fc2ブログ
2011 02 ≪  03月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2011 04
今の日常を続けていった先に、私のエベレストは見えるか
2011/03/31(Thu)
誰にも遠慮することなく自分の体に備わったものありったけを発揮させたらと思う。まだ発揮せぬまま自分の中に眠っているものがたくさんあるような、つぼみが開きかけのまま、しおれかけていくような、そういうのは一番イヤなのだ。
子ども時代がアレルギーやらアトピーやら手術や打撲やらでぐずぐずだった。二十代前後は胆のう炎や肝炎で一騒動した。三十代前後は息切れがしたり神経痛がひどくなったりで、体調の安定はついぞ得られなかったのだった。
何としてもパワフルかつ安定をしたいという気持ちが、私の中のどこかでつねにくすぶっていたのだと思う。

操体法に通い出してから、腰をすえて仕事をやった。受験指導の仕事にかまけて体のほうのことはまるきり怠っていたが、安定感がついてきた。操体法を五年ほどやるうちに、仕事だけでは物足りなくなって毎週山歩きに出かけるようになった。こんなに歩けないかというくらいに息が切れ、足腰がつらく、小さな子どもや老人たちにもついていけなかった。山の頂上は一生かかっても行けないような、遠い場所だった。
それでも操体法と山歩きをセットでねばった。すると三年ほどしていきなり歩けるようになった。荷もかつげるようになって夢のようだった。自分がそれまで知っていた自分でないような、力が内側から湧いて出てくるような感覚があった。眠っていた自分の力がとうとう発揮されるときが来たのだ。もうこうなったら全てを投げ捨てて山歩きに専念しよう。そんなことを考えていた。その手始めに、八ヶ岳全山縦走を成功させる心積もりをしていた。その夏をどう過ごすか、頭の隅で考えていた矢先の交通事故だった。

全てを交通事故のせいになどする気はない。
しかし自分を試すことがすぐにはできなくなった。少なくとも次のチャンスをつかむ時期を待たなければならない。失ったものは大きかったが、得たものも小さくはなかったのだから、世の中うまくできている。
あれは錯覚だったのだろうかと思うことがある。自分の中に眠っていたものが目を覚まし、自分の内側から力がどんどん湧き出てくるような、あの感覚。あれは自分のカン違いだったのか。あのとき事故にあわなかったとして、八ヶ岳に出かけていたら、どの程度通用していたものだったろう。そういうことを考えることも、ある。
成功していたかもしれない。失敗していたかもしれない。もし失敗をしていたとしたら、その要因のいくつかを、今の自分ならば指摘することができる。成功していたとしたら、それはただのがむしゃら。運まかせのようなものだった。

事故から四年。事故で得たものを身につけた今の自分は、この先の自分がふたたび山を目指せるかどうかを日々考えている。考えない日はない。だから操体法も真剣に取り組まざるをえない。
山に行こうが行くまいが、大したちがいはないさと自分にうそぶいてみせる。しかし行けるようなら行ってもかまわないじゃないか。
今の日常を積み重ねていった先に、自分の山は、見えるのか。
見えるのなら、それが五年先でも十年先でも、わたしはかまわない。
今度こそ。チャンスが見えたら、絶対につかんでやる。
ここから先の、巻き返し、挽回を、操体法に賭けて、まだねばっている。ネバーギブアップだ。

いつでも始められる初心者のための操体法基本講座
(毎週木曜日に開講。好きな時に参加できます。13時30分から2時間ていど。参加費二千円)

仕事として操体法を考えたい方のための操体法講座(少人数制。参加費二千円)

お一人で個別に受講を希望される方、もしくは施術
(都合のよい日時をご指定ください。初回三千円、二回目以降二千五百円)

そのほかのご要望はお申し出ください。080-1720-1097(山下)まで

スポンサーサイト



この記事のURL | 未分類 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『万病を治せる妙療法』というタイトルはほんとうなのか
2011/03/31(Thu)
万病を、治せる。逆に言うと、何をどうやったって治ってゆく方向を向かないような、そんな病気はそうそうないのかもしれない。
回復の方向に進む限りは勇気と希望が持てる。治らない方向に進むのは、困る。
「ありとあらゆる病気を、治ってゆく方向に向けてゆくことができる。そういう方法があるんだ」。そのようにこのタイトルを解釈することもできる。

そんな方法も、ないと断言はできない。なぜならば、生きものの体には、ありとあらゆる病気やケガに対して、治ってゆこう、回復してゆこうという自己回復力が備わっているからです。そして毎日、四六時中、私は体に備わった力に身をゆだね、お世話になりっぱなし。自分の体に備わった抵抗力や回復力が、まっとうに機能さえしてくれるならば、ありがたいことに、あらゆる病気は回復のほうへ向かうでしょう。

しかし、生きものの体にどれだけの自己修復力や自己回復力が備わっているか。そこのところがまだよくわからない。「奇跡の回復」という言葉で片付けられてしまうことが多いのも、生きものの体の本当の実力がわかっていないからかもしれない。じゅうぶん沢山の実例があるのだから、誰にでももともと備わっている力が当たり前に発揮された結果だと考えるのがまっとうでしょう。
「奇跡の回復」の一方で、「不治の病」「一生つきあっていかなければならない病気」で片付けられることが、あまりに多すぎるように思われる。
自分だったら、「奇跡の回復」とか「不治の病」とかいう言葉で自分が片付けられてしまっては困る。げんに私は自分の「不治の病」を自分のやり方でたくさん克服してきた。自律神経失調症、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、背骨の打撲、坐骨神経痛、肋間神経痛、偏頭痛、肝炎、ムチウチなどなど。どの場合も医者から立派な太鼓判をいただいた。一人の医者からではなく、何人もの医者に、「不治の病だ」と、ずっと太鼓判を押され続けた。
だから誰の意見もうのみにする気はない。自分でやってみて確認して、初めてわかることばかり。奇跡とは思わない。私一人に起こったことでもない。誰にでも当たり前に起こること。

高度医療とか予防接種といったものの背景には、生きものの体に備わった抵抗力や自己修復力への不信感が見え隠れしているように思う。何かをしてやらないと生きものは病気に対して無力だという考え方があるように思われるのです。
「自分は無力だ」と決めつけて何も工夫をしないうちから、他人の専門技術である手術や薬や予防接種に頼るその前に、自分の体に本来備わっている抵抗力や回復力がどの程度のものなのか、自分で確認することもできます。確認方法は実にカンタンで単純。筋肉を基準にするとよいのです。触ってみるのもよいし、動きから筋肉の状態を判断することもできます。そのやり方の有用なヒントを操体法からたくさん引き出すことができます。

ありとあらゆる病気、万病が、どこまで治るのか。
どういう状態を治ったというのかさえ、病院も医者も患者のほうも、まったくあやふや。
患者が治ったと言えば治ったのでしょうか。医者が治りました、もう来なくてよろしいと言ったら治ったということになるのでしょうか。あやふやなままに、治るとか治らないとか言われているのではないでしょうか。

治る方向性が自分自身ではっきり感じとれる、実感できるということはだいじにしたい。方向性さえまちがっていなければ、改善を積み重ねた先に完全治癒が待っている。
しだいにラクになってゆき、自分自身も納得できる。希望や勇気を持って過ごすことができるわけです。
治ったというのなら慢性化も再発もしないはずです。数年後、数十年後にでも元の症状が出たとか、病気が再発したというのなら、歩んできた方向が治る方向だったのか、再検討する必要がある。そういうものではないでしょうか。

ありとあらゆる病気を、治らない方向ではなく、治ってゆく方向へと向けてゆく。これなら実現も可能です。
自分の体に備わった抵抗力や回復力が、まっとうに機能さえしてくれるならば、ありがたいことに、あらゆる病気は回復のほうへ向かうでしょう。
もしも体にそのような抵抗力や回復力が備わっていないとするならば、これはもう何をやっても回復の見込みはないと考えるべきです。どんな高度な治療を受けようと、どうしようかと頭をひねっても、何の役にも立ちません。
病院の医者もよく言いますね。「あとは本人しだいです」と。「本人しだい」とは何でしょうか。本人の気の持ちようでしょうか。気持ちでそんなにカンタンに治ったり治らなかったりするものなら苦労はないわけです。人を生かしている自然の力というものは、人間の意志を超越した働きがあるからこそ、人は自然に振り回されるのではありませんか。

「本人しだい」というのは、何のつもりで言われているのでしょうか。気持ちよりも、もう少し具体的なもの。本人の体に備わった体力、回復力、修復力といったようなもの、生命力とでもいうようなものではないでしょうか。体に備わった力の働きがしっかりしていなければ、どんな病院もどんな医者もどんな高度医療も、何の結果をもたらすこともできない相談です。
最終的に頼りにするのは本人の体の持つ力だということです。体だのみ、なのです。手術だのみでも、薬だのみでも、ない。体以上のことを期待してもしょうがなく、それ以下のことと決めつけて投げる必要もないと思います。
自分が自分の体の実力のことをわかっていれば、不安や恐怖に振り回されるという、最悪の事態を避けることができます。治っているか治っていないかが、自分でもよくわからないような、目隠しの状態も望ましいこととは思われません。
『万病を治せる妙療法』のタイトルを、ウソにするも、まことにするも、すべては自分自身にかかっているのではないか。それが今の私なりの結論です。


いつでも始められる初心者のための操体法基本講座

(毎週木曜日に開講。好きなときに参加でできます。13時30分から2時間ていど。参加費二千円)

仕事として操体法を考えたい方のための操体法講座(少人数制。参加費二千円)


お一人で個別に受講を希望される方、もしくは施術

(都合のよい日時をご指定ください。初回三千円、二回目以降二千五百円)

そのほかのご要望はお申し出ください。080-1720-1097(山下)まで
この記事のURL | 万病を治せる妙療法 操体法 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |