構えたり無理をしなくたって、自分の大きさにあった元気ネットワークが、おのずとつむがれ、おのずと育ってゆくものなのだということ。

自分が活動を始めるにあたって一つ思ったことは、「自分の周囲に、明るい笑いの花を咲かせよう」ということだった。明るい花々に囲まれていれば、長患いしている人も遅かれ早かれ元気に向かうだろう。長く患っている人たちを知れば知るほど、元気ネットワークを広げてゆく必要を感じる。

私の身の周りには今、私自身の大きさ、私自身の身の丈にあった、ささやかな元気ネットワークがつむがれつつある。いかがでしょうか。ご自身の周りに、ご自身にぴったりの元気ネットワークを操体法でつむいでみられませんか。構える必要も、恐れる必要も、ありません。いつでも。いつからでも。

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※操体法講座ますます充実してきました。いっしょに始めましょう。
※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円。三名~2000円)
③一人でじっくり個別実習(一回3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 
※公開講習5月の予定! 土曜は18日・25日と、水曜22日が決定しています。
  14時以降、飛び入りで自由に入れます。西鉄高宮駅3分。

 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下)
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カゴの中の鳥にせず、地元住民が自由にはばたけるような支援を
2011/04/04(Mon)
東北の生産者に支えてもらっていた食糧が失われ、東北地震は別の実感をともなって私にせまってくる。
戦争も災害も、破壊という点から見れば同じ。復活再生にともなって必ずや大きな需要が発生する。大きな需要は経済の活性をもたらす。これも、自明の理だ。
1950年の朝鮮戦争で日本の経済はよみがえった。朝鮮半島の戦争は、多くの物資をその地で大量に消費し、大量に破壊したのである。そして失われた物資の供給を日本が担当し、経済活動と金が日本を元気にした。

阪神大震災で起こったことを、ジャーナリストの小田実が書きあらわしたものがある。うかつながら私は震災の何年も後になって見つけた。ショッキングな内容だったが、それだけに、これこそ事実と思った。洋の東西を問わず、人間社会では同じことの繰り返しだ。破壊のまっただ中で泣く人間がいれば、笑いが止まらない人間もいるものだ。小田実が生きていたら、これからの東北について何を言うだろう。そう思わずにはいられない。

私はしばらく東北のものは食べず、心ならずも別の産地のものを食べることになるだろう。もちろん私は東北の生産者たちが復活再生すればそちらに戻る。
しかしそういう個人消費者ばかりではなかろうし、取引先といった組織体ともなれば、事情もいろいろと出てくる。東北の人たちは未来のビジネスチャンスをも失うリスクが大きい。そのことを、これからもずっとずっと忘れてはならない。

災害で失われたさまざまなものは、再び「誰か」の手でつくられ、再び「誰か」と「誰か」の間で売買が行われ、そうやって町がつくられ家がつくられてゆく。おそらく、その「誰か」というのが東北地域の地元の人々である可能性がほとんどないのではないか。
表面上の町や家といった「ハコモノ」は立派に復興復活する。目に見えるところが完成すれば正常になったと思う人もいるかもしれない。
しかし目に見えない問題はそのままだ。暮らしの再生をどうするか。東北の人々の生きている証拠としての、生きがいとしての生活活動のほうが、復興のほんとうの主役。はるかに重要だろう。

今の自分たちの避難所暮らしを「カゴの中の鳥」と表現した被災地の方がいる。
カゴの中で生きているのは、生きた心地がしないだろう。立派なカゴの中で生きるより、自由に空をはばたける地域の人々の営みが再生されることに、たくさんの助けの手が長い長い期間、これから差し伸べられる必要がある。自分のなかなか回らない頭が、こんなことを考え続けている。考えないではいられない。

東北地震で生き残った人の中にも、立派に動ける人はいる。すぐにでも仕事を再開したいという人もいるだろう。地元の再生復活は、出来る限り地元の人たちを優先し、自分たちの地元のビジネスとしても、生きる活動としても、そして心の再生としても、取り組めるようにできたら、それが一番いい。そしてそれが当然のことだと、私は思う。
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