FC2ブログ
2010 03 ≪  04月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2010 05
助かる人より犠牲者が多くても私は実行する
2010/04/29(Thu)
岩の割れ目に落ちた一粒のタネが長い年月をかけて岩をうがち、抱きかかえるようにして大きな松の木に成長する。
同じ一粒のタネが、人の手にかかって土に植えられ、長い年月をかけて守られ、たわめられていった結果、盆栽となる。
私は通信制高校のサポート校の指導員を仕事として長かったし、その延長のようにして操体法の指導をしているものだから、教育にしろ医療にしろ、自然と人為について考えさせられることが少なくない。
荒い自然で育った松の木と、盆栽と、どちらが生命にとって望ましいものなのか。これはカンタンそうでいてカンタンなことでは済まない問題。岩に根を食いこませて成長してゆく松の木のあり方に文句を言う人はいない。断崖絶壁の、まちがっても条件がよいとは言えぬ状況の中で何を好んで芽を出して風雪に身をさらしているのだと笑う人は少ないだろう。しかしそれが人間だとしたら、どうか。

医療現場の方からこんな話を聞いたことがある。
「健康診断も体に害となる要素は確かにある。健康診断を十年受け続けて死ぬべきところを助かったという人もあれば、健康診断を十年受け続けたために死なずに済んだところをかえって健康をそこない死ぬ人もある。健診で助かる人の数と、健診の犠牲になる人の数とを比べてみて、犠牲の数が多くても健診を実施するほうをとるのが医者だ。私は医者だから、たとえ犠牲が大きくても実行する」
私はそのころ東京杉並区高円寺のアトリエに通っていて、受験のための診断書をもらいに近くの病院に入ったのだった。レントゲンを嫌がる私に、若い医者がこちらをにらみつけるようにして言いきった顔つきを、私は最近よく思い出す。
患者の側に立てば、おかしなことを言いだす医者だと思うかもしれない。助かる人より犠牲になる人のほうが増える検査など受けたくもないと思うのは当然だし、そんなことをやるほうがおかしいとも思うだろう。いやそれともあっぱれさすがお医者だ、軸足がぶれていないと感銘を受けるだろうか。
医療現場に立つ人間の側に立てば、何もしないでいるよりは、何か処置をほどこすということを優先せざるをえない。それがかえってあだとなって苦しませたり命を落とすことを早めようとも、医療従事者は手をゆるめるわけにはいかない。それが制度という全体の流れであるならばなおのこと、一人ひとりの個別の事情をじゅうぶん考慮などできない。そういう心理というか立場というか、国家資格を持った医療従事者としての役回りはある。
教育にも同じような議論がある。乱暴な言い方をすると、「意識的にものごとを教え込むことがすべての子どもにとって必要だ」という盆栽型の教育の考えと、大人の意図した教育はかえって子どもを害するという考えとがある。小・中学校、高等学校の教職資格を取るにあたっては国の定める学習指導要領を学ばなければならない。学習指導要領などに目を通す親ごさんはほとんどいないと思うが、学ぶ内容が年齢で区分され、この年齢にはこういうのは複雑すぎるとか望ましくないだとか、どういう順序で教えるがよいかなど細かな規定がされている。国の教育の基準なのであるが、これを少しでも読めば誰だって首をひねらざるをえない。教育を受ければ受けたで有益なこととあわせて取り返しのつかない損害とが発生する。そう思うほうが道理である。しかし教育従事者とくに学校関係者はそんなことは思わない。思うこともあるかもしれないが、それは思ってはならないことなのかもしれない。

岩の割れ目に落ちた一粒のタネが成長するのも、人の手にかかって盆栽として育つのにも、不可欠な条件が共通にある。どちらも自然の力のはたらきなくして成り立たないということだ。
教育も医療も、実は大前提として、人に備わった自然の力に依存しているということがある。そこを忘れて人間の側の必死の努力とがんばりとに注目と称賛が集まりがちなのは少々違和感をおぼえる。気持ちはわからないではないけれど、これを人間のおごりと言わずして何と言おうか。
教育は人の成長を助け、医療は生命を助ける。一口で言うと人助けの仕事であるが、人助けには落とし穴がある。助ける側にも助けられる側にも落とし穴がある。教師には、教育したいという欲望と生徒という誘惑があり、医療従事者には治してやりたいという欲望と患者という誘惑がある。欲望と誘惑とに身を任せきることは危険であり、現場には慎重な自制心が必要とされる。人間のやることには百パーセント正しいということはなく、百パーセント善ということもない。確かにあるのは一人ひとりの中にはたらく自然の力である。忘れられてしまうから、いつもそのことを思い出して考える。人間の力より先に、自然の力がある。一粒のタネの中には、すでに必要十分な力が備わっているのだという事実のことを思い出しては考える。
スポンサーサイト



この記事のURL | 未分類 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |