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体の動きのクセをとる・心の動きのクセをとる
2010/09/30(Thu)
「どうして自分っていっつもこうなってしまうんだろう?」もやもやとした、ある感情の動きに導かれ行動にうつしてゆくと、遅かれ早かれ身動きがとれなくなる。
やりたいとも思わないようなことを何度も何度も飽きずに繰り返す。それがクセというものだ。愚かなことで自分はいつも苦しむわけだから、どうにかしたいと思うのも当然である。それではどうすればよいのか? クセを取る。カンタンなことだ。それしか自分は方法を知らない。

操体に助けられ、よかったよかった、では終わらない。操体とはこんなもので、自分とはこんなものだと決めつけるのは簡単だが、答えが決まればつまらない。思考は停止。好奇心も涸れればそれで終わり。
だから操体とはこんなものか、こんなものにすぎないのか。それともまだ先が、もっと先があるのかと、追及をしている。それは、自分とはこんなものか、こんなものにすぎないのか。それともまだ先が、もっと自分にも先があるのかと追及することでもある。限界を感じたり、限界を抜けたと感じたり。それをただ繰り返す日々である。
操体をたよりに体を整える。気に入らないことがあったり、思い通りにいかないことがあれば、自分を信じてせっせと体を整える。それ以外に私は何も知らない。それ以外にもっと簡単でよい方法があったら教えを乞いたいとも思う。

仲間どうしでいさかいを、した。ささいなことで気まずくなり、しばらく疎遠になっていた。操体をしているというのにこんなにいじけてしまうとは自分の操体もまだまだ大したことないなと情けなくなるが、どうしてよいのかわからない。素直になれないのである。
まったくこんな気分は久しぶりだと思った。よくこんな気持ちを抱えてみぞおちのあたりを硬くしていたこともあったと思う。かたくなで孤立して、ひねくれた十代の子どもにでも返った気分だ。
そんなとき師匠からいきなり「操体法はクセをとるものだ」と声をかけられた。「この動きはいけない」と、私の足を思いきり叩いてケチをつけてきた。「クセで動くから、ほら、コリが取れない。ちがうんだ。足の指の先から反って。次は足首を反って。末端から中心に向かって動きを入れていく。さあもう一度」。なかなか取れなかった痛みが、すっと消えた。「ほうら取れたろう。クセで動くと取れない。クセはワガママだ。動きのクセを取ると、コリも取れる、痛みも取れる。我流じゃダメ。作法はだいじ」。

操体法は、ゆがみ=クセを取るものだった。ああそうだ、そういうことだったと思った。人の行動というのも動きの連なりにちがいないのである。そうとなればクセのある動きの積み重ねで間違った行動がつくられるというのもあながちウソではあるまい。感情のゆがみは心のゆがみ。そこから出てくる思考や感情はクセだらけ。自分でも気づいている。失敗する時には、ある一連の、もやもやとした感情の動きのパターンが、ある。その感情の動きのパターンに導かれて行動にうつしてゆくと、遅かれ早かれ身動きがとれなくなり、しばらく苦しむことになる。「どうしていっつも自分って、こうなってしまうんだろう?」と頭を抱えることにもなる。やりたいとも思わないようなことを、何度も何度も飽きずに繰り返す。それがクセというものだ。そんな愚かなことで自分はいつも苦しむわけだから、どうにかしたいと思うのも当然である。
それではどうすればよいのか? クセを取る。カンタンなことだ。それしか自分は方法を知らない。

動きのクセが、一時的にでも取れて、コリが取れ、痛みが取れた私は、身を軽くして、その帰り道に疎遠にしていた仲間にメールを出した。ほどなく返事はかえってきた。「またメールできるようになってうれしいよ」というような他愛のない文面だが、互いのわだかまりは消え、しばりはほどけた。こんなにカンタンなことだった。互いの感情の流れのクセ、行動のクセは、もうとっくに了解していたはずだったのに、つい気がゆるんで我を通そうとした。それがワガママというものだった。何とクセの強い自分だろうか。呼吸も、飲食も、行動も思いもクセだらけ。それを「自分の個性だ」などと言って大切に守ろうとするのも各自の勝手だが、そんなヤワなものではないから安心していていい。取っても取ってもタケノコのように生えてくる。それがクセのおそろしいところである。
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世界が百人の村ならば人類社会のトップ10に入ってしまうこの生活
2010/09/20(Mon)
戦中には多くの子どもが腹をすかせて死んでいったし、今も世界には飢えた子どもが沢山いる。この事実を否定する人はいないけれど、この事実を目の前にしても暴飲暴食で体を壊すのも人間。グルメ番組が下品と言われるのもこうした点においてと思われる。食べ過ぎることに地球規模の、もしくは歴史的な規模での罪悪感を、多少でもおぼえることがないとなれば傲慢とも品がないともいえるということだろう。
自分の通った大学では第三世界の話を聞かない日が1日としてなかった。学生は話のたびにいたたまれなくなり、卒業と同時に第三世界へ飛びこんでいった人も少なくない。
じゅうぶん食べている日常に多少の罪悪感をおぼえても不思議ではなく、生きる罪悪感をまったく感じないほうがむしろ不思議なくらいな状況だが、現実はそうとも限らない。足もとに敷かれている屍の山に目を向けることなく、踏みつけて歩くことに慣れていかなければ、心穏やかに過ごすことなど自分にはとうてい無理な話だと、そんな気持ちでいることも少なくなかった。

密教の世界にしばし身をおいた体験の中で、別の解釈を与えられたことがある。
食事の前に唱える言葉があった。その意味するところは、「これから口に入るものは、私の体を通じて自分の先祖のみなさまに食べていただくものである。さあどうぞお食べ下さい」というものだった。自分の口に食べものを運ぶのであるが、それが同時にゆかりのある人々に食べてもらうことにもつながる。自分の行動はどこかにつながっているという気づきをリアルなかたちで与えられた思いがした。この小さな儀式を私生活に取り入れることはしていないが、何かを口にするたびにこの言葉を唱え、自分の行動が何かへの働きかけになるのだという思いをこめていけば、暴飲暴食などはおのずと減るだろうと思われた。自分の日常はまだ、こういう境地に至っていない。しかしこういう境地に至った自分の表情やしぐさを想像することは、できる。

もしも世界が100人の村だったら。十年ほど前に話題になった本を、再び開く。100人のうちの1人だけが大学を出て、コンピューターを所有し、100人のうちの8人だけが銀行の預金を持ち、財布に現金がある。となれば自分はこの地球上で上澄みにいる人間の一人だと言われても否定はできない。
私の周囲は社会の上澄みに済む人間がほとんどであり、そしてその誰もが「自分は人類社会のトップ10の集団にいる」とは思いもよらず、人として当たり前の、ふつうの生活を営んでいると信じてやまない。いやそれどころか不満や恐れや心配事をいくつも抱え、「自分は世の中でもっとも不幸な人間の一人ではないのか」という疑問を感じることも少なくない。人間はよほど救われようのないものだ。かえって金のない人間のほうが「金があれば幸せになれる」という期待を多少なりとも持っていられる。金のある人間は「金があっても人は幸せにならない」という事実を苦い思いで噛みしめていなければならない。「こんな自分の生活が人類社会の上澄みというのなら、もう人類社会にはがっかりだ」という人もいるかもしれない。

もちろん、大学を出ているとかコンピューターを所有するとか預金や現金の所持とか、そういうことで人間が「恵まれている」かどうかの基準とすることには最初から無理がある。しかしたとえ病気や怪我を抱えていても、戦争・投獄・飢えに苦しむこともなく、逮捕や拷問の恐怖にさらされることもなく、寝る場所の心配もないとしたら、人類社会全体から言うと、当たり前というよりは喜ぶべき幸運。その幸運をどう使うのかは個人の自由であるが、せっかくならば、遊び食いやどうでもいいことばかりに時間をつぶさないで、どうでもよくない事柄にじっくり取り組むチャンスとしたい。時間をさいてみんなで集まって、操体法の研究にじっくり取り組むなどという時間は、それほど貴重でぜいたくなものなのだ。奇跡に近い。そう感じる時がある。
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ウォーキングは山歩きよりハードですよ…?
2010/09/17(Fri)
結論からいうとそうもいえる。人体で一番大きく頼りになるのは尻の筋肉で、上り坂の前傾姿勢で活躍し、負担の多くを引き受けてくれる。山歩きはとくに上半身がラク。ウォーキングコースで人が歩くのを見ると、肩や背中をいからせて兵隊の行進みたいな人が多い。しかし山ではその人なりのしぜんな姿勢と歩き方ができている。階段を昇るときはしぜんに肩がおりるだろう。背中にも余計な力が入っていない。階段を下りるときはもっと力が抜けている。体の使い方が切り替わるのだ。自動的に切り替わる。反射である。意識しなくとも、体にはたくさんの反射行動が内蔵されて合理的に、動いている。

山を歩くがいいか、平地(ひらち)を歩くがいいか。それはその時の自分の体に貞く(きく)しかあるまい。
ウォーキングは習慣になるとどんどん楽しくなるというイメージが定着しているが、自分はぜんぜん違う。ウォーキングばかりやっているとだんだん苦しくなり続かない。ウォーキングはもう一口も入らないという日がくる。そんなとき山に行くとウソのようにラクだ。それでしばらく山に通う。嫌になるまで通う。そしてまた平地に戻る。平地も山もうんざりするとキャンプで外寝(そとね)をする。もしくはしっかり、さぼる。これがたいそう嬉しい。しかしさぼるのも長く続かない。嫌になる。するとまたふらふら出かけている。性懲りもない話ではある。

今日は久しぶりに近所の低山にさまよい出た。すっかり秋の気配である。ツクツクボウシが鳴いているが、これもあとしばらくのことだろう。そう思いながら履物を脱いで手にとった。靴をはくという当たり前のことさえ耐えがたいときがある。ハダシはここ二、三年がかりで少しずつ、なれた。今はウォーキングも山歩きも、ハダシが多い。ハダシになると、また体が切り替わる。足の裏が地面をしっかりつかみ、股関節や腰が一気にゆるむ。ハダシは解放感があるというが、気分が解放されるということは身体も当然、解放されている。
ハダシも嫌になれば靴をはく。靴が嫌になったら、ハダシになる。私の話を聞いた人が真似してハダシで歩いたら岩で肌がめくれるケガをしたという。人の話を真似するのは気をラクにするからかえって危ない。自分もハダシは人真似である。橋本敬三先生の著書にもあったし、新聞で子どもたちがハダシで校庭を走り回る記事を見て心が動いた。しかし山の中でハダシになるというのは自分の思いつきだから、恐る恐る始めた。これが幸いしてか、これまでのところ痛い目にはほとんどあっていない。今ではいろんなところをハダシで気持ちよく歩けるようになった。

一つのことしか選択肢がないと、行き詰まる。無理を重ねる。妙なことに、健康によいと信じ込んだことを、無理を重ねて続けるという行為そのものに喜びを感じることも少なくない。しかしこれは本末転倒である。自分のお気に入りの選択肢はいくつもあったほうがいい。新しい分野を開拓するのは面倒だが、気が向いたときに少しずつやっておくと、順ぐりで楽しむことが、できる。
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悩み上手、苦しみ上手。
2010/09/12(Sun)
「生まれつきぼくたちは、悩み上手にできている。暗闇で映画まで、涙ながらにながめてる」
陽水の歌詞によると私たちは映画の中くらい楽しく過ごせばよいものを、涙を流すことを娯楽の一部にさえするくらいに悩み苦しむのが得意なんだという。
「これからも働いて、遊びながらも生きていく。さまざまな気がかりが、途切れもなくついてくる」
生きていく限り悩みの種は尽きない。そう歌っている。

病気を長く患っていると「この病気のせいで自分の人生つまらない」「この病気があるから自分は苦しい」というモードになってしまう。お金に困っていると「お金がないから苦しいんだ」というモードに入る。その一方で、体が頑丈で、お金がどれだけあったとしても、人には頑丈なりの、金があるなりの、悩み苦しみがつきまとうということも、わかってはいるのである。たとえ病気がウソのように治ったとしても、喜びは束の間。病気のない人の持つ悩みや苦しみの中に、どっぷりと浸った日常になるのも時間の問題だろう。

途切れなく悩み苦しみがつきまとうのが人間として生きていくこと。それはブッダも言っている。苦しいからといって、苦しみの理由をあれこれ探す必要はない。人が悩み苦しむのは、人として生きているからという、たった一つの理由による。
そう言いきってみると、むしろすがすがしい気分にもなり、誰をうらやむ必要もない。人間なら誰もが苦しいのである。悩みや苦しみの大きさを互いに競い合っても仕方がない。自分の悩み苦しみは他人が見ればどうでもよいようなことばかり。もちろん当人としてみれば、なかなか越え難い悩みでありプライベートな苦しみであることに違いはないのだが、人の悩みはどうしてこうも似たりよったりかと思うこともある。

「生きるのは楽しいはずなのに、どうして自分はいつもこんなだろうか」と悩むのは余計なことで、「生きるのが楽しい」というのは少なくとも当たり前のことではないのである。「悩み苦しみを、乗り越えて」という言葉をよく耳にする。乗り越えた先に明るい未来を予感させるフレーズだけれども、いくつ波を乗り越えたって、生きる限り、悩み苦しみは途切れもなくついてくる。だとしたら、そう無理してもがいても、よけい疲れて、よけいにがっかりして、よけいに苦しいことにもなるのかもしれない。
それでは人は、つねに暗い顔をして生きていくしかないのだろうか。
悩みや苦しみがあるのは当然。そう受け流して生きている人間の顔に浮かぶ表情のことを想像してみると、暗くもないが際立って明るいというのでもない、師匠のいつもの軽やかで涼しげな顔が目の前にぽかりと浮かんでくる。
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体操のあたま、ストレッチの頭
2010/09/03(Fri)
一つの筋肉を動かせばドミノ倒しと同じで、多かれ少なかれ、全身すべての筋肉が、その動きに参加してくる。操体法でいう連動(れんどう)である。どの筋肉も体のすべての筋肉と密接で複雑なネットワークでつながっている。ウソでない証拠にギックリ腰やどこかに痛みを持ったとき、人はいろんなことを言う。
「どうかした動きの拍子に痛みが走る」「こういう動きをしたときにはここと、ここが。ああいう動きをすると今度はこちら側のほうに、ひびく」
どうして動かしたときに痛みが走るんだろう。なぜ、いろんなところに「ひびく」んだろう。いろんな筋肉がつながって、遠くて関係ないと見えるものどうしが、実はしっかりとしたつながりを持って動きをつくっている。そういうことである。
体操やストレッチは「脇を伸ばす運動」とか、「背中や腰を伸ばす運動」とか、相当アバウトなことを言っている。しかし、自分では手をあげたつもりが膝うらを伸ばしたことになったり、足首を動かしたつもりが首を動かす運動になっていたりする。それが生きた人間の筋肉の事実だ。

解剖生理学の教科書に伸張反射というのがある。筋肉を引っ張って伸ばしてやると、それに逆らうように筋肉は縮む。筋肉を伸ばしているつもりのストレッチだが、筋肉の持つ性質の結果、縮こまってかたまったとしても不思議ではない。ストレッチを「気持ちいい~」とやって、「ストレッチをやったときは調子いいんですけどね~」というのに、その人はしょっちゅう腰が重いとか肩がこるとか首だ頭痛だと文句ばかり言っている。相当つらそうだがウォーキングやストレッチにはげむ。そんな人は周りにいくらもいる。それがおかしいとは誰も思わない。世の中そんなもんだろうと思っている。

体を動かすと「運動効果」がある。動かすだけで血液の流れが改善し、体温も上がって気持ちいい。しかしストレッチをやめてしばらくすると腰や肩のつらいのが戻ってきてしまう。根本の問題を片付けないままやっているから、悪くなったりもする。よくなったかと思うと、別のところがまずくなったり、キリがない。年齢や疲労のストレスが加われば悪化もすると、あきらめているのかもしれない。つらさや痛みの根本を考えないままでは、そこらあたりが限界。ストレッチにそれ以上助けてもらうつもりも、なさそうでは、ある。
小学生のころからストレッチが得意で、「体がやわらかい!」とほめられてもいたが、動きが入ると「動きが硬い」「ガチガチ」とえらく不評なのだった。そこで私はアクロバティックな姿勢をつくるヨガに向かった。ヨガ教室の先生からも「やわらかいですね~うらやましいなあ」などと言われて得意がっていたが、筋肉はどんどん硬くなり、神経痛や偏頭痛はひどくなっていった。12年の歳月をかけた努力の成果にたどり着いた結論は、ストレッチがやわらかい体をつくるというのは幻想だという苦いものだった。

「み~んな体操を小さいころからたたきこまれているからねえ~、体操になってるよねえ」と操体法の師匠は言う。はじめて耳にしたのは十年以上も前のことで、自分にはぜんぜん関係ないことだと私は思いこんでいた。
「だって、ゆっくりと、無理のないように、気持ちのよいほうへ、吐く息にあわせて動けばよいのでしょう? ほうら、ちゃ~んと、わたしはやってますよ」。
18年も操体法を続けてくると、誰に言われなくてもだんだんとわかってくる。外から見れば操体法だが、やってる中味は限りなくストレッチに近い。体操の感覚。体操の頭だ。真実の味は苦いが、わかってしまうものは仕方がない。

操体法は、体操やストレッチとはちがう動きなのだけれど、体操やストレッチしか知らない私たちは、最初のうちはどうしても、体操やストレッチの動きである。そこからスタートをして、少しずつ操体法の動きへと改善し、無理のない、ラクな体の動かし方を身につけていくほか、ない。
そんなにいろいろ、動きにも種類があるの? と不思議に思うが、これが、ある。あるということも知らないまま、今まで生きてきたのが、それを少し変えてゆくと、大きく変わる。

体操の頭、ストレッチの頭で生きてきた期間のほうが、私はだんぜん長い。一度身についたものを剥ぎとっていく作業はおもしろくもあるが、たいへんでもある。
こうして話すとむずかしく聞こえるけれど、やってみると誰にでもできる。動いてみるとすぐにわかる。すぐにわかるようなことだから、もっと早くに知っていればよかったと思う。
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虹を、見る
2010/09/02(Thu)
先日はこれまで見た中で一番大きな虹が立ち、目のくらむほど大きく立派なこの半円が、なぜ平和の象徴と言われるか、わかる気がしました。虹を堪能することは人間にだけ許されたことかもしれません。どんなに忙しい思いをしていても、どんなに大切な事でも悪事の最中であったとしても、手に武器を持って互いに命をかけて戦っている最中であっても、虹を見ないことの言い訳にはならない。そんな気がしてくるのです。何が虹を見るよりもだいじで、何がそうでないか、本当のところ誰にもわからないのではないか。そんな気がするのでした。

虹は数えるほどしか見たことがありません。考えてみると一つとして同じものはないのです。先日の虹はこれまで見た中で一番大きかった。地面から強く立ち上がり、青い空に向かってまっすぐに伸びていました。高く高く空を昇って大きく横切って、向こう側のどこか遠い街の地面にもう一方の足を下ろして立っていました。目のくらむほど大きく、立派でゆらぎのない完全な半円が、私たちの街全体をまたいで立ち上がっていたのです。夕方の散歩に出かけるつもりでドアを開け、いつものようにうちのビルの向かいに見える若杉山を確認したときに見つけました。若杉山を見ないまま階段を下りていたら気づかなかったでしょう。散歩をするようになってから、夕方になるとつい空を見上げずにはいられなくなるのです。光の様子が刻一刻を争うように変わっていくのを感じると、自分はこんなところでこんなことをしてはいられないという気持ちになって何もかも放り出して飛びだしてしまう。

空には毎日のように光と色彩と陰影の名画が広がっている。誰が見ているとか見ていないとかおかまいなく、地球の開闢以来、何十億年という膨大な月日の間、空には二度と復元できない不思議な絵画が刻一刻と姿を変えながら広げられているのです。空を見上げるたびに、いったい何をどうしたらこんな大胆な色と構図ができるのだろうと思います。自分には絵はわからないけれど、空を見上げるたびに感動するというくらいの絵心はあります。あの途方もない筆づかいは風のしわざなのでしょうけれど、さまざまな雲をこねあげては吹き飛ばしたり、そこにさまざまな色水をぶちまけたりして、同じものは一つもつくらない。とくに夏から秋にかけての夕方が、そんなふうなのです。
虹を見ながら私は、街ゆく人々に声をかけたくて仕方がなかった。「虹ですよ! 上、うえです!空を見て!」
私の眼下には東西をまっすぐに走る道路と南北をまっすぐに走る道路とが交差して、信号が切り替わるたびに人や車が溜まったり流れたりをくりかえしています。人々は、信号が赤と青に切り替わることで頭をいっぱいにして、中途半端に刻まれた時間が流れているあいだ、ちょっと空を見上げてみようという気にもならないようでした。信号が変われば落ち込んだ穴から這い上がってせいせいしたといわんばかりに散らばっていく。そんな中、一人の女性が自転車にまたがってじっとして、顔を上げては信号を見、信号を見ては顔を上げるということを何度か繰り返しました。息継ぎをするように角度を上げ下げしている白い帽子の中に、彼女の顔がはっきり見えました。目鼻だちがやや間のびした感じで、ぼんやりした表情をしたままで、信号の合図とともに動き出した人の波へと自転車をこぎ出して行ってしまいました。

私はいつまで虹がそこにいてくれるのかとヤキモキした気持ちを抱えながら虹から目が離せないでいました。虹は七色。そういいますが、本当でしょうか。七色と思うと、もう虹の色を見ようという気はなくなるのです。私は生まれてはじめて見るような気持ちで虹を見てみようと思いました。目の前の虹は、三色の帯が互いに重なりあっているように見えます。外側に赤い帯が広がり、中心には黄色の帯、内側には青みがかった色の帯が、互いに重なりあいながら色をつくりだしている。純粋な赤に、黄色と重なった橙色。そして純粋な黄色が青に重なって緑となり、そして純粋な青が赤くにじんで紫に終わる。なるほど虹っていうのは自分の目にはこういうふうに映るものなのかと、はじめて思いました。どう細かく分けても六色にしか見えない。そんなようなことを思いながら、ふと、この完全無欠な一本の虹を色分けしながら見ることじたいバカバカしくなってきました。虹はなかなか消えそうになく、私は家人に声をかけましたが、数分、いや数秒も見ればつまらなそうな様子で引っこんでしまいます。メールで知人の何人かに知らせるうち、果たして虹はどのくらいの範囲で見られるものだろうかと疑問に思われ、一人で持て余すほどのこの虹を、何とか自分で持ちこたえていくしかないような、そんな気持ちになるのでした。

しかし虹は誰かに教えたいものだし、誰かと一緒に見たい、共有したいと思わせるものです。私の足元には相変わらず夕方のラッシュでたくさんの車の行き来とたくさんの人の行き来が続いています。私はこの下界の営みを、制止したくてたまらないのです。「みんな、ちょっと待って。この虹をご覧なさい! これから消えるとわかっている、この立派な虹を見るより大切なことが、そんなにたくさん世の中にあるとでもいうの?」
虹を見ないための言い訳を探すことほど滑稽でおろかなことはないと私は思いました。ほんの少しの間、虹がかかっている間だけでも、その忙しい手を、足を、頭を、休めることはできないものでしょうか? 虹が、なぜ平和の象徴と言われるようになったかが、私にはわかる気がしてきたのです。虹を堪能するというのは人間だけに許されたことかもしれない。たとえどんなに忙しい思いをしていても、たとえどんなに大切な事でも悪事の最中であったとしても、手に武器を持って互いに命をかけて戦っている最中であっても、果たして虹を見ないことの言い訳にはなるのだろうか。そんな気がしてくるのです。何が虹を見るよりもだいじで、何がそうでないか、本当のところ誰にもわからないのではないでしょうか。
夕方の、土砂降りの後の虹は、西に沈みゆく夕陽の光を受けて、その色を濃くします。青空にかかったアーチがあまりにもしっかりして見事なので、街の建造物の一部のようにも見える。いや、街が虹の風景の一部のようです。虹は恐ろしいほどに強さを増していきながら、私たちの街全体を睥睨してそこに立っています。
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