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最期まであわてるでもなく騒ぐでもなく。
2010/04/14(Wed)
病院や介護の世話になるでもなし病気を抱えているでもなし、ふつうに暮らし、仕事も続け、そして日常のちょっとしたうたたねの延長のようにして、そのまま棺に入って行った。自然であっけない終わりはまた、すがすがしいといえばすがすがしい。言いたいことは言い、やりたいことは遠慮なく徹底してやるその人の姿を思い浮かべると、決してラクをした人生ではないのであるが、ラクな姿勢で生きていれば死ぬのもそれだけラクなのだと思えてくる。
まるであっけない死であった。こんなにもあっけないのなら、なにもとくべつ構えたりあわてたりすることもないとさえ思ったほどだった。ついさっきまで一緒にいたのが、「ちょっと具合よくないので今日は帰る」と席を立ち、それから三十分もしないうちに息を引き取ったのだ。
惜しい人であった。私はこれからもっともっといろんなことをこの人から学べるのだとすっかり思い込んでいた。熱血で、こわいほど大まじめで厳しくて、しかも面白味を失わず、人間味豊かな人であった。それほど頻繁に会う人ではなかったが、もうこの世にいないと思うと実にさびしいのである。
病院のほうで調べても死因はわからなかった。ろうそくの炎が、風もないのにふっとゆらめきそのまま消えたのだ。死因がない? いや、生きているものが死ぬのには、死ぬだけの自然のことわりがあるだろう。しかし医学の世界では人間の死ぬ要因だって生きている要因だって、結局はわからずじまいなのであるらしい。七十八という年齢は、死なれても文句は言えないけれど、もう少し生きてくれてもいいのではないかと思えてくる。早すぎるとは言わないが物足りなさのようなものも残る。

死ぬのは特別なことだと思っていた。死ぬのは大騒ぎしなければならない大事件と思い込んでいた。しかし私も年をとったのか、生きていれば死ぬもんだ、別に騒ぐことではないという感じもどこかでしている。亡くなった知らせが入ったときはすぐには事態がのみこめなかったが、騒ごうにももう生きてはおられないのだから、その必要もないわけだった。だからというわけでもないが、なんとはなしに気が抜けて昼間から正体もなく寝入ってしまった。目が覚めると準備をして斎場に出かけて行った。前の晩に隣に座って動いていた人が、お棺の中に静かにおさまっている。それを確かめるために私はやってきたようなものだった。周囲にはがんこと思われるような人だったが、一つひとつのことを考えぬいた末の結論はなるほどと周囲をうならせもし、その迷いのなさは見ていて痛快なほどだった。そんな人がいなくなってしまうのは、ほんとにさびしいことだとあらためて思うのだった。

言いたいことは言い、やりたいことは遠慮なく徹底してやる人だった。ラクをした人生という意味ではない、自分のやりたいように生きるという意味で、ラクな姿勢で生きていった人であったと思われる。ラクに生きれば死ぬのもまたそれだけラクなのだと思えてくる。それは橋本敬三医師のとなえていた、からだの設計にミスはないということと矛盾しない。生まれてから死ぬまで楽しく健康に生きられるだけのものはからだにちゃんと備わっている、生まれる前に、すでにそういうこと全てが過不足なくきちんと準備されているのである。生きものの歴史は38億年であるという。人間一人の人生は百年そこそこにすぎないけれど、人間の身体は生きもの38億年分もの経験の積み重ねを有し、生きるための、そして死ぬための、必要なこと全てが過不足なく備わっている。
私の信じ、頼るに値するものは、私の外に求めるのではなく、私の中にすでに備わっている。「すでに私は救われていたのだ」と橋本敬三医師が言っていたのはこういうことだったのだろうか。だとすれば、私はもう何もあわてることはない。騒ぐ必要もないのである。
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