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食べ物たちの素顔が見えているか
2010/12/10(Fri)
ゆで卵を一度に10個食べたがる人は少ないけれど、卵10個を泡だてて粉と砂糖を混ぜてから焼き、バタークリームを塗ったら苦痛なく完食するのではないか。病気に一番苦しめられた子どもの頃は料理が好きで、毎日クレープを焼いて食べていたが、考えてみると3~4個の卵を数分で平らげていたことになる。牛乳は1日あたり1~2リットルを飲み、クッキーやバタークリームをつくるとバター1箱があっという間になくなった。自分でも多いように思うこともあったが料理本の指示に従った。肉料理も得意で、気が向けばいつでも自分で料理して勝手に食べていた。
当時の私のアレルギー症状はひどかった。しかし体重が増えることがなかったため、医者からも周囲の大人からも注意されることはなかった。我ながらよくそんなものを食べていたなあとあきれる。

炭酸水1缶には角砂糖10個ほどが溶けこんでいるという。角砂糖を口いっぱいにほうばって平気な人はいないだろうが、炭酸水なら一日4~5本くらいはいける。角砂糖40~50個という驚くべき量となるが、炭酸水というかたちなら飲める。飲めてしまう。クッキー1枚を気軽につまむと角砂糖を一つ口に含んだのと同じになる。スプーン一杯の砂糖そのままだったら甘過ぎると感じても、飲み物や粉類に混ぜられると気がつかないまま大量に摂取できる。無意識に山ほどの砂糖を摂取するのだから恐ろしい。
ゆで卵を10個食べるのならうんざりしても、卵10個を泡だてて、小麦粉とお砂糖をさっくり混ぜて焼き、そこにバタークリームでも塗れば苦労なく食べられる。これはもう不思議を通り越して不気味な現象である。

お肉もお砂糖も「食べ過ぎ」はいけないと言われる。しかし誰にとって、どういう場合に、どのくらいの量が食べ過ぎではなく、誰の、どんな場合には食べ過ぎになるのか。そこのところは本人まかせである。適度にだったら食べてだいじょうぶというが、実際には食べ過ぎの後遺症で苦しんでいる。もちろん本人は十中八九、否定する。「たったあのくらいの脱線が、どうというのだ。みんなだって食べてるじゃないか」と開き直り、すべての病気の原因が食べ過ぎだとは、ぜったいに認めない。
私は人一倍の食いしん坊。それがわかっているから18歳で大病してからは自分の胃袋にはうまいものを与えないよう気をつけてきた。一口食べるとどうなるか、自分でもよくわからなかった。食べれば食べるほど欲望が暴走して苦しい思いをするのはもうたくさん。そんな気持ちだった。
近年は年齢のこともあるかもしれないが一口や二口、口にしてもそれで特別うまいとも感じない。高級肉だろうが高級菓子だろうが、危険をおかしてまで食べることもないくらいの味でしかない。高級だろうと何だろうと、肉も卵も小麦粉ももとは輸入穀物が化けたもの。日本の港に着いたときにざあざあと薬のシャワーがふりかけてある。船会社勤務をしていた方に直接話を聞いたので確かだろう。「さすがにあれを見てしまうと輸入のものは食べられんのよね」という。華々しい演出によって高級品とまつりあげられる食べ物の、中味はどんなものだろうか。あなたの目には食べ物たちの素顔がきちんと見えているだろうか。

お肉が好き、甘いものが好き。それは問題ではない。腹がふくれるまで、というのが問題である。乱暴にぱくぱくと口に放り込むのが問題である。一口か二口、ちびりちびりと味わう。味わったら利き酒師のやるように、吐き出すのもいい。そういう嗜好品のあつかいでちょうどよいように私には思われる。そこまでして食べたいかという向きもあろうが、そこまでしてでも食べたい時もあるだろうと思う。甘いものというのは味わうためにある。主食と同様のあつかいで胃の腑に入れた満足感を求めるものではない。そういうことにしておいてはどうだろう。

現在の自分は食べ物はできるだけ農産物のかたちのままで単純に食べる。これならたとえ食べ過ぎたとしてもたかがしれている。おやつはカボチャ、サツマイモ、それにリンゴ。粉類がほしいときは水と塩でよく練ってうすくのばして焼くか、味噌汁に入れる。調味は塩、しょうゆ、味噌。食材そのものの味が一番おいしく、何度食べても飽きない。感動する。油は極上のごま油を使うが一度にさじ一杯以上を使うことはほとんどない。それでじゅうぶん感動が得られる。逆に、食べる量を増やせば増やすほど感動は失われる。訪問者には同じものを食べてもらうが好評で、あながちお世辞ばかりともいえまい。種類をあれこれ増やさず、旬のものに集中する。そういうのを「ばっかり食」という。自分の気に入ったものばっかりを食べる。食事で体調をくずすということもなく、ややこしいトラブルともおさらばだ。これ以上、食べ物のことは考えないのでものすごく気がラクだ。
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米がおいしい病気知らずの食卓
2010/12/10(Fri)
何人か集まって操体をする日にはたいてい米を炊く。体を動かし終わる頃には小腹が空く。家事をあずかるお母さん方は夕食の用意などもあるから、時間のある方はちょっと食べていきませんかと声をかける。
人を招く時はご飯。招かれた時もご飯。純粋に米を炊いたのが私は好きなのである。「夫がね、あの人が来る時は何を出そうかいろいろ考えなくて助かるだろ、なんて言うの」と知人に冗談まじりに言われたことがある。そう。そのとおり。私は米を炊いたのがほんとに好きだ。

ご飯を食べるときには塩、醤油、海苔、梅干を出すことにしている。これ以上のご馳走を私は思いつくことができない。けっこう評判もいいので続けている。日本人はみなお米が好きなのである。
「ふだんはオカズ食べるのに忙しいんですけど、ご飯ってこれだけでこんなにおいしいんですね」
「もうなんにもいらない。ご飯って甘くておいしい」などと言いながらもくもくと食べる。
「うちのとちがう。ぜんぜんおいしい」と、連れのお子さんなどが言って、ひやっとさせられることもある。米はよいものを使っている。水もよいものを汲んできて前日から仕込み、よい鍋で炊く。火にかける前に少量の塩を入れるが、その塩は伝統的な製法による藻塩。醤油も梅干しもなかなかぜいたくなものを出している。すべて自分がふだん食べているものとまったく同じである。

米と塩と味噌と醤油。これさえしっかりした本物でそろえておけば、みな満足するはずだ。それにネギと豆腐とワカメを加えて味噌汁でもつくれば上等すぎるくらい。炊いたお米を中心にした食生活は病気知らずでもある。最高のご飯を分かち合って食べるのは無上の喜びだ。献立に悩んだときはぜひお試しください。
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