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自分のからだに目を向けることが自然環境につながってゆく
2010/05/21(Fri)
昨年末から続けている山ウォーキング。生活の中心にウォーキングがあって、それがが済むと一日が終った気もする。もうやめたいとも思うが町に身を置き続けることもまたつらく、ちょっとした合間があると出かけてしまう。夜は疲れを感じたら寝てしまうので朝が早くなってきた。今朝はまだ星が見えていてまとまった時間がとれそうなので少し遠くまで出かけることにする。
在来バスで何度か行ったことがあるところだ。近所のバス停から早朝に一本運行されていた。小一時間もゆられるうちに車窓に棚田の風景が広がり、秋だったかあぜ道のヒガンバナの赤い色に息をのんだことをおぼえている。うらぶれた山間地という感じの、人里離れた気配がなつかしかったが、やがて廃線となった。

少し明るくなってからH岳に向けて車を走らせた。目の前に広がる風景に私は再び息をのんだ。自然の風景にではない。新しいトンネルが開通し、元の姿がわからないほどまでに山々が削られ、埋め立てられた平らな大地には立派な道路がうねうねと蛇行しているのだった。橋げたなどが建設中であちこちに通行の制限がある。そしてさらに新しいダム。それは巨大な子どもが砂山を崩したり壊したりするかのようにして作られた風景であるように思われた。
以前の記憶を頼りに旧道に入り、登山口に駐車した。人気のない山の道を歩く。H岳は登りも下りもアップダウンがほどよく組み合わさった感じでだらだら歩くのにちょうどよい。カッコウの声、ウグイスの声、そのほか名を知らない小鳥たちの複雑なさえずりなどが気持ちを落ち着かせてくれる。イノシシに知らせるために時おり手を叩いて調子をとるが、鳥たちは気にもとめずに枝をわたって姿を現わしては木立の奥へ吸い込まれていく。立ち止まっていると、たくさんの鳥たちが行き来していく。オレンジ色のほほをした元気な連中や、白と黒のストライプのやつらが小さな群れをつくってやかましいほどだ。工事の影響で住みかが奪われ、ここは過密状態になっているのかもしれない。振り向くと、品のいい灰色の、鳩より一回りくらいも大きな鳥が低い枝に止まってこちらをじっと見ていた。
H岳に最後に登ったのはいつ頃のことであったか。もう数年は経っているはずだ。頂上にうまくたどりつけたのは数えるほどしかないが、道すがら目にした風景は私の中に鮮明にある。H岳は初夏がとくに美しい。自分の中にある風景と、今日の風景とで私は何を感じ取るだろう。それを知りたいと思った。

視野の片隅にそぐわないものが入てきたような気がして足をとめた。林の地面が金網で囲ってあり、ぼってりとした水色で塗られた金網が、衛生的というか妙に清潔という感じがする。そこだけ真四角に切り取られた空間で、白い立派な立て札が二つもわざわざ立ててあるのがまた奇妙なのだった。そっと近づき立て札をのぞくと「立入禁止」。
2・4・5T剤をここに埋没したのでここは危険だ近づいてはならないという警告が続く。私は「~T剤」が何であるのかを知らないが、それは確かに人間の、しかも中でも高い評価を受けている人間の手で作り出された毒物だと思う。文面の最後にはS森林管理署と署名がしてある。
これほど不思議な光景はないとその時感じたのだ。人間は毒物をたくさん作る。しかしその解毒剤は作られていない。毒物を作るのはカンタンで、毒性を解除するものは作れないとするならば、人間の科学はいびつだと言われても仕方がないのではないか。解毒剤が見つからないまま毒物を大量に生産し流通させることが、人間社会にはむしろ歓迎されてきた。石油化学の分野で作り出されるものの中に、生命体にとって毒物でないものが一つでもあるだろうか。科学が進み、経済が進む。それを政治が後押しする。これは常に変わらない仕組みだ。そして最終的にはネコが用を足したときにやるのと同じ方法などで始末をされることもある。砂をかけて埋める。単純かつ原始的なやり方である。しかもH岳は市民の水がめの上流に位置する山系だ。私は高度で危険な化学物質に対して人間が素手で立ち向かおうとしているような、不思議な処理のやり方に打ちのめされていたのかもしれない。腹も立たず、あきれもせず、冷めていた。自分も含めて人間の持つ、どうしようもない不完全さといびつさを、あらためて突きつけられた気分であった。

よくこういう話をすると、目を輝かせて「署名を集めましょう」「反対運動しましょう」と言ってくる人がいる。私は「できることがあれば私もできる限りサポートさせてもらいます」とだけ言っておく。相手は見る間にがっかりし、力をなくす態度をとるだろうからだ。
若いころは社会運動に片足を突っ込むとまでは言わないが、関心は強いほうだった。というよりも、署名を集めたり反対運動を展開して多くの人々に気がついてもらうというやり方が唯一の方法だと思っていた。しかし自分の出した結論は、今自分が取り組んでいる活動である。人間は、今のままの不完全さ、いびつさを抱えている限り、問題をつくり続ける。問題はどこにでもありすぎていて一つ一つ解決しようったって身が持たない。自分のからだのことに目を向けてもらうことが、遠回りかもしれないが、私の自然環境運動だと思っている。
こんなことをうつうつと考えてしまうので山にはあまり行きたくない。今日は朝早くから刺激が強くて少々疲れてしまった。帰宅して、新聞を広げ、あれなんだ今日は自分の生まれた日だったんだと気がついた。
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