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命の安全についてのダブル・スタンダード
2010/06/23(Wed)
日本で食べられている穀物や農産物には二つの安全基準がある。国内で生産された作物には安全性に厳しい基準。輸入ものにはゆるい基準。
たとえばここに小麦がある。殺虫や保存のために使用を許可されている化学薬剤とその使用法は、国内産の小麦と輸入小麦とでは種類の数といい使用方法といい基準が違う。しかし食べる消費者にとっては同じ小麦。消費者は小麦を素材とした「高級」和菓子や「高級」西洋菓子、パンや麺類などを食べながら日々生活している。どちらを素材にした食品も「素材を厳選しました」などという決まり文句とともに、調理、味付け、包装などの装飾を施されて店頭に並べられている。
国内で生産した小麦を、輸入小麦と同じ薬剤処理をしたならば、これは立派な犯罪。市場に出回れば「食べても人体に害はない」とされながらも「危険物」として一騒ぎされ、回収の対象となること間違いなし。
日本は輸入に頼らなければ食べていけないのだから贅沢は言っていられないが、だまされながら食べていくというのは何だかイヤである。国産をみんながもっと食べるようになれば国産の農産物は増えるという主張があるが、そんなことを本気で信じる人が果たしているのだろうか。
国産と偽装し、輸入ものを混ぜて増量して販売するのはまだいいほう。国産ものなどこれっぽっちも入ってないのを国産と称して販売する。もしくは国産と称しても法的に問題にならないよう、工作する。国内生産量は減りこそすれ増えもしないというのに、身の回りにやたら「国産」の文字が飛び交い、消費者が「国産」の文字に飛びつく。そういうことはあると思う。大いにあると思うが、国内の生産量を本当に増やすには、消費者が「国産がほしいとアピールする」「国産を買うよう心がける」くらいで大丈夫だとは誰も本気で思ってはいない。
食民地。これは船瀬俊介氏の造語だが、何とイヤな響きを持った言葉だろうか。よくできた言葉とは思うが不愉快きわまりない響きのせいか、あまり聞かれない。食べ物をおさえられていれば到底勝ち目はない。対等でもない。国産を食べたいという消費者の要求は恐らく通らない。日本の食卓は欧米の市場。選択の余地がほとんどないのは沖縄の米軍基地と同じことである。
食糧の安全基準にはもう一つのダブルスタンダードがある。たとえば果物の農薬残留基準。日本国内で生産・消費される果物は、欧米で国内生産・消費される果物の数倍から数十倍の農薬の残留が法的に許されている。日本人の食べているりんごやモモを、そのまま欧米に持っていくと販売は許されない。「人体に影響はないもよう」とされながらも「危険物」として回収されること間違いなし。

さらに「自国民が食べる分」と「輸出にまわす分」とがどの国においても平等に、同じように良心的な方法で生産され管理されるかどうかについては確信が持てない。使用される化学薬剤の種類やその使用方法については国によって基準がちがう。その上、自分とこの国民が食べるのと同じくらい良心的に生産せよというのをどう確保できるというのだろう。輸入飼料に口蹄疫の細工がしてあったとしても誰にもわからないよねとうがったことを言う人もあったが、その何気ない冗談が妙にリアルな響きを持って聞こえたのはなぜだろう。
こう考えてみると日本人が平気で他国に頼って、頼りきってここまで食べてこれたほうが不思議なくらいだ。しかし他人に頼めることと頼めないこととがある。自分たちの身の安全は他人まかせにはできない。「食の安全」は、自分たちの目の届くところで生産が行われない限り、確保できないものと覚悟する必要はあるだろうと感じている。
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