FC2ブログ
2010 03 ≪  04月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2010 05
起きようと思わなくても勝手に目覚めている
2010/04/09(Fri)
幼少時、朝が苦手だった。正確にいうと小学校にあがって母の態度が急に変わった。うちは宵っぱり家族で朝はみな苦手。低血圧低体温の家族であったと思われる。結局、義務教育のあいだ定刻通りに学校に到着したことは数えるほども、ない。寝坊ついでに欠席も多く、平均すると週に二日も行けばいいほうではなかったか。寝床で母に小突かれない日はなく、母の朝の不機嫌がまた苦痛の種であった。ところが現金なもので、「明日は自転車で遠乗りに出かけよう」と思って寝ると、朝の6時にすかっと目が冴える。いつもうまくいくというわけではなかったが。つまりはワガママ。自分勝手なのだろう。
それでもやはり宵っぱり、朝を苦手とする傾向がないわけではない。それがウソのように朝型になった時期がある。朝の4時5時あたりに勝手に目が開き、体調も最高だった。午前中に一仕事終わらせることができたので、一日で二日分の働きができた。しかし三年前の追突事故をきっかけに、元の自分よりもひどい状態になってしまった。
こういうときって、どうすればよいのだろう。食う飲む出すそして寝起きする。どんな人にも共通した生活の根本。それがけっこう崩れやすいのである。快食快眠快便は生きものにとって不可欠なのに、「ついつい食べ過ぎてしまう」「飲みすぎる」「…出ない」「寝つきがよくない」「寝起きがわるい」のは一体どういうことだろう。

人間の意識は乱暴にいうと、意識と無意識とがある。自分の意志で日常を送っているように思われるかもしれないが、じっさいの生命活動のほとんどは無意識の働きに任されている。意識とは神経の働きであり、随意の運動は意識的だが、生命活動のほとんどは不随意的で無意識の働きである。「さあ眠るぞ」と思っていても眠れない夜もあり、「眠ってはダメだ」と頑張ってもまぶたは閉じてゆく。生理的なことは無意識の領域なのである。
生理的なことをコントロールするのは自律神経の働きである。自分の思いや意志で直接どうこうできる領域ではない。生命活動の大半が無意識の働きにゆだねられていることを踏まえれば、生活の狂いとは神経の働きの狂いと言い換えてもかまわない。生活の狂いそのものをしゃにむにどうにかしようと格闘するよりは、神経の狂いをなくしていくほうが確実である。神経の働きが正常化すれば、おのずと生活も落ち着いてくる。意志なんかいらない。科学的知識なども一切不要である。
自分の意志で自分の思い描く理想の生活を実現しようと努力をしても期待したほどの実りをもたらさない。人間の意志は弱い。それよりも、いっそ体に備わった自動調節機構におまかせするというやり方が一番ラクな上に効果的である。体内の自動調節機構は自分の思う以上に精密で正確でまちがわない。自分の弱い意志などとは比べようもないくらい頼もしいのである。

操体法は気持ちがいいかよくないか、感覚に意識を集中させる。感覚とは神経の働きである。ふだん何気なく動かしている体を意識的にゆっくりと動かし、動きとそれにともなう感覚に意識を集中させていくことを続けていく。すると自律神経本来の働きが取り戻されていくのが実感される。無意識に支配されていた生理的な活動の領域が、意識でコントロール可能な範囲へと組み込まれていくようにも思われる。自分の体が思い通りにならないことが苦痛なのである。心身一如。自分の意のままに行動できるようになれば文句はない。それどころか、自分でも気づかぬうちに最善の行動をとってくれる体であるならそれ以上は望めまい。
食生活をどうしたらよいか。水はたくさん飲んだ方がいいのか。排泄についてはどうしたらよいか。睡眠の正しいあり方は? そうやって疑問を持って新聞やテレビでばらまかれている科学的知識をいちいち覚えこむことに熱心な向きもあるが、結局は「わかっちゃいるけどできないのよね~」で終わり。そもそも自分にとっての理想的な食生活やら理想的な睡眠やらが専門家といえども他人にわかるものだろうか。そういうことがいつも同じ答えで済まされるものだろうか。覚えこんだ知識を振りかざして自分の体を意志に従わせようったってできるものではない。生きものに備わった調整機構は常にフィードバックを絶やさず、その場その場に最善の答えを常に出し続けている。その働きが十全である限り、困ることは一つもないはずだ。
スポンサーサイト



この記事のURL | 未分類 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |